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1/144 の揺り籠  作者: kagonosuke
Side - A: Fから始まるモノガタリ
7/36

第七話  幻想と想像の乖離率 39.40%


 ――――――ガタン、ゴトン。


 規則性がありそうでない、不規則な揺れに漫然と身を任せて。


 手帳を開いて、今日の予定を確認する。小さな掌サイズの紙片が詰まった中には、今日の内にやらなければならないことが、箇条書きに書かれている。それを見ながら、ざっと頭の中でこれからの段取りをシュミレーションしておくのだ。

 特に月曜日の朝というのは、無駄に緊張を強いられる一時だ。土曜・日曜と二日間の休みを挟んで、PCを立ち上げてメールボックスを開く時は、内心、ドキドキものだ。この時ばかりは、何年経っても慣れそうになかった。

 そうして、朝は到着メールのチェックから始まる。トラブルが起きていないことを祈るような気持ちでメーラーを開いて、羅列しているタイトルに目を通すのだ。

 仕事は、内勤の事務職であるが、貿易関係の商社の為、日々の仕事は時間との闘いになることが多かった。取引先も国内外多岐に渡るので、常に時差を考慮する必要があるからだ。

 銀行との遣り取り、為替のチェック。物流の手配、輸出貨物の通関が切れたか、貨物が予定通りフライトに乗ったかの確認。伝票処理……等など。こなさなければならないことは細々としていて多岐に渡る。




「仕事………忙しいんだ?」

 不意に耳に入った低い囁きに、私は漸く顔を上げた。

 いつの間にか、すっかり定位置になっている私の隣で、癖のない黒髪が簾のように揺れる。髪の隙間から覗く切れ長の目が、こちらの手元を覗き込んでいた。

「ええ。お陰さまでね」

 当たり障りのない微笑みも、やがて苦笑に変わる。


 まだまだ不景気だと言われるこのご時世、仕事があるのは喜ばしい事なのだが、それは必ずしも個人的観点から見れば、有り難いことばかりではなかった。

 経費削減で、人員は慢性的にギリギリの状態。人出不足気味な所に煩雑で何かと手間の掛かる業務が圧し掛かる。だからと言って、手を抜けるなんて所は皆無だ。数字に関わる部分や書類のチェックには気が抜けない。始終、集中とある種の緊張を強いられている。そうやって一日デスクワークに勤しんだ身体は、終業時にはいつもガチガチで悲鳴を上げていた。


 無意識に石のように硬くなった肩に手を伸ばしていた。年季が入っている肩凝りとももう長い付き合いで、そう簡単に解消されそうにはなかった。

「肩、凝ってんの?」

「ずっと、デスクワークだからね」

 肩凝りとは無縁であろうしなやかな肉体を持つ若者には未知の領域だろうか。

「鞄が重すぎるんじゃねぇ?」

 そう言って、隣に立つ人物は、何を思ったのか、私の背中に腕を伸ばして右肩に掛けていた鞄の取っ手を掴んだ。

「うぉ」

 急に軽くなった肩の反対側で、驚き混じりの低い声が上がる。

 それは、予想外の重さであったようだ。

「女の人の鞄って、なんでこんなに重いの?」

 信思(のぶもと)君は、私の鞄を自分の右肩に担いで、心底、不思議そうな顔をこちらに向けた。

 一般論として、やはり女性のバッグの中身には不思議が詰まっているらしい。


 ―――――――そんなことを言われても。

 私は、首を傾げるしかない。

 財布に携帯、ポーチ、手帳、ハンカチ、ティッシュ。ノートに筆記用具、USBメモリ。文庫本かペーパーバックが一冊。入れているのは、ごくごくありふれた必要最低限のものだ。仕事関係の書類は入れていない。社内文書の扱い、機密文書の管理は厳しくなっているからだ。

 そうすると元々の鞄の重量が重いのか。

 でも、シンプルな革の鞄は、軽さが売りのもので、中身を抜いてしまえば、普通だ。

「なんでかしらね。それは…私も知りたいかも」

 小さく笑えば、

「何それ」

 信思(のぶもと)君は、虚を突かれたように一瞬、無表情になった後、不意に小さく噴出した。

「重いからいいわよ」

 自分の目線よりも高い所にある己が鞄の取手に手を伸ばす。

「これじゃぁ、肩も凝る訳だ」

 だが、信思(のぶもと)君は、何かに納得したように独りごちて、私の空いた手を吊革に掴まるように促した。

「肩が痛くなっても知らないわよ?」

「平気だってば。そんな軟に見える?」

 するりとかわされて、私はじっと隣に立つ人物を見上げた。

 身長も高いし、肩幅もそれなりにあるだろう。だが、全体的な体つきは、成長期特有のそれで、周囲に乱立するスーツ姿のサラリーマン達に比べれば細身であると言える。

「それよりさ」

 車両が次の停車駅に滑り込む。減速してゆく揺れに乗るように、ずいとシャープなラインを描く面が近づいてくる。

 掴んでいた吊革が軋みを立てた。

真帆櫓(まほろ)さん」

 「ん?」

 至近距離で顔を覗きこまれて。

 その不意に縮まった距離に左の鼓動が変な方向に跳ねたのも束の間。

「ちゃんと寝てる?」

 顔見知りの高校生に睡眠を心配されてしまった。

 慢性的な睡眠不足は、まだまだ解消されそうもなかった。

「寝てる………と思う」

 この時の気分をなんと言い表わせばよいのだろうか。

 近付いてきた相手の顔は血色も良く艶々としていた。きっと触れたら柔らかいに違いない。こんな時、若さに勝るものは無いのだと思い知らされる。

 それに引き換え、こちらはメイクをしてなんとか肌色の悪さを誤魔化しているようなものだ。コンシーラーで隠した目の下の隈は、中々。消えそうになかった。

 私は、溜息を吐きたい気分を飲み込んだ。

「今度、肩、揉んであげようか?」

「出張のマッサージサービス?」

「そ」

 以前、余りにも酷い凝りに悲鳴を上げて、マッサージ屋に掛け込んだ事があったが、相性が悪かったのか、それとも、そのお店の腕がイマイチだったのか、マッサージ直後は良かったものの、その後に大いなる揉み返しが来て散々な目に遭ったことがあった。あれ以来、どうも自分からその類の扉を叩こうとは思えなかった。

 肩凝りの主な原因は血行不良だ。要するに運動不足。適度な運動をして、身体の血流を良くすれば、直ぐに解消するものなのだそうだ。

 と言っても、元来が物ぐさな性質で、積極的に運動をしようという気には中々ならないものだ。精々が、気分転換の買い物という名の散歩ぐらいだろうか。つくづく健康的とは言い難い生活を送っている。


 様々な思いをガラス窓に反射する景色に浮かべながら、私は軽口を叩いた相手を目まぐるしく動く景色のガラス越しに見遣った。

 白く反射する鏡面に浮かぶように、すらりとした濃紺のブレザー姿は、吊革を掴んでいる。

 ガラス越しに視線が合う。その口元が薄らと弧を描いた。


 ちらりと見上げた先、視界に入るのは吊革を掴む大きな手だ。

 ごつごつとした、骨ばった男らしい手。

 私は不意にその長い指が、自分の肩に触れるのを夢想した。


肩こりには、運動が一番。分かっていても難しいものです。

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