第二話 予想と妄想の的中率 21.8%
昼休み、いつものメンバーで集まって飯を食うのは、四月に入ってからの新しい習慣みたいになっていた。別に約束している訳じゃない。何となく、ここに集まって来て、気が付くと揃ってるって感じだ。
この場所は、学食脇に設置された休憩スペースで。そこでも昼食が取れるようにと丸いテーブルと椅子が並んでいた。広さもそれなりにあり、窓側は一面がガラス張りで日当たりも良く明るかった。
学食内は結構騒がしいが、この場所はそうでもない。廊下側との仕切りに背の高い観葉植物の鉢植えが並んでいて、開放的だけれど適度に閉鎖された空間になっている。反対側の壁には自販機も並んでいて、中々の穴場だった。
今、俺の手の中にあるのは一枚のDVDが入ったプラスチックケース。弁当を取り出す時に鞄の中からふと手にとって、そこに小さな紙切れみたいなものが、中にあるのに気が付いた。
これは、今朝、通学途中の電車内で手渡されたものだった。元々、俺が貸していたものを返されたという訳だ。
この一枚のDVDは、何の変哲もない汎用のものだ。何の特色も無い白いレーベルのディスク。だが、俺にとっては拝んでも、拝んでも足りない位、有り難い一枚だった。
この時程、親父の趣味に感謝したことはない。アメリカの刑事もののドラマシリーズが好きで、毎週欠かさずに録画して観ているのは何となく知ってはいたが、これまで俺は何の関心も持ってはいなかった。休日の昼間にテレビの前のソファーに陣取っているのを見て、『あ、また恒例のドラマの時間か』なんて思う位だった。
だが、この一枚が切掛けで、俺は漸く欲しいものを手に入れた。
手に入れたっていうのは、ちょっと語弊があるかもしれない。モノではないし。でもまぁ、目に見えない【繋がり】と【確約の言葉】という意味では、強ち間違ってもないだろう。
気分は上々。毎日が楽しくって仕方がない。気を付けていなければ、柄にもなく鼻歌が飛びだしそうな程だ。浮かれてるってことは分かってる。でも嬉しくて仕方がないんだから、大目に見て欲しいってもんだ。
俺は、逸る気持ちを抑えつつ、少しドキドキしながら、ケースに入っている紙を取り出した。
それは、小さなメッセージカードだった。
――――――ありがとう。楽しかったです。お父様によろしくお伝えください。
几帳面さを窺わせる丁寧な少し右上がり気味の文字が並ぶ。
ありきたりな言葉。字面だけを取れば、他人行儀な何の捻りもない単純なメッセージ。
だが、その行間に潜む多くの明かされない事柄に、俺の中では溢れんばかりの形にならない【キモチ】が沸き上がって来た。
まだ、この手の中にはあの時の感触がありありと残っている、耳の奥に残る吐息とか囁きとか。これまでに幾度となく妄想を繰り返して自分を慰めてきたけれど、ホンモノはやっぱり想像を絶するもので、俺が造り出す虚像が、いい意味で脆くも崩れさったのだ。
そして、散り散りになったピースを取捨選択しながら再び集め直して、俺は余りある想像力を駆使しつつ、出来るだけ近い虚像を組み立てるのだ。
何の話をしているかって? いや、それは、言わなくても分かるだろ。察してくれ。
俺の頭の片隅には、その時の残像が切れ切れにチラつき始めていた。都合のいいダイジェスト版。ハイライトもばっちり。勿論、最初から最後までのフルバージョンは脳内に鍵を掛けて永久保存済みだ。
―――――いや、待て、ヤバいだろ。昼間から何やってんだ。
一人脳内妄想を繰り広げていた俺に、なけなしの理性という名の友人が待ったを掛けた。
体中の血液が巡り、あらぬ場所に溜まりそうになっていて、ちょっと焦る。
そんな、俺が必死で欲望と理性の間で闘っている時だった。
「きめぇ」
パシンと小気味よい音がして俺の頭部に衝撃が走った。
外部から強制的に現実に引き戻されて、俺は我に返った。
内心、助かったと思いながらもそれは表には出さずに、いきなり叩かれたことを恨めし気に見上げれば、すぐ傍に心底嫌そうな顔をした友人の顔があった。
