第二章 守護の剣
太陽が西に大きく傾いた頃、山道を進んでいたディルクたちは前方の喧噪に気づいた。
間断なく聞こえる甲高い金属音は、戦闘が繰り広げられていることを示していた。
オスヴァルトは眉をひそめる。
「こんなところで? 相手は誰だ?」
「大変だわ! 早くおそばに参らなければ!」
言うが早いか、レオナは血相を変えて馬を飛ばした。その後ろ姿はあっという間に小さくなる。
馬が二頭しかいないため、オスヴァルトの後ろに同乗していたディルクは、呆気に取られながらレオナを見送った。
「彼女はどこへ?」
「たぶん我らが上官を探しに行ったんだろう。つまりあれが目的の王国軍なんだが、まさか国内で襲ってくる命知らずがいるとはな」
左右を林に囲まれた山道で戦っているのは、革鎧で武装した軽歩兵の小隊と黒衣の集団のようだった。おそらく革鎧のほうが王国軍なのだろうが、黒衣の集団に心当たりはない。
「もしかして野党とか……?」
ディルクが適当な予測を口にした時、心臓が大きな音を立てて鳴った。
落石の直前に感じたものと同じだ。途方もない胸騒ぎで額に脂汗が浮かぶ。
オスヴァルトは人を探すように周囲を見回している。
「おかしいな。あの方が見当たらない」
その声はもはやディルクの耳には届かなかった。虫の知らせに突き動かされるまま馬から飛び降り、山道を外れた林の奥へ駆けだす。
オスヴァルトはぎょっとしてあとを追った。
「バカ野郎! どこへ行くつもりだ!」
人の足が馬に勝てるわけがない。すぐに追いつくはずだったが、黒衣の集団のひとりに見つかってしまった。切りかかってきた男の相手をせねばならなくなり、ディルクとの距離が開いていく。
「おい、ディルク、止まれ! 死ぬ気か!」
ディルクは怒声を無視して走る。
「だから待てって! ……あ、ヨハン!」
それを最後に、オスヴァルトの声は聞こえなくなった。
ディルクは耳に意識を集中させた。
(声が聞こえる)
いや、音という表現が近いかもしれない。
知らない言葉だ。言葉というより歌、歌というより音楽のようだ。
それは林の奥にある茂みの向こう側から流れていた。伸びた木の根の足を取られないよう注意しながら先へ進む。
茂みをかきわけた先には複数の人影があった。黒衣の男が数人、小柄な王国兵――おそらく少年兵だろう――を追いこんでいる。
黒衣の男たちがディルクに気づいた。幅広の刀剣を威嚇するように振りあげる。
「なんだおまえ!」
「うわっ!」
振りおろされた剣は辛うじてかわせたものの、よろけて少年兵のそばに転がる。
(まずい……)
今更ながら血の気が引いてきた。勢いで来てしまったが、その先のことはなにも考えていなかったのだ。腰に差していた父の短剣を及び腰で構えてみるが、扱える自信はまったくない。
落ち着こうという意識が働いたせいか、左手がしぜんと母の形見に伸びた。
まただ。また火がともったように翡翠が熱い。
「わざわざ殺されに来るとは酔狂なガキだな」
黒衣の男たちはディルクと少年兵に向かって剣を構える。
「〈研ぎ澄ました剣〉なんて片腹痛いあだ名だぜ。この瞬間を待ちわびてたんだ……。道連れができてよかったな、姫将軍!」
ディルクは咄嗟に少年兵をかばい、固く目をつむる。
刹那、強風が吹いた。
次いで野太い絶叫が上がる。
「ぎゃああああああああっ!」
刃のごとき鋭さを帯びた疾風は、その場にいた男たちを切り刻み、消えた。
物言わぬ肉塊と成り果てた体がごとりと地面に落ちる。辺り一面には瞬く間に大きな血だまりができた。
「は……?」
すぐには状況を理解できず、呆けた声がディルクの喉から出た。
いったいなにが起きたのだろう? 彼らはなぜ動かない?
