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URAshima taro

作者: *shima

 「あやつはもうすぐここに来る」

 「でも乙姫さま」

 「さあ、早く行くのじゃ」

 これは奴への最後の試験。亀には悪いが、少し体を張ってもらわねばならぬ。まあ固い甲羅のおかげで他の臣下よりダメージは少なくてすむはずだ。

 そう乙姫が考えている間に、亀は砂浜に到着した。巨大な体躯の亀を見て、人間の子らがもの珍しさに寄ってきた。と思うと、のたのた歩きまわる亀を、案の定面白がって棒でつつき始める。

 乙姫はため息をついた。計算通りの行動といえ、人間とはなんて醜い性根の持ち主だろう。まだ幼い子どもでさえ、異質なものを受け入れはしない——。

心ふさがる彼女の眼に、ターゲットの姿が映った。そう、落ち込んではいられない。これは試験本番なのだ。犠牲を強いている亀のためにも、判断は的確かつ迅速にせねば。

 予想に反し、標的は亀を見て素通りしなかった。

 (よし)

 子どもたちに亀を助けてやるよう話しかけている。

 (よし)

 そしてごねる子どもの一人に、光る小さな何かを渡した……?

 (——終わりだ)

 銭、銭、銭。結局あの男の頭にはそれしかない。それで何もかも解決できると浅はかに信じているのだ。生き物の命を慈しみ、自らの体を張ってでも亀を助けてくれたなら、見逃してやろうと思ったのに……。

 海上にしぶきをあげて、乙姫は亀に合図を送った。

 (計画実行。速やかに竜宮城へ送り届けるよう——)


***


 生きとし生けるもの、強きが弱きを食らうのは自然の理。それは海の民とて知っている。

 しかしあの男——。

 巧みな技で大量の生命を奪ってきたウラシマタロウ。

 われらが仲間を釣りあげては、金に換えてきた薄汚い輩。

 必要以上の殺戮。自然を超えた、我儘放題のその行為をゆるしてはならぬ。

乙姫はひとり決意を胸に、海底深くへ潜っていった。きらびやかなうろこに覆われた体は海蛇のようにうねり、水を切って進む。静かに、深く、まっすぐに舞い降りていく。

 最も暗く冷たい海には、幻覚を呼ぶ海草が生えている。海の民にとっては気分がすっきりする程度の効能だが、陸の生物の皮膚に触れたときの効果は絶大だ。

 乙姫はこれを身体いっぱいに包んで持ち帰り、ウツボたちに命じて竜宮全体に敷き詰めさせた。生命力の強いこの草は、摘んだ後も何年か、胞子で増えていくはずだ。最後の仕上げに自ら放った数本が海水にゆれてふわふわと舞い、城門までの道を埋めた。

