第三話 現実と認識の適合率 30.9%
「なぁ、坂井。今度の土曜、空いてね?」
コンビニのバイト中、同じシフトに入っている人から、いきなり話し掛けられて、俺は振り返った。
が、コンマ0.1秒。直ぐにそのことを軽く後悔した。
ニヤニヤと何やら裏のありそうな笑みを浮かべた若い男の顔が、そこにはあった。
嫌な予感が頭を過る。こういう時、俺の中に備わっている危険回避センサーは、恐ろしい程の精度を発揮する。今、そのセンサーが激しく赤色に点滅してアラートを報せてきていた。
「なんすか?」
俺は、出来るだけ素っ気なく、それでも最低限の礼は失しないように答えた。
相手は大学生で、一回生と雖も俺より二つ年上だったからだ。
「合コンすんだけどさ。最後の一人が集まらんのよ」
―――――――女子大生とだぞ。いいだろ。羨ましいだろ。
と、何故か、鼻息荒く詰め寄られた。
俺は、盛大に溜息を吐きたいのを寸での所で堪えた。
「アア。ヨカッタデスネ。今度こそ、カノジョ、見つかるとイイデスネ」
やや棒読み気味に返していた。
「なんだよ。相変わらず、テンション低いなぁ」
そりゃぁ、スミマセンね。
その人は、どう見ても、俺とは正反対、社交的で実に口の回るタイプだった。有り余るパワーを持て余している感じが、ひしひしと伝わって来る。吃驚する位いつもハイテンションで、なんでそんなに元気なんだろうって思う。
今年の春に大学に入ってから、目下、彼女絶賛募集中らしく、勉学と勤労の傍ら、渉外活動(要するに合コンのこと)にせっせと勤しんでいるらしいが、今のところ、目に見える成果は上げられていないようだ。
――――――って、何でこんなことを知ってるかって?
俺だって何も好き好んで詳しくなった訳じゃない。休憩の合間に度々、愚痴に付き合わされていれば、嫌でも詳しくなるものだ。だが、俺はいい加減、うんざりしていた。
その人は、最近の若者の類に漏れず、髪型にも服装にもかなり気を使っているみたいだし、スクウェアフレームの黒縁眼鏡を掛けて、パッと見、優しそうな感じのインテリ系で、俺の目から見てもモテそうな感じだと思うのだが、如何せん、口を開いた時のギャップが激しくて、やや残念な空気を醸し出しているのだ…………とは、口が裂けても言えないが。口を開からなければ、黙っていても女の子が寄って来そうなのに、勿体ないとつい思ってしまう。
その人は、どうやら、俺のリアクションがお気に召さなかったようで、不満そうに眉を寄せた。
が、直ぐに気を取り直したようで、含み笑いをした。
それが、俺にしてみれば、非常に気色悪かった。
「ま、それはいいとして。どうよ? 土曜日。女子大生とだぞ。お前にとっちゃぁ、憧れのおねぇさまだろ。可愛がってもらえるぞ?」
――――――――はぁぁぁぁ。
内心、俺は、とっぷりと溜息を吐いた。
「…………あの、中島さん、まさかとは思いますけれど、俺を誘おうってんじゃないですよね?」
「ハハハ。そのまさかだよ。どうだね、若者よ?」
何、そのテンション。
「俺、まだ、コーコーセーなんですけど?」
分かってんのか。この人。合コンってことは、酒を飲むんだろうに、居酒屋なんかで。
俺はまだ高校生で、当たり前のことだけど未成年だ。家でこっそり飲むならまだしも、外で店に入ってっていうのは流石に不味いだろ。それ位の良識は、俺だって持ち合わせていた。
「固いこというなって。俺だって、お前ぐらいん時にはビールの味くらい知ってたさ。お前だってそうだろ?」
んな無茶な。
「すみませんけど、無理です。その日は用事があるんで」
取り敢えず、無難に逃げおく。
「ええ~、頼むよ。坂井。そこをなんとか」
「無理です。他、当たってください」
「興味あるだろ。女子大生だぞ」
「いや、ないですから」
「なんだと! 欲しくないのか、彼女」
何だろう。今日はやけにしつこいな。
俺は、全く関心が無かったので、素っ気なく黒縁の眼鏡を流し見た。
「つーか。言ってなかったでしたっけ? 俺、彼女いますから」
だから、そんなことには興味が無いし、行く訳が無い。そんなことに構っていられる余裕は、今の俺には、はっきり言って無い。
俺にしてみれば、至極真っ当な理由を述べた積りだったんだけど、その人は、あからさまにショックを受けたような顔をした。
「何だって! おま、ずりぃ。俺よりも先に。このイケメンが。なんでだ。やっぱり顔か? 顔なのか? そんな兇悪な目付きの癖に…………。どうしてだ!」
