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楼閣  作者:
3/5

3:翡翠

夏川理人


「何もないな。」

「うん。」


襖・障子を開け放ち押入れの中まで探っても1階には特に物珍しい物はなかった。

引っ越してしまったのだから仕方ないが、家財道具一式すべて無く、畳も剥がされ床板も露出している。

ここまで来て手がかりらしい物の一つもない。


「ごめんね、理人、疲れたでしょ?ずっと車運転してたし・・・廊下で少し休む?」

「いいや、構わない。」

「でも・・・。」


琥珀が声をかけたのは一階を調べ尽くし、階段へ戻って来たその瞬間だ。俺自身確かに疲れていたが、ここで眠る訳にもいかない、何故だかそんな気分にさせられていた。ゆっくり首を振って、肩をほぐし、伸びをすれば少しだけ疲労も回復する。

琥珀の目は相変わらず、空ろと通常の間を行き来しているようだ・・・。

ひょっとして、元々琥珀は『狂ってる』のではないか?

それを周囲に噂されるのを恐れた両親がここから引っ越した、田舎より多少なりとも人間関係の希薄な都会に移り住めば『変わった子供』で済む。

兄は本当にいるのだろうか?

いや、写真の二人が兄弟ならば本当に居たんだろう。ただ、死んだこと居なくなった事を認められないだけかもしれない。

しかしそれでも・・・例え琥珀が狂っていようとも・・・・俺たちの前で出入り口が消え去ってしまったのは事実なのだ。

不安・焦り・恐怖

そして・・・琥珀がもし『狂っている』のならば、あの少女を見た俺もすでに『狂っている』のかもしれない。


パシャ


「?あ・・・?」

「水音?」


ぱしゃぱしゃぱしゃ


「さっきの台所か?」

「でも、何もなかったよ?」

「行ってみよう」

「あ、待って、待ってよ!・・・・・あ・・・。」

「琥珀?」

「ううん、なんでもない」


水音も気がかりだが、暗がりで身を屈めた琥珀のが拾ったのは、小さな石ころに見えた。

石ひとつ、放って置いてもいいものを・・・・。

立ち上がった琥珀の眼は、又空ろに戻って・・・いや、なっていた。


「!!」

『理人?』


一瞬琥珀の声が遠くなり、琥珀の後ろに小さな手がいくつもいくつもいくつも見える。

やめろ、やめてくれ!

琥珀は気づかないのか?!

髪を撫で、何かを琥珀に押し付けようとしている病的なまでに白い手・・・ふっくらとした・・・。女性特有の。

手。


「琥珀!後ろだ、後ろ!」

『え?何?理人。』



無我夢中で懐中電灯を振り回した。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もその小さな腕に振り下ろす。

電灯とその腕が触れた瞬間、少しだけ皮膚が沈みこむ感触と、骨の軋む音・・・。

キシュ、ぐちゃり

腕が床に落ちて、2・3度バウンドする。

ぼとり

腕から何かが落ちた。何かは分からない、見たくない、見たくも無いのに眼が離せない見るな見るな見るな!


「理人、一体どうしたの?」


琥珀が俺の顔を覗き込む。何だ?今のは何だったんだ?!どうして琥珀に見えない?俺だけが狂い始めているのか?

空ろな眼で見つめるその表情は落ち着いたままだ。落ち着きすぎて、気味が悪い・・・。いや・・・見えなかったんだ、琥珀は見ていないんだ、だから・・・・。


「大丈夫?」

「ああ。」


体中の穴という穴から汗が噴き出す。鼻の頭を拭えば嫌な臭いとべたつく汗の感触・・・。狂うな、俺は正常だ!まだ、まだあれを怖いと思える。だから、正常だ・・・。


「ところで今のは・・・なんだったんだ?」

「え?今何かあった?」

「ああ・・・・」


カラカラの口の中から言葉を引っ張り出すが、琥珀は不思議そうに足元を眺めるだけで終わる。ときおりその顔は笑顔のように歪むのが、気味が悪くて・・・・。

先程の腕も奇妙では有ったが綺麗さっぱり消えて、いなかった・・・。小さな手が琥珀の足元へ這いずり代わる代わる『何か』を押し付ける。

やめてくれ、もうやめないか!