――答えは明らかだ。
目前の陰惨な有様の意味を頭が認めた瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。
「う……!」
口元を押さえて顔を背けた時、腕を引かれた。
「え……?」
目前にきれいな顔があった。濃いまつ毛に覆われた紫の瞳。後頭部で一本に束ねた長くまっすぐな銀の髪。土埃に汚れてはいるが、白磁の肌は滑らかで、触れてみたいという欲求をかきたてられる。
誰だ、と今更な疑問を抱いたあとに、襲われていた少年兵だと思い至る。
いや、先程は体格から勝手に少年兵だと解釈したが、この容貌は――
「あなた、何者?」
バラ色の唇からこぼれたのは、紛れもなく少女の声であった。
改めてよく見ると、彼女の武装は王国軍のものではあるが、鎧には立派な細工が施されていた。緋色の外套も羽織っており、明らかに一般兵とは異なる。
彼女は怪訝そうだ。無理もない。ディルクの装いは敵のものではないが、王国兵でもないのだから。
「あの、突然すみません。僕は……」
「あら……?」
名乗ろうとしたところで、彼女はなにかに気づいたように目を瞬かせ、戸惑いをあらわにした。
「まさか、そんな……」
「あの……?」
困惑するディルクに、彼女はためらいがちに尋ねる。
「もしかして魔術士の耳を持ってるの?」
「え、えっと……?」
意味がわからず返答に窮していると、茂みをかきわける音がした。
オスヴァルトである。
「探したぞ、ディルク……って、え? 姫?」
少女に気づくと、怒りの表情が驚きに変わった。少女も軽く目を見張る。
「オスヴァルト? どうしてここに?」
「それが実は……」
答えようとしたオスヴァルトは、周囲に転がる遺体に顔をしかめた。
「姫、いったいなにが?」
「私のほうが聞きたいくらいです。彼は知り合いですか?」
「え? ああ、この少年は……」
「姫様!」
今度はレオナが現れた。オスヴァルトを押しのけるようにずいと前へ出て、ディルクを突きとばす勢いで少女に抱きつく。
「お姿が見当たらないので案じておりました! お怪我は?」
「レオナ? あなたまでどうして? ……って、苦しいから放して……!」
少女の訴えを無視したレオナは、抱きしめる腕にさらに力を込める。
「このレオナ、一生の不覚です。ああ、やはり姫様のおそばを離れるのではなかったわ。役立たずのバカ弟子には死をもって償いをさせなければ……!」
「だめよ、そんなの。彼のせいじゃないんだし。……それより戦況は?」
少女は半ば強引にレオナを引きはがし、質問した。オスヴァルトが答える。
「ご安心を。我が軍が優勢です」
「そう、よかった……。子細はあとで聞きます。レオナ、一緒に来て」
「はい、姫様!」
少女はちらりとディルクを見たあと、足早に去っていった。レオナもそれに続く。
腰が抜けたまま立ち上がれないでいるディルクに、オスヴァルトが手を差しだした。
「大丈夫か? ったく、無茶しやがって。心配したんだぞ。……どうして姫の居場所がわかった?」
「それは……」
手を借りて立ち上がったものの、背けていた惨状が視界に入った途端に胃液が込みあげ、たまらず吐きだした。
口中に広がる酸っぱさに辟易しながら、先程の少女を思い返す。
彼女は少しも動揺を見せなかった。それに比べて自分はどうだろう。情けない。
なんとか気分を落ち着かせた頃には、戦闘はほぼ終わっていた。
形勢不利を悟って逃走を開始した黒衣の男たちを、王国兵が追撃する。その指揮を執る少女の銀髪と緋色の外套は遠目にも映え、よく目立っていた。
彼女が何者か、ディルクにも察しがついていた。
