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「で、まず聞きたいのはさ、昨日の契約についてなんだけどさ」
朝食を終えた慶一郎は、自身の前に美しい姿勢で正座する咲月に問いかける。
「はい。妖怪との契約、つまりは主従契約ですね。これは人間と妖怪のどちらかが相手の血を取り込む事で相成ります。この場合契約を持ちかけ、血を取り込んだのは私なので、主人は慶一郎さんになります」
「その、契約において血って重要なファクターを担ってる?」
「ふぁくたあ?」と可愛らしく首をかしげる咲月。成熟した女性らしい見た目に反した動作だったが、咲月が行うと不思議な程に似合っていた。
「あーつまり、重要な要素を担ってる?」
「そうですね。血の交換を行う事で、妖怪側は能力の向上、人間側は契約妖怪の能力を一部行使出来ます。先程私が行ったように傷の回復を早めるとか、ですね。でも、過ぎたる血の交換は取り返しのつかない事になってしまいます」
「というと?」
「私達に近づきすぎて人に戻れなくなってしまうそうです」
「なるほど」
「私からも主様に質問してもよいですか?」
「ほいどうぞ」
「主様はこの時代の方ではないですよね?」
「ご名答。たぶんだけど、俺は今からざっと四百年以上先の未来から来てる」
「そうですか」
慶一郎は衝撃的な事実を告げたつもりだったのだが、咲月は存外平然としていた。
「驚かないんだね」
「ええ。匂いが違いましたから」
「え、俺臭う?」
「ふふ、違いますよ。主様からはこの世界とは違う、どこか優しい匂いがするんです」
「ほえー全然わからんけどそうなんか」
「ええ。主様はこの後どうされるか考えていますか? 未来から来たのであれば、この先何が起こるか知っているわけですから。咲月はどこへでも付き従いますよ」
「そこなんよね。俺のいた未来では、鬼が存在したっていう記述はないんだよ。だから、ひょっとしたらこの世界は直接俺のいた未来に繋がっていない世界の可能性があるんだよね。そうすると、俺の知っている通りに物事が起こるとも限らないのよ」
「なんと! それは困りましたねえ」
言葉の割に咲月は困ったという様子は見せなかった。むしろ、喜んでいる節すらあった。
「では、国を盗ってはいかがでしょう?」
「んーそれは何、俺に天下を取れと?」
「はい。とは言ったものの、乗り気ではないようですね。何か理由が?」
「バタフライエフェクト、日本語でいうと風が吹けば桶屋が儲かる、かな。未来の人間が過去に干渉しちゃうと未来が正しい形で作られない可能性があるんだ。そうなっちゃうと、最悪俺という人間が存在しない未来が作られちゃうかもしれないから下手な事したくないんだよね」
「そうなのですか……残念ですが、しょうがないですね」
「ごめんね。きっと咲月は何か目的があって俺と契約したんだよね? 今からでも契約破棄しても構わないからね?」
「それは無理です。一度交わしてしまった契約はどちらかが死ぬまで続きます」
「あー申し訳ないけど俺を殺すのは勘弁して」
「ふふ、安心してください。咲月に主様を傷つけるつもりはありませんよ? それに、咲月程の位の妖怪は、そもそも契約出来る相手が限られていますから」
「……もしかして、咲月って結構妖怪の中でも上の方にいたりする?」
慶一郎の問いに、咲月は人差し指を唇に当て少しの間思案して答える。
「咲月の父である酒天童子は鬼の頂点にある方ですから、半鬼とはいえ、その血を引いている私に叶う鬼はそれ程多くはないはずです。それに、酒天童子とまともな戦いが出来るのはぬらりひょんや九尾の狐、大天狗、八岐大蛇等ですかね。まだいるでしょうが、すぐに出てくるのはこの辺の方々です」