シルバーフレームの眼鏡越しの視線がやけに冷たい。
そいつはどっかりと俺の隣に腰を下ろした。手には購買で買ったのだろう。パンの入った袋がぶら下がっている。
「何だよ」
一応、苦言を呈せば、そいつはフンと鼻で笑った。
「事実だ」
「お前さぁ、もっと自覚したほうがよくね?」
その直ぐ後ろには、大きな弁当箱を抱えたもう一人の友人が続いていて、呆れたような顔をして俺の前に座る。
「坂井、何それ?」
そして、二人に続く様に学食で昼飯を調達してきたのだろう、淡いグリーンのトレーを手にしたもう一人の友人が、俺の斜交いに座った。
この三人に俺を加えた四人がいつものメンバーで。
こいつ等とは去年同じクラスだった。今年は見事全員ばらばらになったが、こうして毎日何となく、この場所に集まって一緒に飯を食う位には、仲が良く、気心が知れていた。
学食のトレーを手にした喜多見の選択はカツカレーだった。こいつは割と細身な身体をしているのによく食べる。運動部でもないのに、だ。下手したら俺より食う量が多いかもしれない。
全員が揃った所で、頂きますと手を合わせて、俺たちは其々の食事を始めた。
「――――で、なんな訳?」
喜多見が、大きなカツの切れ端を咀嚼しながら、話を蒸し返して来た。
「あ、俺も気になる」
大きな弁当箱の中身をがつがつと口に詰め込みながら高畑が乗って来た。
「そのディスクは何だ?」
そして、つい今しがた俺が手にしていたDVDを目敏く見つけた須藤が、パック牛乳のストローを加えながら、俺の鞄からはみ出ていたプラスチックケースを指差した。
「何?アダルトもの?エロいやつ?」
どうしてそうなる。
といっても俺たちはそういう年頃で。そいつの言ってることは同じ男として分からないでもないが、面と向かって言われるとなんか癪だ。
嬉々として身を乗り出して来た高畑を俺は冷ややかに見た。
「ちげぇよ」
俺はテーブルの真ん中に何の変哲もないDVDの入ったプラスチックケースを差し出した。
こういう場合、変に隠しだてしない方がいいのだ。三対一。どう見たって俺の方が、分が悪い。なんか最近やたらとこういう構図が多くなってる気がする。
「で、その中身は何?」
須藤がケースに手を伸ばして蓋を開けた傍らで、喜多見が再び訊いてきた。
こいつは俺から見てもかなりのんびりしたマイペースな奴で、周囲には余り気を配ったりしない分、自分が興味を引いたことに関してはブレないのだ。途中で、話をはぐらかそうとしても、こいつだけは食いついてくる。こうなってしまうと奴がある程度、納得する様な説明を与えるまで解放されないのだ。
「アメリカの刑事ドラマシリーズ。親父が観てるヤツ」
「ふーん」
「坂井ってそういうの興味あるんだ?」
「で、これは何だ?」
喜多見が納得してほっとしたのも束の間、須藤の手にいつの間にか、俺に宛てた例のメッセージカードが握られていた。
「おまっ」
「なになに?」
俺が焦った傍らで、須藤はなんの躊躇いも無く、テーブルの上にカードを開いた。それを三方向から覗き込まれる。
「なになに。『ありがとう。たのしかったです。お父様によろしくお伝えください』?」
「『お父様』って…………なにそれ」
相変わらず妙な所で引っかかった喜多見が可笑しそうに笑えば、
「あー!」
何か思いついたことがあったのか、高畑が大きな声を上げた。
「ひょっとして、この間のおねぇさん? 体育祭の時の」
普段ぽやぽやした所があるこいつにしては珍しく鋭い所を突いてきた。
何も言わない須藤を見遣れば、何食わぬ顔をしてコロッケパンを頬張っていた。
俺は、溜息を吐きつつ、正直に口を開いた。
「そ。親父が偶々、録ってたのを貸して、それが返って来ただけ」
簡単に事実だけを抽出すれば、そんな所だ。
それだけで終わるかに見えた質問攻撃は、だが、止まる所を知らなかった。
「上手くいったんだな?」
「あ?」
