第3章(7)/10
「もういいだろう。とにかく分かってるな。金を持ってこなかったら全てをばらして、お前達が二度と人前を歩けないようにしてやる。いや、こんな事を話されれば、いやでも人前に出たくなくなるかな?」
「だけど、金なんてない」
「君は仮にも大会社の経営を勤めた男の息子だろ。それぐらい何とかしろよ。10万円で我慢してやったのはむしろ情け深いくらいだよ。それに君は親に頼んなくたって自分の力でやれるだろう」
思わず息を呑んだ。無意識のうちに後ろへと目を移し、台所の母さんの様子を伺った。水場前のカーテン越しに動いている影が見える。
「それは・・・盗めってことか」
「それ以外にあるか?」
容赦なく、言う。
「できるわけないだろう。もうやめたんだ。それだけじゃない、10万集めるためにどれだけやらなきゃいけないと思ってるんだ。それこそ」
「ああ。それこそかなりの人数を相手にしなきゃならないだろうな。場合によっちゃ捕まることも十分に考えられる」
「無理に決まってるだろ。期日まであと何日だ。自分で言ったことだろ。それとも、延ばしてくれるって言うのか」
言ってから、一輝は自分がその気になっていることに気づいてぞっとした。やはり、俺は心の奥底の部分ではあの頃から何も変わっていないのだろうか。もっとも、1年近い期間は10数年の人生の中ではあまりにも長く、そう簡単に抜けきれるものでもないのかもしれない。けれど、いつまでそれが続くのだろうか。一輝はあんなことをしながらも、どこかで、いつかは自然としなくなるだろうと思っていた。だからこそ平気でやれていたという所があった。あくまで、人生の中の一部分、一過性の嵐のようなものだと思っていたから。
けど、本当にそうなのか?人は、そんな簡単に過去から切り離せるような物なのだろうか。
一輝は今はじめて自分の考えていることが単なる思い込みなのだと気づいた。テレビをつければ簡単に見つかるような人生の転機、起死回生のストーリー、そんなものは所詮想像上の物でしかないのだ。過去は常に人にまとわりつき続ける。一度に切り離せる物では決してない。俺は無意識のうちに、テレビや小説でしかありえないような都合のいい理屈だけを信じていたのだ。人は簡単には変わらない。体の中に降り積もった欲望は、身を潜めることはあるけど、勝手になくなることはない。一度押し上げられてしまった欲望のラインは自然には下がらない・・・
「君はもう戻れないんだよ。自分がそういうことをし始めたときに考えなかったのか。自分のしていることはどういうことかってって。少なくとも、普通に考えれば分かるさ。中学生の坊主が手を出すには早すぎた。そして、一生、君は自らの責任を背負って生きるんだ。死ぬまで。一生。罪を消すことはできない。人生に取り返しはつかないんだ。僕から逃げることなんてできないよ。馬鹿だよ、君は」
こらえきれないと言う風にこみ上げる笑いが相手の声について出てきた。機械がその声を写して一輝の鼓膜にいつまでも、いつまでも響いている。
俺は馬鹿だ。本当に、馬鹿だ。もうどうしようもない。俺は、人生をなめていた。
「やめろ」
は?と妙に甲高い機械の声が応えた。
「やめろ!!」
一瞬、空気が凍りついた。流しの水が流れっぱなしで音を立て、カーテン越しの影が固まった。笑いが受話器の向うに吸い込まれた。もうやめろ。言うな。俺にこれ以上聞かせるな。今は、まだ、やめろ。
「ははっ」
一度消えた笑いが炸裂した。
「ははははっ、笑える。マジで笑える。何だ?今までなんだかんだで余裕ぶっこいててさ、いまさら『やめろ』だって?いざきつくなると、今度は現実逃避か?笑わせんじゃねえよ。君ってどんだけ自」
受話器が、鋭い音を立てて電話に叩きつけられた。
大西が何か言っている。どうなったのか聞いているのだろうか。一輝はそれも切った。
何も無い。何も聞こえない。何も見えない。何も、分からない。
もういいのだ、どうだって。何だってなるようになる。だから、俺にできることなんてない。考えるのはやめた。
考えたくなかった。