慶一郎は挙げられた妖怪のそうそうたる名前に面食らった。挙げられた名前の全ては、日本人の大半が一度は耳にした事があるはずの大妖怪だ。酒天童子も有名ではあるが、それら妖怪と比べると一段落ちると思ったが、流石は教科書に載っているような大妖怪。その実力はとんでもないもののようだった。
「……なんか、尚の事ごめん。そんな強いのに、俺のせいで行動縛っちゃって……」
「いえ、構いませんよ? たまには穏やかな日々を過ごすのも悪くありません。お父様の側にいた時は、毎日が荒事ばかりでしたから」
「そっか、ありがとう。でも、なんであんな所に監禁されてたの? あ、答えづらかったら全然答えなくても大丈夫だよ」
「お気遣いなく」と言って咲月は微笑んだ。「人や妖怪を殺して過ごす毎日に嫌気がさして、それをお父様に伝えた所、ああなりました」
「咲月は人や妖怪を殺す事に抵抗があるんだ?」
「抵抗、というよりも意味を感じ取れなかったんです。お父様は鬼が住みやすい世を作るために必要な事だと言っていましたけど、そもそも、お父様が人里を襲い始める前までは鬼と人間達は住み分けが出来ていたそうなんです。その均衡を壊してまでしたい事が咲月には理解出来なかったのです」
「住み分け、ねえ」
「何か気になりましたか?」
「ああ、ごめん。実はさ、さっき俺のいた世界には鬼はいなかったって言ったじゃん? あれ、ちょっと言い方が悪くてさ、正確には空想上の怪物として鬼なんかの妖怪がいた事になってるんだ」
「空想上、ですか……」
「うん。源頼光や安倍晴明とかっていう有名な人達が退治したーって教科書に書いてる。それこそ、咲月のお父さんだっていう酒天童子は、俺の世界じゃ源頼光に倒されたっていう事になってる」
「源頼光であれば、私が生まれて少し経ったくらいの頃にお父様に戦いを挑みに来たそうですよ?」
「マジ?」
「まじ?」
「ああ、本当に? っていう意味」
「なるほど。何分私も子供の時分だったので、直接見たわけではないので又聞きになってしまいますが、決闘をして源頼光が負けたそうですよ」
「頼光がその後どうなったかって知ってる?」
「いえ。ただ、お父様に負けておとなしく人里に戻っていったそうです」
「あーマジかー」
慶一郎はガシガシと頭を掻いたと思ったら、畳の上をゴロゴロと転がり始めた。
「どうされたんですか、急に転がったりして」
「いや、マジどうしようかと思って。歴史書ってね、偉い人が下々の者に自分はこんだけ偉いんだぞーって誇示するために作らせたりする事があるんだよね。とするとだよ? 源頼光さんは勢い勇んで咲月のお父さんに戦いを挑んだはいいけど、負けちゃったよね? でももし、源頼光さんがやんごとない人で、鬼に負けちゃったなんていう悪評が広まってしまっては困る、なんて状況になったとするじゃん? 咲月ならどうする?」
「主様の話を聞いて、ですよね?」と咲月は慶一郎に目で確認した。「嘘の歴史書を作らせます」
「だよね。今の話で、ひょっとしたらこの世界、時代って言った方がいいかな、は直接俺の生まれ育った時代に繋がってるかもしれないって事がわかった。でも、やっぱり気になるのはあれだけの規模で鬼と人が戦をしたっていうのに、その記述が後世に残っていないって事。つまる所、やっぱりこの世界は俺の世界に繋がっていない可能性の方が高い。似てるけど違う、いわゆるパラレルワールドって奴だね」
「……で、話が戻る訳ですね。これからどうしましょうか……」咲月はいつの間に用意したのか、湯呑みを傾けていた。「あ、主様のもありますよ? はい、どうぞ」
と言って差し出された湯呑みを傾けると、熱いお茶が食道を通って胃の中に広がっていくのがわかった。
嬉しいかな、日本人は日当たりの良い場所で熱いお茶を飲むと気分が和む。全くといっていい程希望のないこの先を、慶一郎は今この一時だけは忘れられた。