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 誰もいなくなった宿場の布団で眠る慶一郎に、咲月は自らの手首を切る事で滴った血を口移しで飲ませていた。その度に、慶一郎の身体にあったはずの傷が見る間に治っていく。この調子でいくと、完治するのはそう遠くないように思えた。


 しかし、それから更に一定量を飲ませると、咲月は突然行為をやめてしまった。代わりに、宿場の主人達を殺した事で使う者のいなくなった炊事場に立ち、慶一郎が目を覚ました時のための朝食を作り始めた。


 次第に漂ってくる味噌汁や焼き魚の匂いに釣られて慶一郎は目を覚ました。


 何か、とても大事な夢を見ていたような気がする……。


「知らない天井だ……」と言って慶一郎はフッと笑った。「一度言ってみたかったけど、恥ずかしいな……」


「お目覚めですか、慶一郎さん」


 そう言いながら入ってきたのは咲月だった。昨日着ていたボロ布から着替え、艶やかな赤の着物を着ている。あまりの美しさに、慶一郎は生唾を飲み込んだ。


「咲月?」

「はい、貴方の咲月です」


「やっぱ、夢じゃないんだよなあ」

「そうですね。主様は夢であってほしかったですか?」


「そりゃあもちろん――」もちろん夢であってほしかったと言おうとしたが、咲月が一瞬悲しそうに目を伏せたので「悩ましいところさんだよ」と言った。


 本音を言うと、夢であってほしかったが、命の恩人である咲月を悲しませるような事は言いたくない。かといって全くの嘘を吐くのもまた嫌だった。日本語というのはこういう時便利なもので、曖昧な答えに留める事が出来る。


「そうですか。ところで、どこか痛い所はありますか?」


 言われて確認すると、裂傷の類はほとんど傷が塞がり、僅かに後が残っている程度だった。一番酷かった外れた肩もハマっている。


「ん? そういや、ほとんど治ってるな……もしかして咲月、俺になんかした?」


「はい。血を飲ませました」

「はい?」


「ですから、血を飲ませました。あ、流石に肩は眠っている間にハメましたよ?」


「血飲んだら傷って治るもんなの……?」


「今の私達は、一心同体に近い状況にあるんです。半鬼である私の血を飲む事で、鬼の回復力を少しだけ得る事が出来るんですが、どうやら主様には妖怪との契約について説明する必要があるようですね」


「ぜひお願いします。一から教えていただけると大変助かります」


「でもまずは――」と咲月が言った途端、慶一郎の腹の虫が鳴った。「朝餉からですね」と言って咲月は苦笑した。


「もしかして、俺が腹減ってるってわかってた?」

 若干恥ずかしさに頬を赤らめながら問う。


「ええ、なんとなく。その内主様も私の事がわかるようになりますよ」


 よいしょ、と布団から起き上がると、慶一郎は自身の服が着替えさせられている事に気付いた。


「あれ、もしかして着替えさせてくれた?」


「ええ。血が付いていましたし、あの格好は眠るには適していないように思えたので」


 確かに、ジーパンにシャツで寝るにはかさばって安眠は難しいだろう。慶一郎は初めて着る着物、というよりも浴衣の動きづらさに少しだけ戸惑った。


「今お持ちしますので、こちらでお待ちください」


 そう言って咲月は部屋を出ていった。


「……至れり尽くせりだな。まるでメイドさんだ」


 咲月が何故ここまで自分に尽くしてくれるのか、その理由がわからない内にはなんとも居心地が悪かった。命の恩人をこんな風に思ってしまうのは申し訳ないが、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。だからといって、右も左も分からないこの世界において、頼りになるのは咲月だけなのだから、今は彼女を信用するしかない。それに、どうすれば元の世界に帰れるのか、そもそもここは自分の知る世界の過去なのか。


 問題は山積みだった。さしあたっては、昨日交わしたらしい契約の内容を知るべきだ。そう考えた慶一郎は背伸びをして深呼吸をした。少しだけ、気が紛れた気がした。


   ○


 先だって行われた遠征は無事、勝利に終わった。兵達が勝利に酔いしれる中、水色桔梗紋の羽織りを着た妙齢の美しい女性は思案顔をしていた。カッポカッポと馬の馬蹄が響く中考えるのは、昨日妙な鬼の動き。


