第1章(11)/3
青島家はもうここを出て行ってしまったのか!信じられなかった。残された家族がどんな生活をしているかなんて全く聞いていなかったし、人を使って調べさせようともしなかった。
「実はこの部屋に前住んでいたっていうのは、ほら、ついちょっと前に逮捕された横須証券の役員の家族だったんですよ。それとこの手紙が何か関係知るのかもしれないとも思ったんですけど、本人たちはもういないから確かめようが無くって。そもそも、『羽鳥』っていう名前がここに住んでいた人のものじゃないんです」
「そんなこと私にいっちゃって大丈夫なんですか」と言いそうになるのをこらえた。今は話の焦点をそらしてはいけない。
「この手紙って、誰が貼ってるのか分かってるんですか」
「それが分からないんですよ。このマンションの住人の誰かだとは思うんだけど」
住人の誰か。そのうちの一人が俺に復讐しようとしているのか?羽鳥は背筋に寒気を感じた。ここに来てから感じていた不安感も、得体の知れない誰かから向けられていた憎しみによるものなのかもしれない。一度思うと、よけいに本当のことのような気がしてならなかった。
けれどロイヤルマンション坂田には、羽鳥と、橘組がしてきたことを知っている人間などいるはずがなかった。どうして俺が住人から恨まれなければいけないのだろう。もしかしたら、青島は誰かに全てを話していたのかもしれない。だとしたら青島と親密な関係にあったその人物が、俺への復讐を企んでいるというのだろうか。しかし社員にも話せないような事情を打ち分ける気になる人物が近隣住民の中にいたと考えるのは、あまりにも不自然だった。
そもそも、事件の全貌を知る横須証券の6人の役員は既に逮捕され、そして残りの2人は・・・・2人はもうこの世にいないのだ。羽鳥への復讐をたくらむ人間などいるはずがないのに。
「じゃあそういうことで」
管理人の男はそう言って立ち去ろうとした。
「あ、あの」
「何ですか?」
「その手紙、もらえませんかね」
おかしなことを言う奴だ、という風に男は笑った。手紙がなければ何も始まらない。相手が誰なのか、何をしようとしているのか確かめなければならない。
「ミステリーっぽくって面白そうで。事件とかをファイリングするのが趣味なんですよ」
「こいつからも事件の匂いがしますか」
「ぷんぷんしますね」
男はもう一度笑ってから手紙を見た。どうしたものかと考え込んでいる。
羽鳥には、この手紙をもらいさえしなければ何も始まらないと考えることはできなかった。目の前の危険よりも真実を知ろうという欲求を優先し、自らの行動に遠慮を持ち込むことはない、それは彼の今までの人生においても一貫されてきた考え方だった。
「でも、いちおう人にあてられた物ですし、あげるのはちょっと・・・」
「じゃあ中に何が書いてあるのか教えてくれませんか?」
えっ、と男は口を詰まらせた。それから、やられたなと言って小さく笑みを浮かべた。
「もしかして、あなたはもうその手紙の中身を見てるんじゃ――」
「まあ。あんまりにもたくさんあるので、どうせいたずらなら構わないだろうと思って、2通だけね」
「内容はみんな違うんですか?」
「いや、おんなじだよ。少なくとも私が見たその2通はね」
同じ物を出していたということは、手紙の送り主は俺が来るのを待ち続け、なんどもなんども管理人が取り外すたびに手紙を貼り付けに来ていたのだ。俺が再び青島家にやってくることを確信して。なんとしてでも俺にその手紙を渡そうとして。
「わかりました。じゃあ、『羽鳥勇介様』が現われても私が見たってことを言わないと約束してくれるなら」
「いいんですか」
「ええ」
羽鳥は手紙を受け取った。
「なんて書いてあるんですか?」
「ええっとたしか・・・『10日後にここに来い』だったかな」
マンションを出てから、羽鳥は大きく息を吐き出した。夏の昼下がりの外の空気は蒸し暑くてじめじめとしていたが、羽鳥には新鮮でおいしいものに思えた。
今日はもう帰るしかない。結局、青島真二の家族には会えなかったし、彼らがどこに引っ越したのかまでは教えてもらえなかった。そしてこの手紙だ。青島真二はとことん俺のことを恨んでいるらしい。たとえ刑務所の中に入っていても、こんなに遠くにいる俺に復讐をしてみせるほどに。
車に乗り込んで、エンジンをふかした。そのとき初めて気が付いた。
手紙の送り主は、一体どうやって羽鳥が手紙を受け取ったのを知るんだ?