「だからあの人と」
虚を突かれた顔をした俺に、須藤が意味深な笑みを浮かべていた。ニヤリと口角が上を向く。
この時程、須藤の感の良さを恨めしく思ったことはない。
「ああ。だからか。なんか坂井の頭の上、花畑だったし?」
「気持ち悪いくらいニヤニヤしてた訳だ」
「そういうとこ、大概、分かりやすいよね」
「大方、エロいことでも考えてたんだろ」
「うわぁ、ムッツリ?」
――――――なんでバレてるんだ。こいつらに。
俺の背中を冷や汗が伝う。
散々な言われようだ。
だが、図星であったばかりに、俺は内心の動揺を誤魔化すように弁当の残りを掻き込んだ。
俺のなけなしの抵抗とも言うべき沈黙を奴らは肯定と取ったようだった。
「ってことは、既に?」
「うぉぉ、マジか!」
「ま、本人に訊けば分かるだろ」
俺が沈黙を貫いている傍らで、友人達は顔を寄せ合い何やら密談を続けている。
俺は、そいつらを無視して、テーブルに置いてあったペットボトルのお茶を掴むと残っていた中身を飲み干した。
「あ、ちょっ、それ俺のだろ。全部飲むなよ!」
飲み物を奪われた高畑が、抗議の声を上げる。
「ごちそうさまでした」
「ひでぇ、折角、とっといたのに。八つ当たりだ」
愕然としたそいつの顔を視界の隅に止め置いて、俺はそっと手を合わせたのだった。
「そーいえばさぁ、どうやって知り合ったんだ?」
―――――――前から不思議だったんだけど。
そう前置きをして、新しく買ったお茶のペットボトルを前に、テーブルに頬杖を突きながら高畑が目を爛々と輝かせていた。
「あ、俺も気になる」
腹が一杯になって、どこか気だるそうに欠伸をしていた喜多見もこちらを見た。
そしてもう一人、静かに一人文庫本を繰っていた須藤もいつの間にか顔を上げて俺の方を見ていた。
「あ?」
急に変わった矛先に、俺は内心、狼狽えた。
目の前には三対の瞳。興味津々に怪しい(特に一名が)光を放っている。
―――――――こいつら。聞く気満々じゃねぇか。
「んな、人の話なんか聞いたって面白くないだろ」
「なんで?」
「いや?」
「寧ろ、お前がどんな顔して相手を口説いたのか、実に興味がある」
目の前に並んだ三つの雁首に俺は盛大に口元を引き攣らせた。
「「「教えろ」」」
一歩も引き下がらない悪友たちに俺は、観念するように溜息を吐いた。
「ああ。分かったよ。詰まんないからって文句言うなよ?」
こうして、渋々とだが、俺は口を開くことになった。
俺は、後方に大きく伸びをすると、当時の事を思い出していた。
* * * * * *
俺が、真帆櫓さんと出会ったのは、毎朝通学に利用している電車内でのことだった。
四月に入って新しい学年に成り、クラスに並ぶ顔触れも大分様変わりした頃、ちょうどダイヤ改正があって、俺はいつもより少し早い時間の電車に乗った。
電車に揺られている時間は約十分間。長くも無く、かといって短くも無く、中途半端な時間だ。
車内はいつも混み合っていて、俺は大抵、端の方で吊革に掴まって立っていた。
車内で本を読むような柄でもないし、教科書や参考書の類を開くなんて有り得ない。かといって、音楽を聴く訳でもない。携帯の音楽プレーヤーは一応、持ってはいるけど、電車内で聴くには耳に負担が掛かるからってんで止めてる。だから、大抵は、ぼんやりと過ごしているといえばいいか。偶に人間観察みたいなことをしながら。
そうやって毎朝、車内を過ごしていたある日のことだった。
ふと見渡した車内、俺の視線は、ある一人の女性を捉えていた。
後ろで一つに括られた癖の無い髪が背中に伸びている。社会人のようだ。ベージュのスプリングコートの襟を立てて、すっきりとした横顔に耳元の小振りな金色のピアスが、やけに光って見えた。吊革に掴まっている手首から伸びるのは、しなやかな細い指だ。
その人は、吊革に掴まりながら目を閉じていた。電車の揺れに合わせるように時折、首が前後に小さくブレる。
――――――寝てるのか? 立ったまま?
