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1/144 の揺り籠  作者: kagonosuke
Side - Z: Mへと続くモノガタリ
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第十四話 理解と信用の回復率 95.7%

 ―――――――男なら当たって砕けろ。アイツは受動的だから待ってたら絶対自分からは来ない。攻めて落とせ。お前だってそうだったんだろう?


 おっさんからアドバイスを貰った翌日―――即ち月曜日の夜だ―――善は急げと俺は真帆櫓さんの家を訪ねた。

 前触れもなく。

 連絡を入れたら、ひょっとしたら当たり障りのない言葉で断られるかもしれないって思ったから。帰宅してるかは分からなかったけれど、それならそれで帰ってくるまで待つ積もりだった。

 幸い、真帆櫓さんは家にいた。

 突然、戸口に現れた俺に驚いた顔をしたけれど、『少し話がしたい』と言った俺が余りにも真剣な表情をしていたから、分かったと頷いて中に入れてくれた。

 真帆櫓さんはいつものようにほんのちょっと困惑気味に眉根を下げていた。それに内心、罪悪感を感じつつもリビングのソファーに案内する華奢な背中に続いた。

 真帆櫓さんは帰宅したばかりなのか、仕事モードの時のかっちりとした服を着ていた。

 グレーの薄手のニットに黒いパンツ。ジャケットは脱いだのか、ダイニングの椅子の背中に掛かっていた。通勤時に使っている見慣れた鞄もすぐ脇に置いてあった。

 そう言えば、初めてここに来た時も俺は強引で姑息ですらある手を使ったなと不意に思い出していた。

 一枚のDVDを手に。まるで唯一の特別切符(プラチナチケット)みたいに手のひらに翳して。

 あれから約半年。

 あの時もすげぇ緊張していたけど、今も同じくらいドキドキしてる。冬場だっていうのに、変に喉がひきつれてくるようだ。

 それでも真帆櫓さんが俺を中に招き入れてくれたことに最初の難関を突破した気分だった。


 いつものように床に腰を下ろした真帆櫓さんに、俺も同じように床に腰を下ろしてから、がばりと頭を下げた。

「この間はごめん。真帆櫓さんにすげぇ失礼なこと言った」

 俺はこの数週間、ずっと言いたかった一言を漸く吐き出していた。

 室内に妙な沈黙が落ちていた。

 頭を下げたままだから、相手がどんな顔をしてるかなんて分からない。都合のいいことを言ってるってことは分かってる。でも、俺は正直になりたかった。

 やがて俺の背中を冷や汗が伝った。

 なんで何も言ってくれないんだろうか。まさか、もう口もききたくないくらい怒ってる………とか? それとも調子がいいって呆れてる?

 不安に駆られている俺に、小さく身じろいだ衣擦れの音が聞こえた。

 下げたままの頬に少し冷たい指が触れた。そのまま、ゆっくりと髪を梳かれた。

「私たちは、お互いにもう少しよく話し合うべきかもしれないわね」

 存外、柔らかな口調でぽつりと真帆櫓さんが口にした。

「私もキミも我慢しちゃ駄目なのかもしれない」

「……………我慢?」

 恐る恐る顔を上げれば、優しく微笑む明るい薄茶色の瞳が俺を捕らえていた。

 目が合えばそっと微笑まれた。

「そう。お互いが思ったり感じたりしていることをね、ちゃんと口に出して伝えた方がいいと思うの。つい居心地がいいから、これまでは肝心なことをうやむやの中で流してきちゃったけど。だって、私も信くんも互いに何を考えているのか分からなくなっちゃったじゃない? 私は女でキミは男。それだけでも大きな違いなのに、私とキミは9つも離れているからね」

 ゆるゆると細い少し骨張った指が、繊細な動きで俺の顔に触れていた。

「変に遠慮をしたり、気を遣い過ぎちゃうと、本心が見えずらくなっちゃうのよね。それが余計に勘繰りやら疑心暗鬼を生んでしまって」

 そこで言葉を区切ると真帆櫓さんは俺の方を見た。

「キミも………不安だった?」

 その言葉と共に俺の身体は、すっぽりと温かいものに包まれた。

 真帆櫓さんが俺を抱き締めていた。胸元にそっと抱え込まれるようにして、俺の顔は柔らかいものに包まれていた。耳に聞こえる心音は一定していて、穏やかに規則正しいパルスを刻んでいた。