ルードヴィング王国第二王女ローザリンデ。通称は姫将軍で〈研ぎ澄ました剣〉に例えられることもある。国民からは守護神のように敬われ、人気も高い。
(なるほど。〈研ぎ澄ました剣〉か)
言いえて妙だ。彼女の美しい銀髪と凛としたたたずまいは、ルードヴィングが誇る剣と呼ぶにふさわしい。
確か自分と同じ十六歳だったはずである。
それなのに圧倒的な落差を感じた。
結局、黒衣の賊を生かしたまま捕捉できず、その日は山中で野営することとなった。
分けてもらったパンとスープで腹が満たされた頃、ローザリンデに呼びだされた。オスヴァルトの案内で彼女の天幕へ向かう。
「そういえば姫将軍から言われたんだった。魔術士の耳がどうとかって」
ディルクが言うと、オスヴァルトは小さく息をのんだ。
「魔術士の耳? ……まさか……」
そこまで話したところで目的の天幕に到着した。オスヴァルトが声をかける。
「姫、ディルクを連れてまいりました」
「どうぞ。入ってください」
ローザリンデの声だ。促されるまま中に入ると、ローザリンデとレオナ、そして見知らぬ若者が三人で待っていた。
若者は細い体を漆黒の衣で包んでいた。肩まで届くほどの無骨な杖を携えている。無造作に伸びた黒茶色の髪を雑に結んでいる。長めの前髪からのぞく瞳は鮮やかな翠だが、目つきの悪さが印象を台なしにしているようだった。
「ヨハンだ。レオナと同じ、姫付きの魔術士」
オスヴァルトはこっそりディルクに耳打ちすると、ローザリンデの前で片膝をつき、頭を垂れた。慌てたディルクも見よう見まねで倣う。
ローザリンデはくすりと微笑した。
「かしこまらないで楽にして。……オスヴァルトったら、普段はこんなことしないでしょう」
「新参者の手本になるべきかと愚考しましてね」
オスヴァルトは冗談めかして片目をつむる。
どうやら茶化されただけのようだが、王族の前で気安い態度はとれない。ディルクが対応に困っていると、ローザリンデのほうから歩み寄ってきた。その表情は陰っている。
「……ルドルフのこと、レオナから聞いたわ。……本当に残念だし、あなたにも申し訳ないことだわ……」
ローザリンデは悲しげに瞳を伏せた。ほかの者たちからもルドルフを悼む気持ちが伝わってくる。
父が諜報員だったという事実はいまだに半信半疑であったのだが、彼女たちの様子から信じざるをえなかった。
ローザリンデは気持ちを切り替えるように話題を移した。
「先程のお礼がまだだったわね。改めて感謝します。おかげで命拾いしたわ」
「いえ、僕はなにも……」
「……それは謙遜かしら? それとも自覚がないの?」
彼女は探るようにディルクを見つめる。ディルクは困惑した。
「なんの話ですか?」
「それでは私の見解を話しましょう。あなた、魔術士の耳を持ってるんじゃないかしら」
その場に小さな緊張が走った。当事者であるディルクだけが理解できずに面食らう。
「魔術士の耳?」
「要するに魔術の才能があるってことだ」
オスヴァルトが補足した。
「魔術には先天性の素質が欠かせない。なぜだか知ってるか?」
「いや……」
「魔術の発動には呪文が必要だ。その呪文を、普通の人間は聞き取れないんだよ。聞き取る耳がなければ唱えることはできない」
「あんた呪文を聞いたの?」
レオナがずいと身を乗りだした。ディルクはたじろぎながら答える。
「呪文かどうかはわかりませんけど、不思議な声……歌か、あるいは音楽みたいなものが聞こえたような……」
「当たりだな」
ヨハンがぼそりとつぶやく。
レオナは硬い表情でディルクを見た。
「こんな偶然があるなんて……。……信じがたいけど、でも助かったわ。この役立たずのせいで大惨事になるところだったもの」
敵はローザリンデをおびき寄せ、魔術で仲間諸共殺そうとした――彼女はそう見解を述べ、じろりとヨハンをにらんだ。