「琥珀!足元だ!下を見ろ」

「え・・・・?」


俺の声に只ならぬものを感じたのか、今度は眼に正常な光をともして恐る恐る下をみるが、本当に琥珀は見えていないらしい。懐中電灯をふって今まさに俺が目撃している手を照らしているというのに、何一つ動じていない。


「何?・・・何かあったの?」

「動くな!!」


思い切りその手を踏みつけると、みしり、と骨が軋む音がした。うう、気持ち悪い、気持ち悪いが強引に何度もその腕を蹴り付ける。

ぐちゃ

べしゃ


「っは。っぁ!」

「理人?」


俺にだけ聞こえるのか、ぐちゃりという音がしてその手はずるずると階段下まではいずると、2階へに上っていき、やがて消え去った。

不審そうな琥珀の視線。

いや、もう消えたのならそれでいい・・・だが、足元を照らす彼のライトの先に、腕が落とした何かが入り込んできた。

丸いものだ・・・。


「なんだ?これは・・・」


指先で触ると、ぶにょりとした感触・・・ぷちゅり、と音がしてずぶずぶ指が沈む。

生暖かいゼリーの中に指が沈み込む、そんな錯覚に陥った。

暖かい、暖かい、暖かい暖かい暖かい暖かい暖かい暖かい暖かいが、これがゼリーであるわけはない!


「うわ!」


気色の悪いそれから指を無理やり引き抜くと、

どろり

大量の何かが指で作った穴からはみ出し、ごぷぅと音を立てる、汚い、汚い気持ち悪い。


「理人?さっきから何してるの?」

「そこの変なもんが・・・・、無い?いや、あったんだよ!丸くて真黒で、指で押したら中はゼリーみたいで・・・・」

「無いよ、そんな『眼球』みたいなもの。」

「・・・・眼球、まあ、そうだな、似てるな・・・・。」

「台所、行くんでしょ?」

「ああ」


ふわりと笑う琥珀の眼は、メガネの奥で綺麗に細められていた。

会話をしているはずなのに、今まで以上に琥珀の細められた眼が・・・・此処ではないどこかを見ているようだ。気になどしていない・・・なにも、なにもかも・・・。

そして、

『眼球』

なぜいきなりそんな単語が出るんだ?

柿羊羹でも、ボールアイスでもいいじゃなか?それとも若い奴はそんな事を知らないのか?丸くて黒い・・・・。

いや、何を疑う。あの少女に目を襲われたからそんなイメージなのかもしれない、彼女の言う『鞠』が『眼球』ならば確かにあの鞠は黒かった。

だから?

あの少女・・・・変わった手鞠歌、眼の無い少女・・・。

夜光、夜光・・・・。


「琥珀」

「ん?何?」

「夜光っていうのは、なんだかわかるか?」


電子辞書でも持ってくればよかった。あの少女の奇妙な歌、謎を解く鍵である筈の九条翡翠のメモ・・・・こんな状況ですっかり忘れ去っていた。


「ダイヤモンドだよ」


琥珀が知っている訳は無いと思っていたが、案外あっさり答えが返ってきた。ダイヤモンド?宝石のあれか?

琥珀は又虚空を見ながら、くすくす笑っている。何も見なかったはずなのに、何故琥珀がこうも『狂っている』ように見えるんだ・・・。


「ダイヤの和名は・・・・金剛石だろう?」

「他にも色々あるの、夜光珠もダイヤモンドの和名。金剛石って言うより雅な感じがしない?」

「彼女は金よりダイヤが欲しかったのか?」

「彼女・・・・ああ、あの子。」


琥珀の視線も態度も、随分冷たいものに感じる。彼は一体どうして動じていない?まるで別人のように、細い手首かに繋がっている白い手で長い髪を透く。長くなど無かった筈の髪がいつの間にか腰まで伸びている・・・。

あの子と、親しげに笑う琥珀の瞳は真っ黒で、あの美しい琥珀色ではなく、それでも艶を湛えた、黒い黒い底の見えない瞳・・・。


「金も銀も要らないダイヤが欲しい、それ駄目なら・・・・琥珀?」

「ふふ・・・・」


肩を震わせ、艶やかに笑う琥珀?違う、これは違う!