 俺は、ゆっくりと全身の力を抜いた。腕を伸ばして俺を大きく包み込む小さな身体にぎゅうと抱きついていた。

 拒否をされていないことにまず安堵した。

「私の方こそ、ごめんなさいね。大人げない態度を取ってしまって」

 真帆櫓さんはそう言うと小さく笑った。

「いや」

 俺は小さくくぐもった声を出しながら、首を横に振った。

 それはこっちも同じだったから。

「この際、思っていること洗い浚い吐き出しちゃおうか」

 ――――――顔を見ながらじゃ無理なら、このままで。

「それともソファーに並んで座った方がいい?」

 その提案に、俺はもう少し久し振りの温かさを感じていたくて、このままでいいと答えていた。


 それから、俺たちは虚飾や見栄を取り払って、今思っていること、相手に伝えたいことをぽつりぽつりと言葉にしていった。それは、なんだか、身体中がむず痒くなるようなすげぇ恥ずかしいことだったけど、と同時に何だか温かくてほわほわするものでもあった。

 その過程で分かったのは、真帆櫓さんも俺も自分に自信がなかったっていうこと。そして、それを理由に其々が自己防衛の為に相手の気持ちを信じることをしなかったこと。

「私はね、初めてキミから告白された時、すごい悩んだの。キミが真剣だったから特に。私はキミと9つも離れていて、きっとキミが考えているよりもこの差は大きいだろうなぁって。高校生のキミはもっと軽い気持ちだったかもしれないし、それなのに私の方が重くなったらやだなぁって。でも、その一方で嬉しかった。だから、キミがやっぱり私みたいなおばさんとは無理だって思うまでは、一緒にいようかなぁなんて思ってたの」

 それは初めて聞いた真帆櫓さんの本心みたいなものだった。

「なにそれ、真帆櫓さんは俺が先に心変わりするって思ってたわけ?」

「うん、少なくともね」

「俺って、そんなに信用ない?」

 少し凹みつつ、これまではうやむやにしてきたことを口にした。

 思わず恨みがましい視線を流せば、真帆櫓さんが苦笑を滲ませた。

「ううん。そうじゃなくって」

 そして少し天井を仰ぎ見てから言った。

「キミと私ではね、というよりも社会人と学生って言った方がいいかな、時間の流れが違うから。なんて言ったらいいのかしら、時間の密度の濃さ?」

 それから真帆櫓さんは、俺くらいの年頃の一年はとても濃くって、色々なもので詰まっていると言った。

 俺はいまいちピンとこなかったけど社会人になると時間が経つのがすげぇ早いんだと。一年なんてあっという間、だから一年を振り返った時に余り代わり映えのない日常のルーティーンに愕然とする。そして時間が加速度的に過ぎて行く。

「だから、そんな私がキミと付き合い始めたこの半年は、これまでのどの半年よりも凄く濃くって面白かったの」

 ――――――キミと一緒にいるとなんだかあの頃に戻ったみたいで。

 そこで区切ると真帆櫓さんは擽ったそうに笑った。

「だから、キミには無理に背伸びして欲しくないの。高校生であるキミは高校生らしく、そのままであって欲しい。だって私が選んだのは今のキミなんだから」

 それは、今の俺自身を強く肯定する言葉だった。

 大人になるのはほんとあっという間で。特に社会人になって働き始めたら、年を追うごとにどんどん時間の流れが早くなる。だから俺には今の自分の時間を大切にしてもらいたい。少し教訓染みたけど、これが俺より少し長じている年上のアドバイスだ。