ヨハンは仏頂面でそっぽを向く。
「しつこいな。何度謝らせれば気が済むんだよ」
「謝って済む問題じゃないでしょ。ああ、過去の自分が呪わしいわ。瑣末な用事を優先してバカ弟子に任せるなんて……!」
「ヨハンだけを責めたくないわ。私にも油断があったのよ。……つい深追いしちゃったし」
「やっぱり。また無茶をされたんですね」
とがめるようなオスヴァルトに、ローザリンデは首をすくめた。
「反省してます。ディルクがいなかったら、私に打つ手はなかったもの」
ディルクは恐縮した。どうにも過剰な感謝と思えてならない。
「だから僕はなにも……」
「だって守ってくれたのあなたでしょう?」
「え?」
「あなた、防御の魔術を使ったのよ」
「魔術を、僕が……?」
そう言われても実感がわかない。
いつもの癖でつい首飾りを触ると、レオナが目を止めた。
「それ、魔術具ね」
「魔術具?」
「魔力を込めた道具のことよ。製作者の腕次第であらゆる効果を持たせられるわ。……なるほど、そのせいだったのね。このあたしが素人の魔力を見抜けないなんて、おかしいと思ったのよ」
「どういうことですか?」
「たぶんだけど、その翡翠には魔力を抑える力があるんじゃないかしら。……って、自分の持ち物でしょ? なにも知らないわけ?」
「……知りません。これが魔術具だってことさえ初耳で……」
そんな話、母からも父からも聞いていない。単なる装飾品だとずっと思ってきた。
レオナは興味津々のようである。
「ねえ、どこで手に入れたの?」
「どこって、母の形見ですけど……」
「それじゃあお母様はどこから入手したのかしら。魔術具はそこらの市場で流通するものじゃないのよ。知り合いの魔術士に作ってもらったって考えるのが自然だけど……失礼を承知で申し上げれば、これはルドルフ様のお力以上の代物のようだわ」
「作ったのは誰か、こいつの母親が所有していたのはなぜかってことか」
ヨハンは両腕を組んで思案する。レオナは生徒に正解を出す教師のようにうなずき、ディルクに視線を戻した。
「お母様のお名前は?」
「ジルケですが……」
「うーん……聞き覚えがないわね。もしかしたらお母様も魔術士って気もしたんだけど」
「それはないと思います。母は先の内戦で亡くなったんです。魔術士だったら自分の身くらい守れたのでは……」
「……悪かったわね。無神経な発言だったわ」
レオナは殊勝な態度で謝ったあと、オスヴァルトを見た。
「なにか聞いてませんか? ルドルフ様とは親しかったですよね?」
「……生憎だが、なにも」
「そうですか……。完全に手詰まりですわね」
レオナは残念そうにため息をつく。
ディルクは胸元の翡翠を強く握りしめた。
今なら父が外すなと言った意味が推し量れる。
この魔術具に秘められた効果が、おそらく自分には必要なのだ。
そしてもうひとつ重要なことが判明した。
(僕には魔力がある)
その事実はディルクを高揚させた。
おそらくとっくに気づいていただろう父が、なぜそのことを伝えてくれなかったのかはわからない。
しかしこれは武器になる。父を殺した犯人を追うための、強力な武器に。
姫、とオスヴァルトはローザリンデに話しかけた。
「ルドルフが入手した情報と彼を殺した犯人は、私が――」
「僕が突きとめます!」
オスヴァルトの言葉にかぶせてディルクは言った。
オスヴァルトはやれやれと片手で額を押さえる。
「俺は反対だ」
その制止を聞かず、ディルクは言い募る。
「僕にも手伝わせてください。この手で明かしたいんです。父が殺されたわけを!」
「ディルク!」
「……オスヴァルトはディルクの身を案じているのですね」
