第3章(5)/10
「あせってる?」鼻で笑う音が聞こえた。「どうして僕があせんなきゃいけないんだ」
横に座っていた母さんが立ち上がって、台所に戻っていった。喉につかえていた重りが軽くなった。
「そんなことしるか」
「いい加減なことを言うなよ。あせらなきゃいけないのは君のほうだろ。このままだとまずいんじゃないかな。君が今までしてきたことが知れたら、君の周りの人たちはなんて言うかな」
またもや笑い声がこぼれた。冷ややかな空気が耳を伝ってくるようだった。
「まあ、普通の生活はできなくなると思うね。犯罪者の親子か。父親のほうは会社をつぶし、息子は夜な夜な盗みをはたらくろくでなし。おっと、これはこれで面白いかもしれない。君は父親のことをまだ誰にも言ってないんだろ。どうせならそのことも言いふらしてやろうか」
「やめろ」怒りと恐怖で受話器をつかんでいた手を握りしめた。全身の皮膚から冷や汗が吹き出た。
「家も引っ越さなきゃいけなくなるんじゃないか?最近また引っ越したばかりなんだろ」
「どうしてそんなことを知っているんだ」言いながら、空いているほうの手で拳を握った。当たりだ。電話口で話している声の主が誰なのか、今はっきりした。
母さんに聞こえないように声を潜めた。「父さんのこともだ」
「さあね。自分で考えたら」
「じゃあ、その答えとやらを言ってやろうか」
鎌をかけてるんじゃないことを分からせるため、すごんでみせた。
「答え?」
「そう。お前がどうして父さんや、俺が竹田たちとしていたことを知っているのか」
「言ってみなよ」
電話の相手は考えの読めない、無表情な声に戻っている。
台所に視線をやった。流しから水の流れる音がする。
「お前は、大西だな」
確信を持って、言った。相手は何も言ってこない。図星なのか、外れていてまたもや一輝を鼻で笑うつもりなのか、とにかく黙っている。
「俺達がしていたこと、父さんや俺の住んでるところを知ってるのは、あのメンバーだけだ。それに岸田たちを襲わせるのも、お前の付き合ってたっていう連中に手伝ってもらえばできた。そうじゃないか」
声ににじんでしまう自信のなさを隠そうとして、威嚇するようなこわばった言い方になってしまった。それでも相手は何一つ言葉を発してこない。一輝は電話の向こう側を見ることを強く望んだ。一体どんな顔をして聞いているのか、それが見れるのなら。
「無理やり解散させたから、その報復ってことか?」
電話口からはかすかなかすかなノイズの音が流れてくるだけだった。
「何とか言えよ」と言おうとした時だった。ノイズ以外の音が耳に入ってきた。一瞬、反論をしてきたのかと思ったが、聞こえてきたのは耳ざわりなボイスチェンジャーの声ではなかった。
「何がおかしいんだよ」
笑っている。一輝は耳を疑った。機械を通していない肉声、それだけじゃない。聞こえてくるのはどちらかと言えば柔らかくて弱弱しく、人を馬鹿にしたような高い声で、大西の太く大きな声とは似ても似つかなかった。
「やっぱりね。やっぱりそう思うよね。だけど残念ながらその回答は外れだ。そればかりか君はとんでもない人に濡れ衣を着せてる。そうだ。ちょうどいいから大西君に電話してみなよ。きっと面白いことになる」