 そう言って、真帆櫓さんは少しはにかむように笑った。


 それから俺たちはソファーに身体を寄せ合って座った。

 視線は互いに前を向いたまま。それが意外に心地よいことを知った。まだ真正面から向き合うには照れが勝ったから。

「俺は、年とか関係なくて、真帆櫓さんの傍がいい。なんか分かんないけど真帆櫓さんといると落ち着くんだよな」

 それは、この半年で俺が感じていたことだった。

 好きな人だから、一緒にいるとドキドキするのは本当だけど、やっぱり、リラックスしてる自分がいる。時にはそりゃぁカッコつけたりはするけど、だいだい素でいられるし。

 それは俺にしてみれば、すごく貴重なことに思えた。

 そのことを付け加えるように口にすれば、真帆櫓さんがちらりとこちらを見た。

「そうなの?」

「そ」

「なんか、倦怠期の夫婦みたいね」

 小さく可笑しそうに喉を鳴らす振動が、触れ合う肩越しに伝わってきた。

 その術懷は俺には褒め言葉のように聞こえた。

「いいじゃん、まったり、のんびり。ゆるゆるで」

「信くんて、そういうタイプだった?」

「ん~? 少なくとも体育会系じゃぁないし。暑苦しいのは苦手」

「ふふふ。確かにそうかもね。じゃあ、キミにはあの人の相手は大変だったでしょう?」

「あの人って、生方(うぶかた)っていうおっさん?」

「そう。ふふふ。キミから見たら泰正(たいせい)は十分おじさんか。今度、言ったら、絶対凹むかもしれないわね」

「だいだい、あの人、遠慮なさ過ぎ」

 これまでのことを込めて嫌そうに口にすれば、

「あはは、基本的にはいい人なんだけどね。世話焼きだし。でもちょっとズレてるっていうか。悪気がないからね」

 そこで、俺は思わず吹き出した。

 いや、真帆櫓さんから世間ズレしてるって言われるなんてなんか可笑しかった。

 あの人なら、『はぁぁぁ、お前だけには言われたくない』って大きな溜め息付きで言いそうだ。

「なに? なんか変なこと言った?」

 尚も笑い続ける俺を真帆櫓さんが不思議そうに見た。

 それに俺が思ったことを告げれば、

「まぁ、失礼しちゃうわね」

 ちょっと拗ねたようにこちらを流し見て、俺の太ももを思いっきり摘んだ。

「イッ!」

 声を上げた俺に真帆櫓さんがからりと笑った。


 そして、不意に空気が変わった。

「じゃあ、ドキドキもいらないの?」

「いや、俺は十分ドキドキしてるけど?」

 いつしか、俺たちを包む空気はかつてのように穏やかなものに戻り始めていた。それでも、互いの心の内を曝け出した分、これまで以上の何かが、俺たちを満たしていた。

 どちらからともなく、顔を寄せ合ってキスをした。

 軽く触れるだけのキス。

 まるで最初の頃に戻ったみたいに遠慮がちで、相手の反応を少しずつ探るみたいな不器用なものだ。

「ドキドキしてる?」

「ん」

「じゃあ、もう少しドキドキしてみる?」

 そう言って、真帆櫓さんは蠱惑的に微笑むと俺の首を引き寄せた。

 それからしばらくはキスをしていた。長くて深いやつだ。

 俺は先走りそうになる欲求を全力で抑えた。ここで欲望のままに突っ走ったら、せっかくの空気を駄目にしてしまいそうだったから。

「…………まほろ…さん」

「ん?」

 深く吐息を飲み込みながら、俺は恥を忍んで切り出した。

「これ以上は………ヤバイ」

「………なにが?」

 普段の天然パワー炸裂で、うっとりとした表情を浮かべた相手に俺は内心苦笑いしながら、首に回っている細い腕の片方を外すと、己が窮状を訴えるべく、その場所へと導いた。

「…………止まんなくなる…から」

 耳に熱くなった囁きを吹き込めば、柔らかな身体がぴくりと反応を返した。

「信くん、時間は大丈夫?」

 ちらりと壁に掛かった時計を見ると時刻はちょうど八時半を過ぎた辺りだった。この時ばかりは自分の家が目と鼻の先にあることを感謝した。

「ん。まだへーき」

 その答えに真帆櫓さんは意味深に笑って、自分から舌を絡めて貪るようにキスをしてきた。

 窮状を訴える為に引き寄せた手が、輪郭をなぞるように読めない動きを始めた。

「都合良く解釈するよ?」

 つまり、このまま進んでもOKってことだよな。

 再度の確認に真帆櫓さんは小さく頷いた。

 それから、俺たちは狭いソファーの上で束の間の熱い時間を過ごした。服を脱ぐのももどかしいくらいだった。

 激情の赴くままに。

 久し振りだったってこともあるけど、俺はいつにもましてがっついていた。

 でもそれは俺だけじゃなくて。真帆櫓さんも箍が外れたみたいだった。

 そして、嵐のような一時が過ぎ去った後に残ったのは、ほんの少しの照れ臭さと恥ずかしさと居た堪れなさとこれまで以上の幸福感だった。

 俺たちはどちらからともなく見つめ合うと小さく笑った。そして、再び、掠めるだけのキスをした。



仲違いといってもささやかなものでしたけれど、一応仲直りは出来た模様です。展開としてはお約束。余り中身がなかったかもしれません。

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