第3章(20)/14
「法廷が開くのは12時ちょうどです。それまでここで待っていなさい」
高級なスーツを身にまとった痩身の男は、そう言うとすぐにすばやい足取りで廊下の奥の方へと去っていった。まだとても若く、真二よりは10歳以上年下だろうか。男は真二の弁護士だと名乗っていた。真二が自分で国選弁護士をつけてもらうよう依頼はした覚えはなかった。刑務官の誰かが勝手に手続きを行ったのだろう。
個室の中は、刑務所の6人部屋よりもずっと狭くて、同じくらい薄暗かった。この部屋にだって、今回のようなことでもなければ一生来ることがなかっただろうと思って、真二は微かな哀愁に浸った。恐怖や不安は、不思議と感じない。自分の気がおかしくなっているのだなと思うことにさえ抵抗感がなかった。
裁判の時間はあっという間にやってきた。真二は部屋に入ってきた数人の警備員に連れられて部屋を後にし、法廷へと向かった。不思議と緊張感はない。というよりも、今回の裁判が自分とはまったく別の人物に対して開かれているような気さえしていた。
法廷までの道は一面防音設備が施され、思いのほかその道のりは短かい。どこまでも高い天井と、無機質な灰色一色の壁は、ここの全てはただ法律にのみ支配されていて、逃げる空間などどこにもないのだということを無言のうちに語って真二を見下ろしているかのようだった。警備員に囲まれてゆっくりと歩きながら、真二はその廊下を眺めていた。逃げ出すつもりなんかない。ここで全てを終わらせて、精算するつもりだった。
警備員が立ち止まり、それにつられて真二も足を止めた。目の前には荘厳ないでたちの扉が道を塞いでいる。警備員の一人が取っ手に手をかけ、そして思い切り開け放った。
最初に耳に飛び込んできたのは、漣のように法廷に溢れたどよめき声だった。傍聴席は好奇心に満ちた人たちで満員で、立って見ている人も座っているのと同じぐらいの数がいた。皆、真二のことを見て、互いに囁いたりじっとこちらをにらみつけたりしていた。スーパーでよく見かけそうな主婦から、学生と思わしき若い男、高齢で白髪だらけの男女まで、特徴を挙げていけばきりがなかった。そうした人たちで傍聴席がはちきれんばかりに埋まっている。
何が楽しくてこんな場所に来るのだろう。自分が犯罪者について分かったような気になるためだろうか。いかにも正義感で溢れるという目をした青年を横目に入れて、真二の胸の中に小さな怒りが灯った。
「被告人は席に着きなさい」
裁判長の声がそう命令した。
真二は警備員に導かれるままに席に着いた。誰もが真二の一挙手一投足に注目している。四方から降り注ぐ視線が痛いくらいだった。
真二はもう一度、今度はゆっくりと傍聴席に目をやった。真二の知っている人は誰一人としていない。
最前列には、遺影を胸に抱えた50代くらいに見えるの女性の姿があった。堂本弘雅の遺族だろうか。母親ということではあるまい。おそらくは堂本の妻だろう。まだ30台の後半だというのに、その顔には遠めから見てもはっきりと分かるような深いしわが刻まれていて、諦めたようなどこか遠くを見る目をしていた。この俺が夫を殺した犯人だとして処刑されれば、多少はあの人の心の傷も癒えるだろうか。
裁判長が高々と開会の宣言をした。騒がしかった法廷が一瞬で静まり返った。
法廷には裁判官、検事、真二の裁判官ずらりと並んでいる。彼らは今、俺に、青島真二に科せられる刑罰を決めようとしている。
刑罰は一度目の法廷よりもはるかに重いというのに、一度目ほどの恐怖はなかった。それでもやはり、空気は肌に痛い。
まずはじめに裁判官に関する基本的な確認が行われ、次に、罪状が読み上げられた。
「被告人、青島真二は、自身の勤務していた、横須証券株式会社の社員である堂本弘雅を、4月の23日頃、自身の乗用車車ではね、全身打撲で殺害し、さらにその遺体を、福岡県××市○○山の山中に埋めて遺棄した疑い、加えて同様の手口で同じく横須証券株式会社の社員、田中正志を殺害、富山県△△市□□山山中に遺棄した疑いで、7月13日に再逮捕されました」
「これから今朗読された事実についての審理を行いますが、審理に先立ち被告人に注意しておきます。被告人には黙秘権があります。従って、被告人は答えたくない質問に対しては答えを拒むことができるし、また、初めから終わりまで黙っていることもできます。もちろん、質問に答えたいときには答えても構いませんが、被告人がこの法廷で述べたことは、被告人に有利、不利を問わず証拠として用いられることがありますので、それを念頭に置いて答えて下さい」
一連の諸注意が終わると、真二の弁護士が立ち上がって、検察官が提示した証拠は不十分であり、犯行に被告人の乗用車が使われたからといって、必ずしもそれが被告人の手によって行われたものだとは断定できない、という旨の陳述をした。
まだまだ若いその弁護士が、自分の受け持った仕事の重大さを自覚して気合のこもったしゃべり方をしているのは、法廷にいた誰もが感じたことだった。
真二はこれから自分が何をしようとしているか、その意思を彼に伝えられないことを申しわけないと思った。
この話の中に出てきた裁判の内容については、不正確な部分が多々あるかと思いますが、どうぞご了承ください。因みに黙秘権に関する記述は、実際の裁判で言われる内容を引用したものです。




