灯鼠衣はそこにいた
総じて現代遊戯とは、チュートリアルがあって然るべきである。このフルダイブゲームもその限りではない、と思っていたい時期が俺にもありました。ええ、放り出されましたとも、何の説明もなく森のど真ん中に。
てか、再現度がすげぇよ。
雨上がりなのかは知らないけど、ぬかるむ土が靴にまとわりつき重いし、つま先から熱が奪われ寒くてかなわない。
そればかりか、リアルタイムに合わせているのか真夜中である。月明かりで、影のようにそそり立つ木々が辛うじて見えるだけ。木の根らしきものに躓くこと数回。
初期装備なのか、俺の服は現実世界と同じ学生服だ。はじめこそ泥が跳ねないように気を付けていたが、今では膝まで泥まみれである。
俺は木に背を預け、一呼吸おく。この森に群生する木々は、日本ではお目にかかれない巨木ばかりである。大人10人お手手をつないで、やっと囲めるぐらいに太く高い。
手のひらでざらりと撫でるその木肌の感触は、現実世界と区別がまったくつかない。
鬼姫様に睡眠薬を盛られて、海外に置き去りにされてと言われても信じてしまいそうだ。
「このゲームって、サバイバルゲームだったのか」
おかしい。このてのゲームといえば、魔法を駆使して魔物と戦い大冒険が基本だろ。いや、ある意味大冒険だけども。せめて目的地を示してください。ぬるま湯上等の現代日本人では死んでしまします。
俺が本気で泣きそうになっていると、木々の間から光が差し込んで見えた。
「は、はは……っ」
意図せず笑いが漏れ、歩調が早くなる。そして、唐突に開けた場所に出る。
城。海と見間違いそうな泉が月明かりを返し、幻想的なプリズム光を振りまいている。その泉の中央に、純白の城が聳え立っていた。
「すげー、城だ」
日本人らしく淡泊に呟く。
しばし、城に見とれた後、俺はテンション高めで駆け出した。
城へと延びる橋を渡り、城門らしき場所に到達するまで、さらに一時間かかることも、同時刻に発生した事件も、俺は知らずにいた。
体を引きずるようにして、橋を渡り終えたおれは、城門までたどり着いた。
やったよ俺。たぶん去年の中間テストぐらい頑張ったぞ。
「あの、そんな装備で頭おかしんですか」
いつからそこにいたのだろうか。
橋に腰をかけて釣りに興じる、少女に声をかけられた。
闇夜に解けるような黒のローブ。少女が着るそれは、小柄な体にはあまりに大きい。フードを目深にかぶる少女の姿は、ローブに食われているような印象をうけた。
疲労困憊で視野が狭くなっていたようだ。正直橋を渡っているときは、無心で足を動かしていたからな。こんにも小さく黒い少女を見逃しても仕方ない。
「しかし、酷い恰好ですね。魔物にでも襲われてんですか?」
なんだ、魔物いるのかよ。超こわい。
俺は動揺を隠し、努めてイケメンフェイスで肩をすくめる。
「いいや、適当に森の中歩いてたら、道に迷ってただけだよ」
「そうですか。やっぱりあたまがおかしいんですね」
「なんでそうなるんだよ!」
不可抗力じゃん。仕方ないじゃん!
「だって、そうじゃないですか……」
少女は泉に垂らしていた釣り糸を巻き取り、釣り竿を肩に担ぎ立ち上がる。
「……このゲームで、軽率に森へ入るなんて、死ににいくようなものですから」
少女は言って、フードを払い素顔をさらす。
「はぁ、どうしようもない初心者のようですね。作戦開始まで日もありますし、私が色々教えてあげましょう」
少女の射殺すような視線が俺に向けられてる。
あれ? この少女、どこかで見たような……。
「……っ、あの、名前をきいてもいいかな?」
「ん? 灯鼠 衣ですけど」
間違いない。
流し見た資料に記された名前と一致する。
この少女こそが、今回護衛対象の衣である。