大げさに頭を抱えて嘆いて見せたその人に、俺は正直呆れていた。
「いや、訳分かんないんですけど」
ホント、何がしたいわけ。とんだ言い掛かりだ。目付きの悪さは認めるが、それがなんでそこで出てくるんだ。
俺の中では若干、コンプレックスになっていることを指摘されて、正直、俺はかなり面白くない。
でも、それを極力表には出さないように気を付ける。
「あ、でもどうだ? 彼女にはこっそり内緒で。黙っててやるからさ。同じ高校生よりも、偶には年上のおねぇさんの方がいいだろ」
何を言い出すかと思えば。
―――――――面倒くせぇ。
どうして、そこまで俺に拘るんだろう。
俺は、店内に客が増えてきたのを見て、その人の攻勢から逃げるべく、レジに回った。
「お願いします」
柔らかい声と共にカウンターに商品が置かれて、俺は気持ちを新たに仕事に集中することにした。
「いらっしゃいませ」
そして、会計の為に、レジを打つべくバーコードを読み込んで行く。
「どうしたの? 何か嫌なことでもあった?」
聞き覚えのある声にはっとして顔を上げれば、そこには真帆櫓さんが微笑んで立っていた。
「あ」
まさか、目の前にいるとは思わなくて、俺は吃驚した。
そんな俺の反応に、真帆櫓さんは可笑しそうに笑った。
「やっぱり。気付いてなかった。余り、無理しちゃだめよ? 後で愚痴でもなんでも聞いてあげるから。ね、今はそんな怖い顔、してちゃだめ。お客さん相手なんだから」
そう諭すように言って、からかうように俺の頬を軽く摘んだ。
そこで、俺は漸く、苦笑にも似た笑みらしいものを浮かべていた。
「ごめん。ありがと」
それだけで、先程までのささくれ立った気持ちが浮上する。
いかん、いかん。危うく俺の大切な時間がふいになるところだった。
カウンターに置かれたサンドイッチやらおにぎりやらを見て、俺はおやと首を傾げた。
真帆櫓さんがいつも購入するのは決まってプラスチックボトルに入ったカフェ・ラテだから、いつにない選択とその量が気になったのだ。
「今日、遅くなりそうなんだ?」
仕事が長引きそうで、夕食代わりに摘めるものを買ってるのかなと思った俺に、
「ああ。これはね。コンビニに行くならついでにって頼まれたの。同僚に。向こうはまだまだ忙しいみたいだから。私じゃないから、大丈夫よ。キミの終わる時間には間に合うから」
そう言って、真帆櫓さんは、笑って否定した。
よかった。そのことに内心ホッとする。
「1036円です」
お会計をして、
「じゃぁ、またね」
「ん。ありがとうございます」
小さく振られた手ににこやかに返して、軽やかに遠ざかる華奢な背中を俺は眩しいものを見る気分で見送った。
自動ドアが閉まって、最後にガラス越しに振り返った真帆櫓さんが、微笑んだ。
俺はそれに小さく手を上げて応えた。
あの人には、敵わない。改めてそんなことを思う。
さてと、今日も頑張りますか。
パワーをもらって、気持ちも新たに残り後半、気合を入れるかと思った俺だったが、
「………おい、坂井。何だ、今のは?」
おどろおどろしいまでの低い囁きが聞こえて。
カウンター内で俺の後ろに背後霊のように立った男の影に、俺は無意識に顔を顰めていた。
俺も背は高い方だけど、この人もそれなりに上背があって。
視界の端、直ぐ真後ろに黒縁のスクウェアフレームが垣間見えた。
まだ、ここにややこしい人物がいたことを思い出して軽く凹んだ。でも今の俺には、その人を軽く流せるだけの精神的余裕があった。
「なんすか、中島さん」
俺は小さな笑みすら浮かべて、振り返った。
「今の女の人、知り合いなのか? やけに仲が良さそうだったじゃんか。しかも美人だし」
「ああ。はい」
知り合いっていうか、彼女なんだけど。
この人の前でそれを言ったら、面倒くさいことになりそうで、俺は曖昧に濁した。
中島さんは俺の答えに納得がいってなかったみたいだけれど、それから増えた客の対応に追われて、無駄口を叩くような間は、幸いにして出て来なかった。
そんなこんなで、とある一名からのもの問いたげな視線をかわしながら、シフトの時間を終えて、バックヤードで帰りの準備をする。
手早く制服に着替えて、
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
残ってる人たちに挨拶をして、俺は、鞄片手に自動ドアを潜った。
ガラス越しには、仕事を終えた真帆櫓さんが既に待っていた。
お馴染みになった挨拶を交わす。
「お待たせ」
「お疲れ様」
「真帆櫓さんもお疲れさま」
