第2章(2)/6
結局一度外の空気を吸いに行ったきりで、真二はまた仕事の山に埋もれて一睡もせずに働くことになった。
横須証券株式会社は今でこそ日本において代表的な証券会社となったが、ここに至るまでに、真二たち社員には死ぬ気で働くことが要求されてきた。真二が入社した当時は今ほどに大規模な会社ではなくて、上場も第2部までだった。バブルバブルと騒がれている中でも横須証券はこれといって景気が良くならず苦しい経営を続けていたが、ついにそのバブルが終焉を迎えたときには他社ほどに経営に打撃を受けずにすみ、前社長の横須翔はそれを期に攻勢に出て、一気に横須証券を盛り上げようともくろんだのだった。真二が入社したのもちょうどその時期に当たった。片っ端から営業を行い、あまり力を注がずにいた宣伝部門に一気に3倍近くの増員を行って、社員にはそれこそ地獄のような労働が課せられた。真二と同期だった社員の中でも耐え切れずに辞めていく者が少なくなかった。利益が上がってゆくにしたがって全体的な余裕もでき、当時ほど仕事はきつくなくなったが、それは下のほうの話であって真二たち上層部やいくつかの部署は相も変わらず身を粉にして働かなければならなかった。
部屋の扉がノックされて、失礼します、武山ですという声がした。真二は入るようにと返事をした。さっきからずっと来るのを待っていたのだ。
「××物産の報告書を持ってきました」
片手にファイルを抱えて立っている武山の顔には、離れたところにいても見極められるような濃いくまが浮かんでいた。疲労のせいか、どこか足元がふらついているようにも見えた。
「9時半だ」真二はそう言って掛け時計に目配せをした。「9時までには提出するように言っただろう」
「申し訳ありません」
さらに2,3言の注意をうけて謝ってから、武山はファイルを手渡した。武山は時間に厳しい性格でこういうミスはなかなかしないのだが、だからといって何か言い訳を言おうともしなかった。社長の小暮は社内会合の場などにおいて、よく言い訳をするなという言葉を口にしていた。言い訳をするくらいなら、自分でその不祥事の原因を摘み取るようにつとめろということであり、実際横須証券の中ではそれが鉄則のような物として成立していた。
真二は報告書をざっと眺め必要事項が載っていることを確かめてから、武山に次の仕事の内容が書いてある書類を軽く説明しながら手渡した。
武山が出て行ってからしばらくして、人事部部長の宗谷がリストラ人事の報告書を持って部屋を訪れ、また少し経って営業部門の新しい企画を担当する堂本が来てから、真二は5時間近くの間、誰とも会わずにひたすら書類と格闘し続けることになった。空腹に気づいた時は既に3時を過ぎていた。真二は出前を呼んで届いた親子丼を食べながら、5時から始まる予定の取締役会での報告内容を確かめた。つい何時間か前に武山が持ってきた××物産を含めて、7つの企業の近況報告と今後の対応について話し合う会議だった。そして、真二は会議が始まる前までに2つの調査資料をまとめて小暮に提出しなければならなかった。徹夜のかいあってか何とかそれは終わっていた。
真二は食事を済まし、すぐに小暮のもとに向かった。
青島です、と言って部屋に入った。
とたんに照りつける日光が正面から真二の目を突き刺して目を細めた。部屋の間取り、外にあるビルの配置のせいで、社長室は冬の夕方になるといつも夕日が直接差し込むのだった。アンティークな安楽椅子、使われていない2つの木製の机、その上に置かれた装飾用の燭台や陶器が夕暮れの日差しを受けて淡いオレンジに染まっていた。奥の机に、電気をつけることも忘れて手を動かしている小暮の姿があった。逆光で顔が良く見えなかった。