ローザリンデの発言に、オスヴァルトはぼそぼそと答える。
「ルドルフの希望をかなえてやりたい……それだけですよ」
「なるほど、あなたらしい理由ですね。……ですが」
ローザリンデは真剣な顔つきになった。
「魔術士は我が国にとって貴重な存在です。力が発覚した以上、今後についてきちんと考えなければなりません」
「それはそうですが、しかし……」
「ですから私は彼の要望を認めたいと思います。オスヴァルト、ディルクとともに真相を究明してください」
それを聞いて、ディルクは表情を明るくした。
オスヴァルトは不服そうに口をつぐむ。理解はしても納得はしない、そんな表情だ。
ローザリンデは問答無用で話を進める。
「レオナ。ディルクに魔術を教えてあげてくれる?」
「……姫様の頼みですもの。おこたえするのに、やぶさかではありませんが」
レオナは皮肉るように大きく肩を落としてみせた。
「魔術士不足は深刻ですわね。ゴルトベルク様ももっと人手を回してくださればいいのに。姫様付きがあたしとバカ弟子と新人だけなんてありえませんわ」
「うっせえな。そっちこそバカ師匠のくせに」
「そんな口きいてただで済むと思わないことね」
レオナとヨハンの間に火花が散った。師弟と称するにはだいぶ険悪そうである。
ローザリンデは苦笑いしながらディルクに向き直った。
「レオナの腕は間違いないわ。学べることはたくさんあるはずよ……きっと」
「そ、そうですか」
「ヨハンは勉強熱心なの。意外と面倒見いいから兄弟子としてよくしてくれるわ……たぶん」
「は、はあ……」
ちらりとヨハンを見る。視線に気づいた彼と目が合ったが、不機嫌そうにそらされた。――先行き不安なことこの上ない。
「やめるなら今のうちだぞ」
「まさか」
オスヴァルトには即座に否定を返す。その選択だけはない。
ローザリンデはディルクの決意を歓迎しているようだった。
「今日からあなたは私の魔術士です」
それを聞いた瞬間、どきりと胸が高鳴った。
ローザリンデは真摯なまなざしでディルクを見つめている。その視界に自分が入っていることが気恥ずかしいことのように感じられた。
「これから私の力になってくれることを期待します」
「ありがとうございます。精進します!」
ディルクは深々と頭を下げた。オスヴァルトはがしがしと乱暴に頭をかく。
「腹をくくるしかないか……。せいぜいお守りに励みますよ」
それから真顔で続けた。
「それよりも、姫。気にすべきことは、ほかにもあるのでは?」
「……黒衣の賊のことですね」
ローザリンデの表情に陰りが差す。オスヴァルトは首肯した。
「お気づきでしょうが、賊の得物は幅広で片刃の」
「ええ。ザイデルが好む刀剣でした」
不穏な話の流れにディルクは身を固くする。
オスヴァルトは目つきを鋭くした。
「奴らの仕業なら由々しき事態です。姫が小隊のみで移動することも、その経路もばれてたんですから」
「ザイデルに情報を流し、手引きした者がいる……そう言いたいのですね」
ローザリンデは重々しい空気を吐きだすように言った。
レオナは思案深げに細い指を顎に添える。
「ですが、ザイデルは貧しい国ですわ。たとえ金銀を積まれようとも高が知れています。向こうに寝返ったところでなんの利益も生まないでしょうに」
「金目的とは限らないさ。ルドルフの死にも関係してるかもしれない。慎重になるに越したことはないだろう」
オスヴァルトは声を低くした。
「裏切り者は近くにいるかもしれないんだ。……たとえばこの場の誰かとか」
彼の発言を受けて、場の空気が緊張にこごったようだった。
確かにその可能性はあるとディルクも思う。
もし父を殺した犯人と内通者が同一人物なら。なおかつこの中にいるとしたら――?
