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魔術士は夜明けを導く  作者: 寒月アキ
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終章

 消耗が激しかったディルクは、城に着いてすぐ意識を失った。

 数日後に目覚めると、なじんだ自室の天井が視界に入った。

 また戻ってきてしまった。

 そしてもう出ていくことはない。


 ヴィンクラーの大逆事件が収束してから半月程が経過した。

 ローザリンデを探していたディルクは、バラ園でその姿を見つけた。

 よく晴れた青空の下、匂いたつバラに囲まれて、彼女は立っていた。

 思えば、明るい時にここを訪れたのは初めてだ。咲き誇る可憐な花々は、普段は花など気にもとめないディルクの目にも美しく映る。

 ディルクの訪れに気づいた彼女は、驚いた顔をした。

「体はもう大丈夫なの?」

「十分休みましたから。これ以上はなまります」

 目覚めてからもしばらく安静にしていたディルクは、ローザリンデに会うのが久しぶりだった。

 ローザリンデは軽く瞳を伏せた。

「……レオナたち、結局発見できなかったそうよ」

「そうですか……」

 ディルクは表情を曇らせる。

 例の地下道は崩落により埋まってしまっていた。しかし放置は危険だと、ゴルトベルクが探索に乗りだしたのである。だが瓦礫を完全に撤去できるわけもなく、調査は難航し、ついにはなにも発見できなかったという結論に至ったらしい。

 レオナとヴィンクラーの遺体も、地下に置き去りにしたままだ。

 ローザリンデは、ふとディルクの服装に目を止めた。

「服、新調したのね」

「ゴルトベルク卿が見立ててくれました」

 ディルクは改めて自分の格好を見た。濃紺の外套に、藤色の術衣。長衣のほうが魔術士らしいが、動きにくいのでやめた。今後は父の長剣も扱えるようになりたかったので、動きやすさを重視したのである。あの灰色の長衣よりずっと自分らしく、着心地がいい。

 手には母の杖を持ち、腰には父の長剣を携える。翡翠の首飾りは相変わらず胸元で揺れていた。

 そんなディルクを、ローザリンデは複雑そうに見つめる。

「聞いたわ。ゴルトベルク卿のもとで修業するって」

「もうお耳に入っていましたか」

「……ごめんなさい。あなたをフランツェンへ帰せなくて」

 彼女が罪悪感を抱くだろうことは予想していた。だから明るく笑ってみせる。

「謝らないでください。僕から言いだしたんです。……その、姫の盾になりたいと」

 恥ずかしさで、つい早口になる。

 ローザリンデの白磁の肌に赤味が差した。

「……本当にいいの?」

「もう決めたことです」

「でも、今回みたいに力を使いすぎて、倒れて……それを繰り返していたら、いつか本当に命を落とすかもしれない」

 彼女はおびえた幼子のように瞳を揺らす。

 そんな彼女の不安を払拭したくて、ディルクは言葉に力を込めた。

「学びます。負荷の少ない魔術を使えるように。そして強くなります。魔術だけでなく、剣でも戦えるように。……父や母を目指して」

 今はまだ長剣の重さに慣れない。杖の威力も十分に発揮できていないだろう。しかし必ず扱えるようになってみせる。

 ローザリンデはなおも憂うように顔を背けた。

「……望んでいいのかしら。あなたに、そばにいてほしいと」

 返事よりも確かに気持ちを伝えたくて、ディルクはおもむろに片膝をついた。意図をつかみかねている彼女を、そっと見上げる。

「僕の忠誠を姫にささげます。そして誓います。生涯をかけてあなたを守り抜くと」

 それから彼女の手を取り、甲に口づける。

 ローザリンデが息をのむ気配がした。

「ディルク……」

「オスヴァルトから教わったんです。その、忠誠を誓うにはこうするのだと」

 ローザリンデの表情を確かめる勇気はなかった。羞恥のあまり顔を上げられない。

「……ディルク」

 再び頭上で声がした。

「その誓い、受け入れることはできません」

 予期せぬことを言われて、頭が真っ白になった。

(……え? 拒否?)

