第1章(13)/5
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7月8日
雨が壁を叩きつける音で前田は目を覚ました。風がビルに裂かれて悲鳴を上げていた。
手元の時計はもう9時半を指している。どうやら30分以上寝てしまったようだ。前田は頭を上げて編集室の中を見回してから、体を起こして背伸びした。
「すごい風ですね」
向かいのデスクの安原だった。寝不足のせいか、パソコンの画面からずっと離れていないせいなのか、メガネの下から大きなくまがのぞいていた。
「ああ・・・台風か」
天気予報だと台風が来るのは明日の朝だと言ってたけれど、この様子だとまた編集部に缶詰になりそうだった。今日は汗をかいたからさっさと帰ってシャワーを浴びようと思っていたのに。
上半期の映画特集の企画を12時までに提出しなければならないのだが、まるでやる気が出てこなかった。なんとか気力を出そううと思って仮眠をとったが逆に頭が働かなくなってしまった。だるさの理由はわかっていた。寝不足や、今やっている仕事への興味の無さ以上に、2ヶ月以上かけて続けていた取材が行きづまってしまったことが今でも尾を引いているのだった。
前田はまず横須証券の役員6人の近辺に情報を集める事からはじめた。一人一人の生い立ちや人間関係、生活面から彼らの人間性を分析し、そこから今回の事件へ関連づけてゆくつもりだったのだが、そこで第一の関門が前田の前に立ちふさがった。近年の日本で代表的な証券会社の役員と言えど、こういった取材の経験が少なく、他の出版社とのつながりが薄い羽間出版に勤める前田には、6人の情報を簡単に入手する術が無かったのだ。手探りで横須証券について調べ始めてから、ようやく役員の一人、青島真二の住所を特定するまでには2ヶ月もかかってしまった。それがちょうど一昨日のことだ。前田はやっとのことで青島真二の自宅に赴いた。幸い同じ千葉県の、自宅からあまり遠くない場所だったので行くのに時間はかからなかった。管理人に聞いてみると、彼らは一ヶ月近く前に東京のどこかに引っ越したそうだったが、もともと取材ができると期待していたわけではないので問題は無かった。むしろ扉の前の写真が堂々と取れて都合が良いくらいだった。
管理人の話によると、青島真二の住んでいた部屋の扉にはいつもおかしな封筒がいつも貼ってあるそうだった。宛名に『羽鳥勇介様』と書かれ、中には一文『10日後にここに来い』とだけ書いてある、おそらくは悪質な悪戯の一種だろう。管理人はつい先日にその手紙を知らない男にあげたと言っていた。前田は一通りマンションを写真に収め、そこを後にした。
そしてそれっきりだった。前にも進まなければ、左右を見渡すこともできない。行き止まりだ。そんな無念の思いが、今でも前田の中でくすぶっているのだった。
「よぉ、例の記事はどうなってんだ」
宮元が書類の束を抱えて横に立っていた。
「昨日言ったろ。もう無理っぽいって」
「なんだ本当にやめるのか?せっかくここまでがんばったってのに、もったいないじゃんか」
「俺だって続けたいけどな、もうどうにも手が出ないんだよ」
思わずため息が出た。前田はいまさらになって疲れている自分に気がついた。
「まだ諦めるのは早いぜ」
宮元はそう言って口元に笑みを浮かべた。
「なにかあるのか?」