これから家に帰るまでの時間が、俺にとっては所謂デートみたいなもので。
忙しい社会人である真帆櫓さんと普通の高校生である俺の束の間の共有時間だった。
いつも通り、駅へと向かう雑踏へ足を踏み出そうとした俺に、今日は、思わぬ伏兵が潜んでいた。
「坂井、いい返事、待ってるからなぁ~」
開いた自動ドアの前に背の高いインテリ眼鏡が立っていて、ひらひらと手を振っていた。
「無理です」
口パクで諦めの悪い相手に最後の抵抗を試みた。
「バイト先の人?」
「そ。大学生」
「なんか、外見と中身があんまり合ってない感じがするわね」
そう言って、真帆櫓さんは可笑しそうに笑った。
「あ、やっぱ、真帆櫓さんもそう思う?」
「あんまり、こんなこというのもなんだけどね」
苦笑に似た笑みを零しながらも、同意を示すように頷いた。
「さっきの人から何か頼まれごとでもされたの?」
「あ~」
俺は、ガシガシと髪を掻いて、空を仰いだ。
五月も下旬に入り、日中は、どことなく初夏の気配を運ぶ陽気にはなってはきているけれど、夜の風はまだまだひんやりとして冷たかった。駅へと続く大通りを照らす照明は最近、LEDのもの取り換えられてから、格段に明るくなっていた。
この時間帯に、こうやって並んで駅へと向かうのも漸く慣れてきた頃合いだ。
「なんかさ、合コンに来いって、うるさくて」
思い出すだけでもげんなりした。面倒臭さ全開でぼやけば、真帆櫓さんは意外そうにこちらを流し見た。
「合コン…………って、キミ、まだ高校生じゃない。向こうは大学生なんでしょう?」
「そ。一回生って言ってたけどね。何考えてんだか、訳分かんないでしょ。一人足りないから人数合わせに来いって、しつこくて」
――――――今日は参った。
うんざりして呟けば、
「それは、……大変だったわね」
俺の凹み具合が伝わったのか、真帆櫓さんは同情するようにこちらを見た。
「上手く断れそうなの? ちょっと強引そうな感じだったけど」
「どっちにしろ、行く気は更々ないし。断るけど」
「そうねぇ。きっとアルコールが入るでしょうから、行かない方が無難でしょうね」
そんなことを話しながら、駅に着いて。
仕事帰りのサラリーマンやOLに混じって改札を抜けて、それなりに混み合っているプラットホームの上で電車を待つ。
その間、俺の隣に立った真帆櫓さんは、少し悪戯っぽい顔をして、繋いでいた俺の手を軽く引いた。
「でも、ちょっと気になるんでしょ?」
「何が?」
唐突に始まった会話の糸口が分からなくて、俺が首を傾げれば、
「女子大生」
興味津々という具合にこちらを見上げている瞳にぶつかって、俺はちょっと面食らう。
「なんで?」
「ふふふ、いいのよ。別に無理しなくても」
真帆櫓さんまで何を言い出すのかと思えば。
俺は小さく息を吐き出してから、簡潔に俺にとっての事実を告げた。
「無理なんかしてないし。つーか、する訳ないから」
「あら、そうなの?」
対する真帆櫓さんは、まだからかう様な色をその薄茶色の大きな瞳に乗せていた。
俺って、そんなに信用ないだろうか。そう思うと別の意味でちょっと凹む。
「そ。見ず知らずの何処の誰だか分かんない相手に会うのを何で楽しみにしなくちゃなんないんだか。折角の休みなんだから、俺としては、真帆櫓さんと一緒にいたいけど?」
―――――――余所見なんか、する訳ないじゃん。
一番の本心をそっと直ぐ下にある耳元に吹き込む。
真帆櫓さんは、少し驚いたように目を見開いて、
「………キミねぇ」
でも、どこか嬉しそうに喉の奥を鳴らした。
それから、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。
一日の終わり特有の気だるげな空気が漂う車内。朝はビシリと決めていたスーツの襟元も、ネクタイが緩んでいて、どこか力の抜けた顔をしてるサラリーマンがちらほらとしている。
帰りのラッシュはもう始まっていて。
俺は隣にある華奢な身体を庇うように車内に乗り込んだ。そして、車両の端に出来た空間に身体を滑り込ませる。
それから最寄駅に着くまでの十分間。俺は混み合う車内、隣にある身体を支えるという大義名分の下、その柔らかな感触を楽しんだ。
時折、呆れたように向けられる含みのありそうな視線を敢えて流しながら。それでも目立って抗議されないことに密かに味をしめていた。
そして、今度の土曜日の予定をどうやって切り出そうかと。頭の中で一人、シミュレーションを繰り広げたのだった。