第1章(9)/3
あの事件が発覚してから、既に2ヶ月あまりがたった。その2ヶ月の間は、青島家の周りに警察がつめている可能性もあったので青島家の様子を見に行くのは避けていたが、これだけの時間が経っていながら、いまだに周辺の監視が続けられているとは考えにくかった。もういいだろう。親友であり、また、俺が人生を破滅させた男の家族がどうしているのか、多少なりとも興味があった。
前の車が少しずつ動き出した。羽鳥も軽くアクセルを踏む。
思えばここは、青島に会いに行く時にいつも通っていた場所だった。たいていが、夜帰宅時を待ち伏せに来ていた。羽鳥と顔を合わせるたびに青ざめる青島を見るのは、一種の快感でもあり、哀れで心苦しくもあった。
最初に再開した時のあいつの驚き様を、まだはっきりと覚えている。あれは去年の夏・・・いや、春先のことだったかもしれない。土砂降りの雨の中だった。真夜中に自宅へ向かう途中の青島に後ろから声をかけたら、あいつは黙って固まってしまった。いきなり名前を呼ばれてどう反応したらよいのか分からなかったんだろう。
「誰ですか」
青島の声は雨の音でかき消されてほとんど聞き取れなかった。羽鳥が何も言わなかったから、あいつはもう一度「誰です?」と聞いてきた。
全てを話してやると、あいつは再び固まってしまった。今度は文字通りからだの芯から凍り付いてしまい、そしてからなきついてきた。地獄の中に光がさしたと思ったのだ。たすけてくれ、と震える声で青島は言った。聞こえたのはそれだけだった。消え入るようにか細い懇願は、雨の激しさに打ち消されて全く聞こえなかったのだ。だが、聞こえていなくて良かったかもしれない。もし聞いていたら、昔の親友を裏切り、人生を破滅させるまでにもっと苦しまなければならなっただろうから。
「俺は仕事をしに来たんだ」
そう、仕事なのだ。仕事の中に旧友との仲などがあっていいはずが無い。人類は裏切りと略奪を繰り返して、現代まで生き延びてきたのだ。俺がしたのもそれと同じことだった。
「羽鳥、お前は俺のことを見殺しにするのか?」
その通りだ、青島。
車の列が再び前に動き出した。羽鳥は道路の左に折れて車を回した。
ロイヤルマンション坂田は、この辺りではそうそう見られないような高級マンションだった。田舎の土地に1本だけそり立つ26階建ての建物はだいぶ離れた場所からでも容易に見つけることができる。建設当初は近隣地域からの苦情で、一時期は建設を見合わせなければならないような事態にまで陥ったこともあった。結局、建設予定者である胡桃物産から3度にわたる説明会が行われ、それでも解決案は見つからず、最後まで双方に妥協の姿勢が見られないままに建設は決行された。はじめのうちこそ大きな抗議運動に出ていた住民側も、施工が進むにつれて徐々に勢いをなくしてゆき、そうしている間にロイヤルマンション坂田は完成した。都心に近く、交通の便もそれなりに整っていて、何よりまわりを田んぼやそれほど高くない建物など平坦な景色が覆っているということで購入者は胡桃物産の予想を上回った。働き盛りの世代よりも、定年退職後の年齢層からの購入が多く、他業者もここから近い場所に同じような高層マンションを建てようと目をつけはじめた。