幸田露伴・田村松魚 合著 「もつれ絲」現代語勝手訳(1)
「風流微塵蔵」の後篇としての作品、「もつれ絲」を現代語訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように、あるいはずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私がどこまで適切な現代語にできるのか、はなはだ心許ない限りですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この「もつれ絲」は「風流微塵蔵 後篇」と銘打っていますが、何度も書いていますように、実際は幸田露伴が書いたものではないということで、岩波書店の露伴全集には収められていません。全集に収められているのは、順序で言えば、
「さゝ舟」→「うすらひ」→「つゆくさ」→「蹄鐡」→「荷葉盃」→「きくの濱松」→「さんなきぐるま」→「あがりがま」→「みやこどり」の九作品です。
「もつれ絲」は、これらの後の作品に位置づけられると考えられ、これで「風流微塵蔵」として、すべてが揃うことになります。
実際には題名に<10>の表記はありませんが、つながりが分かるように便宜的に付け足しました。
柳田 泉氏の「随筆 明治文学3 人物篇 叢話篇」(東洋文庫)によりますと、
『「もつれ絲」の方は腹案を授けて田村松魚に執筆さしたもので、自分はほんの一二回加筆したに過ぎなかった』という露伴自身の言葉を紹介しています。(「風流微塵蔵」と「天うつ浪」について P.22)
現代語(勝手)訳にしてしまうと、あまり分からないかも知れませんが、原文を読んでみると、確かに文章の運び、言葉の深さは露伴と違うと分かります。
(何カ所か、それが露伴の手になるものかと思える光る部分があったりします)
柳田 泉氏も同書の中で、
『一体に調子が低く情熱がなく、文章も露伴の平生と違って力が弱い、「微塵蔵」中の劣作である』(「風流微塵蔵」手引書 同上 P.56)と書いています。
この作品、書籍としての原文は手に入らず(古書店では高値で売られている)、国立国会図書館デジタルコレクションで手に入れました。
印刷が悪く、活字が潰れていたりして、文字の判別に結構苦労しましたが、だいたいは読むことができましたので、ここに現代語勝手訳を行う次第です。
この現代語勝手訳の底本は上記の通りであり、奥付には、
明治三十五年一月二十八日印刷
仝 三十五年二月 六 日発行
靑木嵩山堂とあります。
其 一
田の畔に立つ榛の梢に吹く風の声や、破れた蓮の葉影を映す水の色にも秋の哀れさがそれと知られる、ここは浦和にある白幡村の村外れである。そこに一本の老木の枯れかかった下枝が伝う小さな家が一軒あった。
傾いた軒端に紅く色づいた渋柿が五つ六つ吊してあるが、朽ちた細い柱に小さな古草鞋が甲掛け(*旅の装具。足の甲にかける布製品)と一緒に結び付けられているのが侘しく感じられ、これがありし昔は雑穀商坂本屋と言って、神田多町で隆盛を極めた榮吉夫婦のなれの果ての住居とは、浮世の常とはいいながら哀れなものであった。
三畳か四畳か、畳というのは名ばかりの、渋紙でもって所々貼り繕った薄暗い一間に西枕をして、恐ろしいまでの貧苦と長い病苦とに病み疲れ、痩せ細って、あるかないかの生命の綱を何とか今日まで繋ぎ止めている主人の榮吉は、乾く暇もない涙の床に打ち臥して、世にも苦しげな気息をつき、深く凹んだ眼を僅かに開いて、薄い光りの活気というものが更にない瞳を凝らしながら、何を見るともなく、頭を擡げるようにして見廻しつつ、
「おこの、おこの」と呼ぶが、その声には力はない。
妻のおこのは早や正午に近いので、お須磨と榮太郎が雇われた先から帰って来るのに、昼の支度をしておこうと、紡車を隅に寄せて、茶釜の下に枯松葉をおしくべ、燻る白煙に顔を反けながら、ふうふうと吹くが、昨日の降雨に湿り残って燃え立たないのに困り果てていたその時、良人が呼ぶ声が耳に入ったので、
「ハイ」と、答えて直ぐに立ち上がって、そちらに行き、枕の傍にそっと寄りながら、行儀正しく、言葉優しく、
「何かご用でございますか。痰吐器ならここにちゃんと洗って置いてございます。お薬ももう一回分ございますから、ご飯前に服用ってはどうでございましょう」と片手で良人の夜着の襟を少し押し上げ、直しながら言う。