長い髪、黒い瞳、細い首・・・・白い手・・・。女の、手・・・。

緋色の、着物・・・・。


「金とダイヤの価値なんて人夫々よ。」

「何を?」


何を言い出すんだ?もう顔まで他の者と挿げ替えられたように妖艶な笑みが浮かんでいる。いや、こんな笑みを確かに琥珀は何度も俺に見せていた。

空ろな眼とも、正常な時に見せる眼とも違う・・・。一瞬だけ垣間見えるこの笑みを。


「琥珀に翡翠に夜光、彼女が欲しかったのは夜光なの、それがいないから、琥珀で我慢しようとしたのよ。」


分かる?と小首を傾げる仕草は、とても幼く。妖艶な笑みとの間でアンバランスに揺れる。

ゆらゆらゆらゆら。


「君・・・は、誰だ?」

「僕?そうだねぇ・・・琥珀が琥珀でなくなったら、君はどうする、理人?」

「誰なんだ?琥珀じゃない、それは分かる」


艶やかに笑う彼女、琥珀と似ても似つかない少女がそこに居る。

長い長い髪、真っ黒な瞳、派手で艶やかだがどこか、古臭い緋色の着物・・・。

思わず、じりじりと足が下がる。

たかが女一人じゃないか!何を怖がる?

少し伏せた眼から滲み出る、確信めいた自信の色、艶やかな唇・・・。

綺麗だ・・・。


「まあ、もう少しがんばってみる?どっちが早いか、試してみましょう」

「待て!」


女の唇が俺の頬に触れる、ひやりと金属でも触れたようにつめたい唇・・・。

待て、待つんだ!もう少し、もう少しその姿を消さないでくれ!もう少し俺の傍に!

しかし次の瞬間、琥珀は琥珀のままでその場に倒れこんだ。慌てて駆け寄り口元に手をかざす。呼吸はしている、顔が紙のように白い。

なんなんだ、なんなんだ、あの女!

妖艶で、おぞましい程魅惑的な

あの女。


「なんなんだ、何なんだ、畜生!」


部屋に入って休むのは気が引けたが、琥珀が気絶しているのだから仕方がない。布団でもあれば良いのだが、押入れには何もないことは先程確認している。玄関から一番近い部屋の隅で琥珀を少し休ませることにした。

しかしなぜこんな事に・・・。

ここへ来たのは単純に謎解きができると思ったからだ、幽霊屋敷は反則だ。しかも九条翡翠の手がかりは一向に掴めない、疑問ばかりが増えていく。

ひゅう


「っ!」


・・・・・・。


「風、か・・」


ドクン、ドクン。心臓が無理を訴える。風の音にさえ過剰に反応し、傍で寝ている琥珀の手をまるで幼子のようにつかむ自分は滑稽でしかない。

事件の解決なんていう妄想に憑かれて、琥珀の不安と事情を自己満足に利用とした結果がこれか・・・。

いや、もし解決したら琥珀の心が楽になるんじゃないかとは、少しは思っていた。

琥珀もそんなに期待してはいなかったんじゃないのか?

しかし、結局たどり着いたのは、不安と恐怖と、謎ばかりのこの家だ。


「琥珀、起きてくれ・・・。もう、一人でここに居るのは耐えられない。」


泣き言を言っても琥珀はぴくりとも動かず、浅い呼吸のまま眠っている。翡翠、彼が何故ここに来たのだ?謎は解けないままなのか?

嫌だ。

俺は行きたいのだ。

そして、この謎に先には。

あの、少女が居る。

翡翠の写真は、確か琥珀が胸ポケットに入れていた。起さないよう、慎重に胸に手を近づける。触れた瞬間、鼓動が指を伝わってくる。

ああ、まだ俺たちは・・・・生きている、生きているなら、前に進める。


『私が私でなくなったら、私はそこで終わりです。

 君は後を追ってはいけません。

 だけど心配性の君の為に一つだけ置いて行きます。

 この思い出は忘れるべき物です。私と一緒に封印してください。 翡翠』


「『私が私でなくなったら』か、これは琥珀みたいに憑かれた状態だってことか?」


おかしな話だ、つい昨日まで幽霊だなんて、テレビの中だけの出来事だったのに。

しかし、今実際に緑の着物の少女と、緋色着物の少女を見た。生きているとは到底思えない二人を・・・・。

どくん。

又心臓が鳴る。だが、この鼓動はなんだ?