 ちょうど準備が済んだそのとき、門の開く気配がした。

 「乙姫さま、客人を連れてまいりました」

 開演時間だ。乙姫はにっこりと表情を作って振り返る。

 「ようこそおいでくださいました」


***


 奴にとってここは至上の楽園に見えているようだ。

 何もない空間をうっとりと見つめ、魚らの糞や砂利をおいしいおいしいと言ってほおばっている。例の海草は増えて部屋の半分を埋め尽くし、奴に美しい幻を供給していた。

 そんな様子を一週間見続けるうちに、奇妙なことだが、乙姫はだんだんこの男が哀れになってきた。

 まだ生まれたばかりのおろかな生き物。

 ここに住まわせていれば、海の民を襲う危険もない。

 情けとも愛情ともつかぬなにか不思議な感情が、長く孤独だった姫の胸をしめつけた。

 「亀よ、わらわは奴を飼ってみようかと思う」

 「飼う……ですか?」

 「ああ。毎日餌をやって、名を呼び、遊んでやるのじゃ」

 亀は不思議そうな顔を浮かべていた。無理もない話だ。幽閉と飼育ではまるで印象が違う。

 「でも乙姫さま、奴は地上の生物。我々の100倍のスピードで衰えていきます」

 「ふむ、確かに」

 竜宮の時間の流れは非常にゆっくりで、地上のそれとは異なっている。陽が差し込まないので奴が気づくことはなかろうが、体だけはどんどん年老いていくはずだ。

 やはり飼うのはやめて、予定通り朽ち果てるのを待つか——。

 「ひとつ、方法があるかもしれませぬ」

 亀が重々しく口を開いた。

 長寿の亀族は年齢をコントロールする術に長けており、先祖代々それを伝えているのだという。

 「私の祖父に尋ねれば、もしかすると」

 「わかった。頼むぞ」

 奴の進退は亀のみぞ知る。それはそれでよいかもしれぬ。


***


 次の日、さっそく亀は祖父から小箱を預かり戻ってきた。

 「奴の老いをこの箱に込めて保管するのです。そうすれば体は今の姿のまま、ここで万年過ごすこともできましょう」

 亀は続けて注意事項も説明した。

 「老いは持ち主から遠く離すことはできませぬ。奴が竜宮を離れることがあれば、この箱を必ず持たせるのです」

 乙姫はうなずき、黒くて軽い小箱を受け取った。

 この日から、乙姫によるウラシマタロウの飼育が始まった。藻を食べさせてやり、たわむれに魚の群れを見せてやる。体をなでてやると気持ちよさそうに、だらしなくのけぞった。

 タロウはもう、大量の命を奪った恐ろしい生物には見えなかった。か弱く、情けなく、庇護すべき稚魚のようだった。その無防備な姿は、長い年月たった一人で大海を統治してきた乙姫の心を少なからず癒した。

 かくして月日が過ぎた。


***


 「チチウエトハハウエニアイトウゴザイマス」

 飼い始めて3年ほど経った頃、タロウがこう繰り返すようになった。もう思考力などなくし、地上のこともすべて忘れたものと思っていたのに——。乙姫は戸惑った。

 「チチウエトハハウエニアイトウゴザイマス」

 「チチウエトハハウエニアイトウゴザイマス」

 向こうではすでに300年のときが流れ、陸上にいた家族は遠い昔に亡くなっている。しかしそれを話せば、自分がタロウに恨まれてしまう。もう二度と一緒には暮らせない。

 乙姫が考えあぐねているうちに、タロウの様子がおかしくなっていった。

好物の藻も口にせず、部屋の隅で小さくなってうずくまっている。

 「……チチウエト…ハハウエニ…アイトウ…ゴザイ…マス」

 「チチ……ウエ……ハハ…ウエ」

 気持ちよかったはずの幻覚もいつしか恐怖に変わってしまったようで、タロウは海水を増やす勢いでさめざめ泣いていた。ときどき叫んだり、暴れたりすることもあった。そんなとき乙姫は扉を閉ざして放置したが、新たな海草を入れてやると落ち着く場合もあった。

 乙姫は心に問うた。——一度試しに帰してみるか?

 世界がなにやら変わっていることに気づいたら、困り果てて舞い戻ってくるかもしれない。

 「この小箱を持って行きなさい。でも、ここに戻るつもりなら、決して開けてはいけませんよ」

 タロウに渡した小箱はずしりと重くなっていた。


***


 「絶対に開けてはなりませぬぞ」

 ウラシマタロウには何度も何度も、しつこいほどに念を押した。

 これで頭から小箱のことが離れぬだろう。

 亀は岩場に隠れて様子を見ることにした。

 思いのほか長い時間がかかったものよ。

 ようやく念願かなうときがきたのだ。

 すこし前まで、亀は海で学校を開いていた。海の歴史や遠い海底の話など、長い半生で見知ったとりとめもない話を、教え子たちはきらきらした瞳で聞いた。通う生徒は鯛もカツオもまるで我が子のようで、亀にとってかけがえのない存在だった。

 あの日は亀の誕生日で、教え子たちは集って贈り物を探していたという。いいものを見つけようと夢中になるうちに、危険だと教えた陸近くまで泳いでしまったのだろう。

 そして奴——ウラシマタロウに釣り上げられてしまった。

 亀は大いに悲しんだ。

 奴を罰せねばならない、その使命感が心をいっぱいにした。

 しかし、海を司る乙姫様はただ数十尾の殺傷では動かない。強い者、工夫する者が弱きを食らう、それが自然界の掟だからだ。

 だから奴を大悪党に仕立て上げる必要があった。

 その日から亀は陸の人間による海の民の捕獲を、すべてタロウの仕業だと報告した。

 何百、何千の命の乱獲を聞いた乙姫様は怒りに満ち、とうとう処罰に乗り出した。その後、すこし遠回りはしたけれど、今確実にウラシマタロウを絶望の底に叩き込んだ。

 竜宮での300年の喪失を知った奴は混乱し、思惑通り小箱を開ける。

 白い煙に包まれた男は一瞬で老い衰え、ぱくぱくと苦しそうに息をすると、波打ち際に倒れこんだ。……あの子たちも苦しくて、身をよじって助けを求めただろうに。

 亀は瀕死のタロウを背に乗せると、もう一度海へと戻って水底へ沈めた。

 タロウの体を魚がつつき、サメが食らう。こうして命はめぐるのだ。

 亀の復讐がようやく幕を降ろした。


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