第3章(2)/9
1時間くらいして、車は廃工場の前へとたどり着いた。うるさい音を立てて落ちてくる雨粒以外に何一つとして動く物の姿が見えず、ここに、本当にかつて人が出入りしていたのかと疑いたくなるほどだった。町に生物兵器でも投げ入れられて、人だけが死に絶えてしまったのならこんな風に寂しい風景が出来上がるかもしれない。それほどに、辺りには生気というものが感じられなかった。
半世紀、いや、それよりも短い時間でもさかのぼったのならば、ここも人の掛け声と機会の稼動音であふれていた。そう思うと不気味な感じもした。所詮どんなに活気に満ちていようと、人間などあっという間に荒廃し、落ちぶれてしまう。そんな現実を突きつけられているかのようだった。
傘をさして2人は車を出た。来た時に見たが、やはり辺りに人影はない。
人を殺すのにはもってこいの場所だ。その上この雨。近くには工場が連なるばかりで民家はずっと遠くのほうにある。たとえサイレンサーのついていない銃を撃ったとしても、銃声を聞きつけられるようなことはないだろう。
もしかしたら。
「本当に銃を持ってるかもしれませんね。相手さんは。ここでは俺達を撃っても気づかれないでしょう」
「お前もそう思うか」
目の前では扉の開けっ放しになった工場の入り口が、ぽっかりと暗い屋内をのぞかせていた。
「やっぱりやめておきませんか?」
小宮山が眉間にしわを寄せて工場をにらみながら促した。
この先に、俺達に復讐を果たそうとしている人間がいるかもしれない。あの日獄中に葬ったはずの青島真二たちの亡霊が。薄暗い工場の中で、じっと羽鳥が来るのを待ち構えて。
俺は自らの幻影を葬るために、青島を葬った。中学生のあの日、自分が今の道に進まなければ歩んでいたはずの人生を生きる青島真二を消し、今の自分の生き方が間違っていないことを確かめようとした。力も金も、青島真二の行き方より勝っているということを確認したかった。そして俺はそのことを証明して見せた。俺は今日も外のこの地を踏みしめているのに、青島は狭い牢屋の中に閉じ込められ、まずい飯しか食えず、むなしい労働に従事して、暮らしている。それも全て、羽鳥には力があり、青島を支配することができたからだった。この生き方が正しかったからだった。
それなのに、今俺の目の前には青島の亡霊が身を潜めてる。どこかで銃口をこちらに向けて、俺を殺そうと待ち構えている。
「いや、行こう。いまさらやめるのもなんだ。素人相手に俺達がびびってどうする」
「それもそうですね」気が進まなそうに小宮山が答えた。
入り口へと進んでゆく。後ろから小宮山の足音がついてきた。
工場の中は、天気のせいもあってかほとんど真っ暗といってよかった。がらんどうで、機材の一つも残っていない。おそらく廃業になってから工場だけを売り渡そうとして、全て処分されたのかしたのだろう。そのあとで急に商談が決裂し、ただっ広い廃屋だけが残ってしまったのかもしれない。おかげで人がひそんででいられるような場所はそんなにない。が、この暗さは身を潜めるのには十分だった。これだけ視界がきかないとなると、こちらから銃の狙いをつけるのは難しい。羽鳥は人影はないかと注意を払いながら、ゆっくりと中へ1歩ずつ進んでいった。
「小宮山、あの手紙をロイヤルマンション坂田の青島の部屋にに貼り付けたのは誰だと思う?」
突然気になってたずねてみた。
「さあ、見当もつきませんね」小宮山は相変わらずどこか口調が不機嫌だった。
「考えてもみれば当たり前のことだけれども、その人物は俺がいつあの手紙の元を訪れたのか知っていたはずだ。でなけれは、10日後にどうこうしろなんて約束ができるはずない」
「はあ、確かにそうですね」
「とするとだ」羽鳥は得体の知れない不安が胸に渦巻くのを感じた。「その人物はずっとあの手紙の前に張り付いていなければいけないことになる。それもできないことじゃない。けど、幾ら復讐のためとはいえそこまでするとは到底考えられないだろ。だって俺がいつあのマンションに出かけて手紙を見つけるかなんて、相手の側からしたら見当もつかない事のはずだ。それこそ朝も、昼も、夜も、深夜だって十分ありえる。実際俺があの手紙の元を訪れたのは事件から2ヶ月も経ってからだった。そのあいだずっと同じ場所で張り込んでいるなんて普通だったらできない。大人数の仲間がいたってそんなことはやらないだろう。なのに相手は10日後という期限を守ってきた」
おかしい。おかしすぎる。俺は何かを見逃している。
「何かおかしくないか?」
「どういうことです」小宮山の声色からは恐怖が感じられた。
頭の中でさまざまなことが交錯した。青島真二と再会した夜のこと。横須証券の乗っ取りを計画した時のこと。幹部5人の逮捕、そしてロイヤルマンション坂田で見た青い封筒、『羽鳥勇介様』・・・・・・
そのとき羽鳥は全てを悟った。
「あの手紙の目的は、復讐じゃない」
ガチャリ、と拳銃の安全装置の外れる音が工場の中に響いた。羽鳥はようやく自分に向けられている銃口に気がついた。
「だから何度もやめたほうがいいって言ったんだ!!」
小宮山が、この世の物とは思えないような絶叫を上げた。
羽鳥はポケットから拳銃を取り出そうとしたが、遅かった。
銃声が炸裂して頭蓋が打ち砕かれたのを最後に、羽鳥は全ての意識を失った。羽鳥は視界が暗くなるのを知覚し、続けざまにいくつもの銃声が鳴り響くのを聞きながら、永遠に覚めない眠りについて床に崩れ落ちた。