「どしたのみっちー、難しい顔してさ」

 織田木瓜の描かれた甲冑を身に着けた信長が問う。何度見ても、南蛮から取り寄せた派手さのみを追求したその甲冑は見慣れない。白銀を主に作られたそれを、各所に施された金の装飾が輝かせる。何より目立つのは頭部に付けられた三日月の装飾だ。


 およそ機能美という言葉からはかけ離れたそれはしかし、信長のお気に入りの一品だった。大戦に出る際には、必ずこの甲冑を着込んでいる。


「殿。いえ、やはり昨日の鬼の動きが気になりまして」

「あー急に勢いなくなったやつ?」

「はい。それまでこちらの陣形を崩さんばかりの勢いをもって多勢で攻めていたというのに、急に勢いがなくなったばかりか、数自体も減った様子。どうにも違和感が拭えないものでして」


「切っ掛けはやっぱあれだよね、あの雷」

「はい。近衛殿の例を考えるに、また何かがここに飛んできたのだと考えるのが妥当ですが、昨日の戦では姿を現しませんでしたからな、どうしたものかと」

「竜馬ん時は気付いたら鬼殺しまくってたもんね。たまたまだったのかなあ」

「にしては機が絶妙過ぎます。やはり何かが来たと考えるのが妥当かと」

「だとしても、ウチに来ないんじゃ意味ないしなー。他所に行かれたら面倒だなあ」


 信長の言う通りだった。近衛竜馬や織田慶一郎といった人物はこの世界において天の御遣いとして捉えられている。天とはすなわち神であり、絶対の力を持っている。実際がどうであれ、その御遣いにもそれ相応の力があると多くの者は考えている。


その結果、天の御遣いを擁する国を攻めるというのは天に対する反逆であると考える者が一定数出て来る。

 神仏の影響が大きいこの時代においてそれはタブーであり、仮に攻撃を仕掛けようとも、肝心の兵の士気が上がらず、戦う前から敗色濃厚という状況が出来上がってしまう。


 だからこそ、弱小国だったにも関わらず、近衛竜馬という天の御遣いを擁する尾張は周辺諸国から攻撃を仕掛けられる事なく順調に戦力を蓄え、遂には徳川を味方につける事に成功したのだ。


 だがここで、慶一郎がどこかの国に転がり込んだ場合、天の御遣いを擁する国が二つ出来てしまう事になる。そうなると、徳川が行ったようにどちらかの陣営につき、正当な国盗り合戦を行う事が出来てしまうのだ。それに、各所から放たれた草と呼ばれる情報収集専門の忍者達が竜馬の情報を集めつつあった。そのせいで、竜馬達がただの人間だという事に気付き始めた領主達も出てきている。


「困るなー。草使って早いとこそれらしい人見つけてウチに連れてこれないかな」

「指示しておきますが、あまり期待はしない方が良いかと。仮に見つかっても、織田家につくとは限りません」


「んー。どうしたもんかなー。いや、参ったね。鬼との戦いで消耗してる今、武田や上杉なんかに攻められたら目も当てられないよ」

「なんとかして二国の内どちらか一方でも我が陣営に加えられればよいのですが……」

「いやー無理でしょー。だってあのヒゲがわしの下につくわけないじゃん。あんな壊す事しか考えてないジジイが味方になるわけがない」


「上杉軍は……近衛殿が毘沙門天の遣いと言って……いえ、こちらも無理でしょうね」

「でしょー? だからさー早いとこ足利さん家に行って権威借りないと。そろそろ天の御遣いだなんだって話の信憑性を疑い始めてる連中も出てきたし」

「ですな」


 信長に同意した女性は、今度は今後の自分の身の振り方について思案しだした。自分は今後も織田に仕えるべきなのか、謀反を起こすべきなのか、何が一番自分にとって利のある行動なのか。考えは尽きなかった。


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