まるで少年の頃、すれ違うだけで嬉しかったような、あまい疼き。


「しかし少女といい、手といい、この場所で襲われるのは琥珀だけ、やはり琥珀自身か、この家に何かがあるのか。」


無理に声を出して推理する、こうしないと恐怖と頭に上った熱でどうにかなってしまいそうだ。

出られない、出入り口はない、味方も居なくなるかもしれない、そして、最後は・・・・自分も居なくなるのかもしれない。


「くそ!」


琥珀は起きない、あれからどれだけ経っているのもわからない、左手で琥珀の右手を握るが、まるで雪のように冷たい、雪のように白い肌、冷たい唇・・・・琥珀はあの妖艶に笑う女とどういう関係なんだ?

少女は夜光を欲しがった、夜光はダイヤ、ダイヤ欲しがっていたのか?いや、ダイヤとは眼のことなのかも知れない。しかし琥珀の色ならばまだしも日本人の眼でダイヤ色というのは不気味この上ない。外国人でも不気味だ。


「情報が少なすぎる、どうしろって言うんだ・・・」


1階にはさしたる情報は無かった、こうなったら2階へ行くしかないのか・・・。しかし、2階はあの腕が消えていった場所だ。待っていても食料もないのだから、飢え死にするのが早いか、狂って死ぬのが早いか・・・。

それだけの違いだというのは頭では理解しているが、踏み出すことがどうしてもできない。


「琥珀、起きてくれ、琥珀・・・」


まだ琥珀は目覚めない。揺すっても、軽く頬をはたいても目覚めない。

ころん

左手から何かが落ちた。軽く握った手に何かを持っていたらしい。さっき拾った小石のようだ。いや、小さな小さな、球状の石・・・無色透明なそれは、ビー玉のように転がると、意志を持っているかのごとく奥へ奥へと転がり、部屋の隅で溶けるように消えてしまった。

もう、この家で何が消えても驚けないような気がする・・・。


「なあ、起きてくれよ琥珀!」

「・・・・・・・・ん」

「琥珀!」

「っ!」

「起きたか?」

「理人?」

「ああ・・・・」


九条琥珀


理人がそれに触ったとき、とっさに俺は『眼球』を思い出した。

思い出す?

どうして?

何を?

この家で暮らしていたこと?

この家で・・・。


『みーんみんみんみんみんみんみんみんみん』

『お兄ちゃん、どこ?』

『ここだよ。』

『ぼくも、いく。』

『あぶないよ。』

『いくの!』


ひんやり、足元が冷たい。

蝉が『泣いて』いるのに?蝉は煩い位みんみんみんみんみんみんみんみん


『お兄ちゃん、うるさいよぉ。』

『我慢しなさい、明日には居なくなるんだから』


明日?明日何があるの?


『わかった。』


わからない。

俺が喋ってる筈なのに、判らない。

ひんやり冷たい、濡れた足元。

ぱしゃりと跳ねる水。

ここは、川?

いや、足に纏わりつく水に流れはない、だから・・・・これは、水溜り?

目を開くと幼い子供がいた。夏の最中、縁側でたらいの水に足をつけている、俺も縁側で足を水につけながら涼んでいた。

ぱしゃ

ぱしゃ

足を何度もつける度。

水がどんどんどんどん赤くなる。

紅い

紅い

紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い


『綺麗だな。』

『綺麗だね。』


何が?

気味が悪い、気持ち悪い

でも俺は笑顔でその赤い水の中に足を入れる。

ぬちゃぁ

足の指先にぷちり、と感触が伝わる。蛞蝓でも踏み潰したか?

