第3章(17)/14
7月30日
真っ暗な山道の中の沿道を、車で走っている。
辺りはヘッドライトも吸い込まれてしまいそうなくらいに闇が立ち込めていて、早鐘を打つ心臓の音は不安の洪水で押しつぶされてしまいそうだった。
誰もいない。ライトの照らす目の前の10メートル以外は何も見えない。窓ガラスは閉めているのに車の滑走音に混じって森の木のざわめく音が聞こえてくる。車はまた一つ急なカーブを曲がった。
うそだ。嘘に決まってる。
心の中で何度もそう唱え続けていた。
突然、目の前の山道に、折れた枝や石以外のものが現れた。急ブレーキを踏む。車はそれにぶつかるギリギリのところで止まった。一目散に車から飛び降りる。
そこにあったのは倒されたガードレールでも、小動物の死骸でも、誰かが捨てたゴミの袋でもなかった。
ヘッドライトに照らされたそれに近づいてゆく。それはちょうど人の体の大きさで…
「おいどうした」
青島真二は飛び上がるような勢いで布団から起き上がった。全身に汗がべっとり張り付いている。
目の前にあるのはさっきまで見えていた山道ではなくて、小汚いコンクリート壁の4人部屋だった。
「うなされてたぞ。気味が悪いったらありゃしない。ぶつぶつぶつぶつ呟きやがって。目が覚めちまったじゃねえか」
半田が布団の脇に立って、こちらを見下ろしていた。
「もう朝だぜ」
「悪い。またあの夢を見てたから」
「ったく何なんだよその悪夢ってのは。いい加減中身を教えてくれたっていいじゃないかよ?」
「いろいろとあったんだ」
そう。本当にいろいろなことがあった。だから俺は今ここにいる。ロイヤルマンション坂田のような豪華な部屋とは比べ物にならないくらい質素で、アンモニアと汗のにおいで蒸しかえる8畳間に。
「別に恥ずかしがるようなことじゃねえだろ。俺だってお前にいろいろとしゃべってやったじゃんか。隠し立てするようなもんじゃないぜ」
「事情があるんだ。察してくれよ」
捕まったってのに何をいまさら、と言って半田は不満そうな顔をした。
確かに、これがただの犯罪で捕まって終わりということだったら俺だってとっくに全部話してるだろう。だけどそうじゃない。まだ何もかも暴露するわけにはいかないのだ。
「おい!もう朝だぞ。起きろ。おまえらそいつらを起こせ!」
「はい!]
いつのかにか刑務官が部屋の前に来ていた。刑務官の命令には絶対服従だ。半田は彼が遠くに行くまで待ってから小さな声でささやいた。
「危なかったな。見つかったのが坂田の親父(刑務官のこと)じゃなかったら絶対に懲罰だぞ」
半田と青島は2人で寝ている4人を起こしにかかった。
起床は6時40分。7時50分までが朝食の時間だ。
時間厳守、私語厳禁、異動時には掛け声、これらは刑務所内の鉄則だ。守れなければ間髪入れずに刑務官の制裁の拳が飛んでくるし、その後は懲罰が待っている。
懲罰の対象は恐ろしく細かく、厳格で、その懲罰自体もとても耐え難い物だった。
さっきのように、起床時間前に話しをすることはもちろん、作業中にわき見をしたり、食べ物などの受け渡しや、水を使って物や体を洗ったりしただけでも5日から10日の懲罰になる。喧嘩や論争は、20日の懲罰だ。
そうした細かな違反が、絶え間なく監視を続ける刑務官達の目に入ればすぐに取調べと懲罰審査会が開かれる。
懲罰と言うのが、これが鞭で叩かれるとか肉体的なものではなくて、起床してから他の囚人たちが作業を終了するまでの時間、正座と安座をただひたすらに繰り返してじっと一点を見つめ続けていなければならないのだ。
真二は入所してすぐに不注意で懲罰を受けてから、7日間の懲罰を受けたが、それはまさに苦痛という言葉でしか言い表せなかった。時間だけがひたすらゆっくりと流れ続け、窓から漏れる太陽の光を眺めることぐらいしかすることがない。
そんな日が1日となくひたすら続くのだ。
そんな7日間が終わると、今度は工場を別のところへと移されて、等工が落とされ、作業金が減らされ、さらにはすずめの涙のような所持金を削りとられる。場合によっては刑期が2、3年伸ばされることもある。
作業は民間企業や国の製品を受注して作るといったもので、自給は10円にも満たず、一ヶ月の収入は千円と少し。最低労働賃金で計算して食費などを合わせてみると、囚人はただ飯ぐらいというイメージは、とんだ思い込みだということが分かった。