思わず周囲を見回したが、答えが転がっているはずもない。根拠のない疑いは強い不快感をもたらし、自己嫌悪に陥りそうになる。
レオナはオスヴァルトをにらみつけた。
「オスヴァルト様、言葉をお控えくださいませ。仲間を疑うなんて、そんなこと……」
オスヴァルトは引き下がらない。
「情に棹さすことは俺の仕事じゃない。姫も事態を重く見るべきです」
「その裏切り者がオスヴァルト様である可能性だってありますよね。敵側に魔術士がいることは明らかですが、だからといってオスヴァルト様が容疑者から外れるわけではありませんわ。魔術士の協力者がいればいいだけの話ですもの」
「……そうだな。それについては否定しない。だが俺は……」
「あのさ、仲間割れなんてくだらなくねえか。疑心暗鬼になっても仕方ねえだろ。そのせいで姫が足下をすくわれたら本末転倒じゃねえか」
ヨハンがあきれたように口を出す。
喧々囂々としかけた場を収めたのはローザリンデだった。
「皆の意見はわかりました。ですが、ここで議論を続けても結論は出ません。まずは情報を集めましょう」
彼女はディルクとオスヴァルトに視線を注いだ。
「オスヴァルト、ディルク。頼みましたよ」
「微力を尽くします、姫」
オスヴァルトは恭しく頭を垂れる。
ディルクもそれに倣いながら、ごくりと唾を飲みこんだ。
思った以上に大事だ。真相を明らかにしたいという願いはあくまで私情だったが、どうやらその程度の話に留まらないらしい。
父の敵はローザリンデの敵。つまり国家の敵でもある。
遅まきながら、ようやく事態の重さを実感したのだった。
今夜はここでお開きになった。
ディルクはオスヴァルトとともに天幕を出た。
星空の下を歩きながら、オスヴァルトは本日何度目かのため息をついた。
「結局こうなってしまったか……」
「……せいぜい励むんでしょ、お守り」
「あの場はああ言うしかなかっただろ。ったく」
彼は悪態をつくが、その目は存外優しかった。
「この親不孝者め。……と言いたいところだが、これがあいつでも同じ道を選ぶ気がするよ」
彼はディルクの頭に手を置き、鳶色の髪をくしゃくしゃにかき回した。
「やっぱり親子なんだな。似てるよ、そういうところ」
その青い瞳はディルクを通して別のなにかを見ているようだった。
その手を振り払ってはいけないように思えて、ディルクはされるがままになった。――彼が手を放した頃には、すっかりぼさぼさになっていたけれど。
「父さんと本当に仲よかったんだね」
「ただの腐れ縁だって」
「いろいろ教えてよ。父さんの昔のこと」
「また今度な。今日はもう休め。疲れただろ」
そうこうしているうちに、用意してもらった簡易の天幕に着いた。オスヴァルトやヨハンと使うことになっている。
中に入ろうとするオスヴァルトの後ろでディルクは足を止めた。
「……ねえ、オスヴァルト」
「なんだ?」
「……姫将軍ってなんかすごいね」
「……そう見えるか?」
オスヴァルトが振り返る。ディルクはぽつぽつと続けた。
「僕と同い年で、しかも女の子なのに、僕とは全然違って、なんか……」
打ちのめされた、という本音はのみこむ。
それでも察するものがあったのか、オスヴァルトは苦笑した。
「気持ちはわからないでもない。だがあまり気にしなくていい。特殊な事情があるだけだ」
「特殊な事情?」
「そうせざるをえなかった、ってことだ」
「どういうこと?」
「話せば長くなる。今日はもう休みなさい」
彼はさっさと天幕の奥へ消えた。ディルクは不満に思いながらも続く。
手早く寝支度を終え、毛布にくるまると、泥のように重い疲労感に襲われた。
(まだわからないことだらけだ)
父の秘密に触れるたび、迷路に迷いこんだような気分になる。
(父さんはなにを知って殺されたんだろう)
内通者の正体だろうか。ばらされる前に始末されたのだとしたら――
枕元に置いていた父の短剣をそっと取り、胸に抱く。
魔術士としての力を見につけるのはもちろんだが、この短剣も扱えるようになりたい。
(強くならなければ)
今のままでは、なににも手が届かないのだから。