少年の霊
その夜、かおりは懐中電灯を手に持ちお守りを首からさげ、背中のリュックの中には、万が一のナイフと神社から汲んできた水を入れたペットボトル、銀紙に包んだ荒塩とお酒も入れた。
弟を助けなきゃ……その一心で旧校舎の前に立ち、かおりは自分を奮い立たせる。
入り口の玄関は完全に板で打ち付けられているので、真ん中辺りの開いている窓から中へと入れた。
弟がいたのは、確か二階だ。
一歩踏み出すたびに、軋み出す床。暗闇を反射する窓。まとわりつく空気すら、意志を持っているかのような気味悪さを感じた。
さらに勇気を振り絞るように、暗闇に向かって声をかけた。
「真治、いるの? おねえちゃんだよ? どうして……」
かおりは弟を想うと目の前の景色が歪んだ。
あふれ出てくるものを無造作に袖で拭き、かおりは語りかける。
「真治はここにいてはいけないのよ」
真治なら会いたいと思った。
まだ六歳だった、弟のあどけない笑顔が浮かんでくる。
ずずっっと鼻水を吸った時、かおりの後ろで気配がした。
気配を探すように振り向くと、廊下の奥に少年が立っているのがわかった。
最初に違和感が襲い、お腹の底に鉛が押し込められたようになる。
その場の空気が一気に重くなり、かおりは息苦しさを感じた。
「誰?」
遠近感を無視して、それは音もなく近づいて来た。
かおりとの距離は10mも無い様に感じた。
少年は陰を、暗闇を背負っている。
小さいながらも大きな呪を抱えるように、かおりを目指してやってくるのだ。
直感で弟の真治ではないと感じた。
そして本能がこの世のものではないと訴えた。
「やだ、こないで」
かおりの心が逃げろと叫んでいる。
全身に鳥肌が奮え立ち、悪寒と共にかおりの足を床に縛り付けている。
闇を背負う少年との距離がどんどん縮まっていく。
近づいてくる少年は俯いていて、顔は見えない。
顔を見てはいけないような恐怖感がかおりの全身に貫いた。
「いやぁぁぁーー!!!!」
逃げるつもりが途端につまづき、尻餅をついた。
足に力が入らず動けない。手に持っていた懐中電灯が投げ出され、逃げろと窓を照らした。
両手を使って必死にもがきながら窓に向かうが、断然少年の方が速かった。
左耳のすぐ傍で、何かの気配がする。
理性が答える、追いつかれたのだと。
ひんやりとした気配が左耳にぴったりと張り付き、見てはいけない少年の顔があるのだと、本能が告げていた。
「ひ……」
口からは空気を飲み込む音しか出なかった。
悲鳴すらも上げられないほど全身が強張っている。
かおりの耳元から少年の視線を感じる。
絶望が支配された世界で、恐怖で押しつぶれそうになった時、照らされた窓から突風が吹いた。
途端に少年の気配が消え、月明かりでぼんやり明るい窓から誰かが入ってきた。
重力のある足音にかおりは人間だと思い、それと同時に全身の力が抜けてしまった。
「助かりました。ありがとうございます」
シルエットしか見えない相手にかおりは礼を言うと、影は大きなため息をついた。
「なんだってまぁ、俺は人がいいんだろうね。自分でも惚れ惚れしちゃうよ」
聞き覚えのある声、それは自分を馬鹿にした声に聞こえた。
「山上……くん?」
「さっさと立ってくれ。 よくもまぁこんなもの作り出したね」
「……ごめん、立てない」
カムイはさらに大きなため息をつき背中から手を伸ばすと、一気にかおりを立たせた。
かおりはその勢いで廊下の奥を見るが、そこには何もなかった。
「人が良いついでに、後始末はしておくよ。ただし報酬はきちんともらうよ、俺の流儀だから」
「え? 山上くん。危ないよ!」
「ここにいるのは、あんたの作り出したものなんだよ。わかっただろう? 自意識過剰の意味が」
カムイは目の前で手を合わせ、三角形を作る。指を額につけると、口から甲高いを発した。
「床に伏せろ。両手で目を隠し、何も見るな」
カムイは微動だにせず、廊下の奥を縛り付けるかのように凝視している。
だが何故かかおりもカムイに見つめられている感覚に襲われ、あわててそのまま言われたとおりに、床に伏せた。
何度かの甲高い音、そして最後に重厚な空気を持ち上げるが如く突風が吹き、旧校舎が揺れるほどの衝撃で、辺りのガラスが鳴り響いた。
一瞬の沈黙の後、カムイは優しくかおりの肩をたたいた。
「終わった、帰ろう」
かおりが初めて見る、カムイの優しい笑顔だった。
二人は何も会話することなく帰路についた。
カムイはかおりを家まで送り、別れ際にやっと口を開けた。
「この世はね、君が思っているようなきれいな世界ではないんだ。常にどんな人間でもリスクを背負っている。
無責任に見知らぬものに手を出せばどんな事になるか、わかっただろう?」
かおりは黙って頷いた。
安心して気が抜けたのか、涙が溢れて出てきてうまく話せなかったのだ。
「責任は容赦なく背負う事になる、覚えておいた方がいい」
さらに頷きながら、かおりは深々と頭を下げた。
踵返してカムイは帰っていく、その背に向かってかおりは叫んだ。
「ありがとう。それと……ごめんなさい!」
カムイは振り向くことなく、片手を挙げてそれに応えた。
次の日、かおりの机にはノートが山積みになっていた。
「えーと……これは」
困っているかおりに、カムイが近づき用件を伝える。
「半年分の宿題、昨日の報酬はこれでチャラにしておくよ」
「えぇぇ?! でも……」
「ほんじゃぁ、頼んだよ」
「山上くん!! また学年最下位になるつもり?!」
せっかくのかおりの忠告も、カムイには届いていないようだった。
読んで頂きありがとうございます。
評判が良ければ、カムイくんのその後なんかも書いてみたいなぁと思っております。
HPの方にも色々掲載中ですので、よろしくお願いします。
http://www16.ocn.ne.jp/~ukatsu/gauss/index.html