 思考が回らず固まっていると、ローザリンデは中腰になってディルクの顎を取り、無理やり上向かせた。

「お願い。決して私より先に死なないと、そう誓って」

 彼女は至極真剣だった。だがディルクは納得できない。

「筋が通らないじゃないですか。盾があとに死ぬなんて」

「それはあなたの言い分よ。私は嫌」

「そう言われても、僕の決意に反します」

「じゃあ、あなたの忠誠は受け入れない」

 彼女は思った以上に頑固だ。内心でため息をつきつつ折衷案を考える。

「では、こうしましょう。――僕はあなたを守ります。あなたが死なないように。そして自分も守ります。あなたより先に死なないように」

「……誓ってくれる?」

「誓います」

「ちゃんと言って。最初から」

 彼女はこほんと咳払いをし、すっと背筋を伸ばした。密かに苦笑しながら改めて膝をつき、目線を下げる。

「僕の忠誠を姫にささげます。僕はあなたを守ります。あなたが死なないように。そして自分も守ります。あなたより先に死なないように。そう誓います」

 言い終えたあと、なにもしないでいると、彼女はそろそろと手を差しだしてきた。

 その意味を察して顔が熱くなった。耳まで真っ赤になりながらも、求めに応じて再び口づけを落とす。

 勢い任せでやった一度目以上に居たたまれなかった。もう逃げようかと腰を浮かしかけたところで、ローザリンデが涼やかな声を発した。

「私はルードヴィングの剣です。私という剣はこの国のためにあります。なにものをも恐れず、立ち向かっていける剣。そうありたいと願っています」

 小さく息をついてから、彼女は続ける。

「あなたという盾があれば、剣はより鋭さを増し、より強くあれるでしょう」

 恐る恐る顔を上げると、紫の瞳と目が合った。

「ともに戦ってくれますか?」

 彼女は切なげにディルクを見つめた。ディルクはごくりと喉を鳴らす。

 答えはすでに決まっていたし、今更変えるつもりもない。

「もちろんです。僕は姫のための魔術士ですから」

 大真面目に即答すると、彼女の目元がほんのりと朱に染まった。

「………三回、助けてもらったんだもの。傲慢よね。これ以上、求めるのは」

 小さくつぶやいてから、彼女は意を決したように言った。

「どうか力を貸してください。ルードヴィングの永久の安寧のために。剣を折るその日まで」

「お約束します。その日が来るまでおそばにいると。杖を折るのは、そのあとです」

「……ありがとう」

 ローザリンデは手を差しだした。促されて立ち上がる。

 彼女の先行きは決して安穏としたものではないだろう。これから負うだろう傷を、全て引き受けることは不可能だ。

 それでも減らすことはできるだろう。癒すこともできるだろう。もう二度と逃げはしない。どんな苦難が立ちはだかったとしても、彼女を失うことのほうがずっと恐ろしいと気づいたのだから。

 ――だが、それとは別に、気にかかる言葉があった。

「……三回?」

 初対面の時が一回目、レオナにさらわれた時が二回目。それしか心当たりはなかった。ヴィンクラーが王城を襲撃した際はなにもできなかったのだし。

 ローザリンデはふふっと口元を綻ばせる。

「わからなくていいの」

「でも」

「気になるなら、そうね……私が死ぬ時、教えてあげる」

「そんな、先の話すぎませんか?」

「そのほうがいいでしょう?」

 ローザリンデは無邪気に笑った。

「これで本当に、あなたは私の魔術士ね」

 どきりと心臓を高鳴らせたディルクに、ローザリンデは言う。

「またシュネーバルを用意するから、一緒に食べましょう。それで、このお城に来る前の話を聞かせて」

「ありがとうございます。……そんなおもしろい話はできないと思いますけど」

「いいの。私が聞きたいだけだから」

 彼女が嬉しそうに笑うから、ディルクもつられて嬉しくなった。

 風が吹いた。バラの芳香が広がるとともに、彼女の銀の髪が揺れる。

 いとおしさに、ディルクは目を細めた。

 父は人生の模範だ。

 目指す職業が変わっても、父への憧憬は不変である。彼のように他者を思いやり、守れる男になりたい。

 これからは、自分で選んだ道を行く。

 自分の夢を、自分の力でかなえるために。


          ◇     ◇     ◇


 子どもの頃のいい思い出は少ない。

 だからだろうか。強く印象に残っている出来事がある。

 希代の王フェリクスが統治するルードヴィング王国北方の紡績町ザルデルン。国王の側室であり女将軍でもあった母の実家がそこにあった。

 紡績業が盛んなことと、豊かな自然に恵まれていること以外は、取り立てて述べることのない田舎町である。平民に過ぎない母の実家も、平凡そのものだった。

 窮屈な王宮から離れて束の間の休息を得るため、何度か母と帰省した。そこでは地元の子どもたちと遊ぶこともあった。

 ある日、珍しい蝶を追いかけて入った森で道を失った。途方に暮れて泣きじゃくっていると、ひとりの少年が迎えに来てくれた。

「もう安心して。一緒に帰ろう」

 鳶色の髪と榛色の瞳を持った、同い年の少年。たまに遊ぶ子たちのひとりでしかなかった彼は、その瞬間から特別になった。

 人の縁とは不思議なもので、後に母が彼の両親と顔見知りであることが判明した。

 少年の母親が振る舞ってくれた手作りのシュネーバルは、宝物のように大切な思い出の菓子になった。

 その後勃発した内戦により、互いの環境は大きく変わった。母の死後はザルデルンへ行く機会を失い、少年は港町フランツェンへ越したと聞いた。

 もう二度と会えないのだろうと思ったが、なんの因果か、しばらくして少年の父親と再会する。さらに二年後、少年自身とも。

 どうやら彼は気づいていないようだ。しかし無理もない。あの頃、剣の修業はすでに日課だった。必然的に服装は少年っぽくなり、髪も短いほうだった。身分も明かしていない。もし彼の記憶に残っていたとしても、たまに遊んだ男友達としてだろう。

 思い出してもらえないのは少し寂しい。だが、まるで少年でしかなかった過去を現在に投影されるのも恥ずかしかった。こちらだけが彼の過去を知っているというのも悪くないかもしれない。

 だからこれは、秘密の思い出。

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