いや、まるでその感触は『眼球』のような・・・。


「っひ!いやだ、いやいやいや!」

『ねえ、お兄ちゃん、みてるよ』

『仕方ないなあ、この中に入れようか』

「いやだ!」

『いやだって』

『そう言われてもなぁ』

「やめて!兄さん!」

『お兄ちゃん、どうする?』

『嫌だって言ってるし、いいだろう。』


いっぱい、いっぱい・・・。バケツ、バケツ・・・・誇らしげに掲げる『戦利品』竿で突き刺し、中で引っ掛けて手首を捻りながら、勢いよく引き抜くとずるりと抜けるのだ。

視神経がぷちぷち切断される音も心地良い・・・・。

違う、違う、これは俺の記憶じゃない!視神経なんて見たこともない!目の奥にあるということしか知らない、眼球を触ったことなんてない!

でも・・・・・・子供のころの思い出は覚えてない・・・・。


『綺麗だね・・・・の眼』


誰?誰の眼?

俺が此方を見て笑った。

真っ黒な目で・・・・。

そう、それはさながら

黒曜石のように。


「っ!」


俺じゃない!俺じゃない!俺の目は、俺の目は琥珀だ俺じゃない!じゃあ、これは誰の記憶?

黒く、長い髪が絹糸のように夏の風に絡まる。美しい、けれど何処か俺には好きになれない笑顔がそこにある。

誰?

紅い水から鼻の奥に纏わりつく臭いがして、ここが何処か分かる前に吐いてしまいそうだ


『綺麗?嬉しいよお兄ちゃん』


目の前の子供は、随分成長して妖艶な少女に代わっていた。

緋色の着物がよく似合う、紅も引いていないのに朱色に染まった唇が動く度にそこに吸い付きたい衝動に駆られる。決して好みの女ではない筈なのに、どこか理性をぐちゃぐちゃにさせる笑顔。


『こんな所で何をしてるの?』

「君・・誰?」

『酷い子ね、忘れてしまったの?』

「誰?」

『曜子』

「よう・・・こ」

『吸いたい?吸って良いわよ。』


僕のクチビル

彼女が言いきる前に、その冷たい唇を無我夢中で塞いだ。こんなにも熱い色をしているのに、体中の血が凍るほど冷たい。自分の熱を全て移動させるかの様に、何度も何度も吸い付く。それに応える彼女、いや曜子の舌も氷を舐めているようだ。


『琥珀、僕の唇好き?』

「唇、だけなら・・・。」

『まあ酷い!じゃあ、僕そのものは?』

「分からない、でも嫌いなタイプだ・・・。」

『正直者ねぇ、でも嫌いで良いわ。』

「何故?君は誰?」

『名乗ったでしょ?』

「曜子・・・。」

『ええ、そう。僕は曜子、貴方が僕を嫌いなら、きっとここから出て行けるわ。』


自信満々に微笑む曜子の眼は、綺麗な綺麗な夜の闇のようだ。嫌いなら出れる。それは、ひょっとしたらもう遅いのかもしれない。


「ここ、なんなの?」

『貴方の家よ、判ってるんでしょう?』

「判らないから、聞いて・・・。」


これは過去?

ただの夢?ただの過去?

だったら何で俺が夢に見るの?

教えて・・・・・・。

兄さん!


『琥珀、起きてくれ琥珀!』


理人?

待って、もう少し何か思い出せそうなんだ。

そう・・・

俺たちの・・・・は


『琥珀!』

「っは!」

「起きたか?」

「理人?」

「・・・・ああ」

「あれ?」


目を覚ますと、先ほどの夢は霞がかかったようにぼんやりし始めた、待って、消えちゃ駄目だ!駄目なんだ・・・・。

曜子!まだ質問が残ってる!君は君は!


「そろそろ行動しないとな・・・。」


覗きこんでくる顔が青い、無理をさせているんだ・・・。曜子の残像を振り払うように頭を覚醒させても、目の前が暗い、眼が、眼が情報を拒否する。

それでも俺の手を引く理人、右手が温かい・・・。左が・・。握っていた小石が無い、左手の中はすかすかと空気が通り過ぎるだけ。なんにも、ない。

右手は握られているから暖かいけれど、左に空白を感じる。右側が暖かい、あの光景を見て、夢と言えど発狂しなかったのは、これのお陰だろうか?

それとも、曜子が?