「オオ、おこのか、イヤ、もうわしは薬は飲むまい。浴びるように服薬したところで、とても全快の見込みもないこの難病、大体肺病と名のついた病で全治した人のためしもなければ、まして、彼の宗安奴や誰かが盛った薬で治ろう筈もない。何時までも何時までもこうして患っては薬を飲んで、お前は言うまでもないが、まだ幼い須磨や榮太郎にまでも辛い思いをさせ、何の亭主甲斐もなく、親としての甲斐もなく、何でべんべんとこの世に長らえて居られよう。ただ、一日も早くこの世から暇をもらって、この憂き目を逃れたいと思うが、ただ心残りで心配で、このまま気息を引き取っても、とても思いを残さずには死ねないと思うのは、お前と二人の子のこと。よしんば、生きていたところでこうして患っていては、お前たちだけに憂き目を見せるばかりで、何の役にも立たないけれど、さて死んでしまってはこの後どうなることかと、これまでの重なる不幸を思うにつけて、今後の成り行きが心配で、胸も張り裂けるようだ。今も今、夢とも現とも我ながら分からないが、少しばかりうとうととしたかと思う中に、アア、厭な夢、……夢と言えば夢だろうが、現といえば現ではないかとも思われるような厭な不吉な夢を見た。アア、これ、この通り、胸に激しい動悸が打って、冷や汗が脇の下に流れている。これが夢占いとなって、わしが死んだ後にお前たちがこれ以上に悲しい辛い身の上になることかと思うと、このままこうして死ぬのが口惜しくも残念にも思えてくる。アア、もう一度健康な身体になって、お前も、二人の子も心安らかに暮らさせて、昔の坂本屋の十分の一、イヤ、百分の一の店でも張って、せめてこの世の思い出に先代の父御の亡位に申し訳をして死にたいと思っても、それも今では希望もなくなった今日か明日かの生命。思っても考えてもしようがないので、何もかも浮世と諦めてはいるものの、これ、おこの、お前と晴れて夫婦となってから今日の日までの星霜を振り返って追懐ってみれば、人の一生というものは恐ろしいほど変わりのあるものではないか」と物語る。声は虫の音よりもあわれに細いけれど、この病気の常として、精神は極めてしっかりしている。
おこのはそれに答える言葉よりも涙が先走り、そっと袖で拭いながらも、病める人の気を落とさせまいと、何でもない風を装いながら、言葉静かに、
「もう、もうそういう心細いことを仰ってくださいますな。病はまったく気の持ち方で重くも軽くもなるもの。心さえしっかりとして気長に養生さえなされば、必ず全快しないことはありますまい。ちょっとでも良い方へ向かって行けば、それからはまた良くなるのも速いもの。決してくよくよなさらず、気丈夫にしていてくださいませ。あなたがそう心弱いことを仰っては、両人の子どもが可哀想でございます」とだけは言ったけれど、胸が塞がってそれ以上は言葉も続かず、女心が脆くも落とす一ト雫。
それを見た男も堪えかねてか、これも涙にくれて互いに言葉も途絶えてしまった一室の中は、もの暗く打ち沈んで、陰に籠もる気は怪しく四方を曇らせた。
幾年か前のその昔は、お染、久松と渾名されて、一町内はおろか、神田きっての好男子、美婦人と人にも尊まれもし、羨まれもした面影はどこへやら、男は長々と伸びた頭髪に青ざめた額を埋め、もやもやと生えた髭が殺げた頬のあたりを掩い、ただでさえ痩せた身のまわりには筋肉というものは更になく、骨と皮だけが怪しく透き通ったのがひとしお痛ましい。ひとしきり咳が込み上げる度に、カッと喉を鳴らして紅いものが交じる痰とも唾ともつかない液を吐きながら、しばしば太い息をつく様は、この世の人とも思われない。
女も長く続く憂き目に身もやつれ、心も疲れ、毛嬙や西旋(*いずれも古代中国の代表的美人)のような容色も徒に移り行く年波と共に褪め果てていた。しかし、ただどこかに気高い面影が潜んでいることだけは、どんな田舎者の目にも留まるに違いなかった。
やがておこのは涙を払い、強いて気を取り直しながら、苦しげに身をもがく良人の傍に寄り添い、背を撫で擦りながら、
「もう、もう私も泣きません。だから、あなたも泣いてくださいますな。すべては因縁事だと諦めて、愚痴や恨みは今日限り忘れ、生まれ変わって今一度咲くべき花の時節を待とうではありませんか。あなたと私がこのように心弱くては、何を頼りにお須磨や榮坊が一日なりとも生きていられましょう。気を腐らさずに、心に張りを持って、一日も早く本復なされて、一同を悦ばせ、勇ましてください。あなた、もし、あなた、私の言うことがお分かりになりましたか。オオ、お分かりになったのですね。それなら、どうかそのように気を取り直して心強くして下さいませ。無益な心配事をされては、第一にお身体の毒。何も苦にやむほどの難儀も差し当たってありません。いいえ、あの、あの勇造殿の方もちゃんと私がすることはするようにして片をつけてありますので、そんなご心配は要りません。宗安殿への薬代も大方は支払いました。イイエ、何も気休めを言っているのではありません。私が村の衆の秋祭りの衣物を縫ったその手間賃で、四ヶ月分を済ませておきましたので、毎日お須磨が大いばりで薬を取りに行っております」と、言葉では安心させるが、胸は張り裂けそうになり、自ずと声も震えがちになるので、それを悟らせまいと歯を食いしばるその時、
「母様、ただいま」といつの間にか、お須磨が帰って来た。
つづく(全20回)