「理人、俺が拾った小石、知らない?」


ゆっくり口を開く、のどがカラカラで舌も張り付く。夢の中ではあれほどあの冷たさを貪ったと言うのに、今やその名残すらも感じられない。あれは、夢?


「すまない、手から転げ落ちて、その隅で消えたんだ、それより2階へ行こう、何か掴めるかも知れない。」

「そんな済まなそうな顔しないで、あの隅?」

「琥珀、行くな。」


隅っこに行くくらいで何を心配そうな顔をしてるの?

ここは、俺の家なんだよ?


「そんなに心配そうな顔しないで、理人は休んでないの?だったら俺が見張りしてるから。」

「いいから。」

「じゃあ、二人で行こう。」


不安になることなんて何もない、曜子も言ってたもの。ここは俺の家だって、間違いないよ。部屋の隅、畳を取り外した板張りの部屋、板と板の隙間に小石は挟まっていた。理人は消えたといった手前、ばつが悪そうに不精髭をなでる。消えたと思っても無理はない、この隙間は・・・。


『なに、しまってるの?』

『宝物。』

「・・・あ。」

「あったか?」

「ここ、宝物入れ!」


床板の隙間に手をかける、本来なら釘が打ってあるそこは兄さんが少しだけ床板に細工して、指で押せば浮き上がるようになっていた。

昔々、大事な物を仕舞おうとしたした時にこっそり教えてくれのだ。そこには小さな箱が仕舞ってある。

二人で一生懸命隠した宝物。

びー玉、綺麗な石、蝉の抜け殻、押し花のしおり、鈴のキーホルダー、玩具の銃、そして、


「ない、鍵がない!」

「鍵?」

「台所の隅に落ちてた鍵、でも家族に聞いても誰も知らないし、家の中のどこの鍵でもなかった。

折角だから仕舞っておこうって、鍵を・・・」

「鍵もいいけど、琥珀、よく見ろこのメモ用紙」

「え?」

「ほかの玩具に比べて随分新しくないか?」

「あ・・・」


少なくとも、十年は経っていなさそうなメモ用紙、その1枚の切れ端にある字は確かに見慣れた癖字だった。

兄さん・・・

生きてるの?

ここに来たの?


「『心配性な君へ、君が無事なら何も言いません。だから、早く帰りなさい。

幸せは家族とともに生きる事だけじゃない、それぞれの形があるのです。

君は君の幸せへ進むことを願っています。』か、お兄さんの方がよっぽど心配性だな。」

「・・・・うん」

「こらこら、まだ見つかってないんだ・・・泣くな」

「泣いてないよ・・・」

「そうか」


しばらく理人は肩を貸してくれた。

兄さん、生きてるの?

俺の幸せ?

でも今はもう帰れない、だから・・・・だから、貴方をさがします。

いいよね?


「そういえば、少し思い出したみたいだな。」

「え?」

「宝物入れとか、鍵とか。」

「うん。」


思い出した?忘れてた?

いや、確かに微々たる記憶でも思い出せたんだ、これは進歩というべきだろう。でも何故小石はここで消えた?

曜子か?それとも・・・・。あの緑の着物の少女?それとも、もっと、別の?


「琥珀」


眼を上げると理人は舌で軽く唇を湿らしている、今から何を言うつもりなんだろう。顔色が悪い・・・。


「俺は琥珀の事を信じる、だから答えてくれ。」

「なあに?」

「君は狂ってはいないね?」

「え?」


狂う?そんな馬鹿な!俺は一瞬たりとも狂ってなどいない!

そう、昔から今まで一瞬たりとも、狂うことなど無かった、だから今も狂ってなどいないのだ。

理人こそ狂ってしまったのではないのか?


「大丈夫だよ、そんなに心配しないで。」

「分かった、信じる。」


どこか不承不承で理人は俺の前で頷いた。理人が俺を信じるというなら、俺も理人を信じよう彼が裏切るなど無いということを。

でももし、理人が信じないと言うのならば

俺を狂っていると言い出すならば。

いや、やめようこんな議論は時間の無駄だ。


「俺の思い出したこと、全部話すよ・・・理人、帰ろうね、絶対。」


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