随分と器用なことをする人がいるもんだ。最初に思ったのは、そんなことだった。
ガクンと一際、大きな揺れが襲って、俺は吊革を掴む手に力を込めた。こういう不規則な揺れが、俺が利用している路線には、度々あった。
さっきの居眠りしていた人はどうなっただろうかと横を流し見れば、その女の人は、何事も無かったかのように船を漕いでいた。
――――――どんだけ、熟睡してんの?
なんだか可笑しくなって小さく笑う。
それから、その人がいつになったら起きるのだろうかと思って、俺は観察を続けた。
電車がホームに滑り込み、俺が降車する駅に着いた。
――――――残念、時間切れだ。
そう思って、俺は開いたドアからホームに降り立った。そのまま、いつもの流れで改札へ行く為に階段に向かう。
不意に階段を下りた俺の脇を一人の女性が通り過ぎて行った。ベージュのスプリングコートの背中に真っ直ぐな黒髪が揺れる。カツンとパンプスのヒールが音を立てた。
「あ」
――――――さっきの人だ。
思わず漏れた俺の声に、不意にその女の人が振り返った。
――――――ドクン。
俺の鼓動は、自分の意志とは関係の無い所で、一つ不規則に跳ねた。
一瞬だけ、目があったように思った。そして、また興味を無くしたように前を向く。
少し垂れ下がり気味の大きな瞳。色白の肌に薄い茶色の光彩は、ちょっと日本人離れしているように思えたが、小振りの低めな鼻が、それを程良く中和していた。
はっきり言って、俺の好みの感じだった。
そうこうしているうちに、華奢な背中は瞬く間に人混みの中に消えていた。
俺の中に何とも形容し難い気分を残して。
翌日、俺はほんの少しだけわくわくしながら昨日と同じ電車に乗った。もしかしたら、あの人を見掛けるかもしれないという淡い期待を胸に抱いて。
どうしてそんなことを思ったのかは自分でもよく分からない。単なる退屈しのぎだったのかもしれない。
程なくして、同じ車両の同じ場所に、昨日の女の人が乗り込んできた。
乗車する駅も同じならば、降車する駅も同じのようだ。
今日もまた、立ったまま寝るんだろうか。
俺はもう少し近くで観察しようと車内を移動した。さり気なさを装って、その人の隣に収まることに成功する。吊革を掴む小さな手が、俺の直ぐ傍にあった。
あからさまに横を向く訳にはいかないから、窓ガラスに映る景色をぼんやりと見ながら、俺の全神経は隣に立つ人物に注がれていた。
定刻通り電車が発車して、お馴染みの揺れが始まると案の定、その人が目を閉じた。
俺はそっと隣を窺った。
閉じられた瞼から伸びる睫毛は結構長い。二重だ。小さな鼻に小さな唇。目の下には薄らとだが、隈が透けて見えた。車内だと言うのに実に無防備に寝顔を晒している。それだけ疲れているのかも知れない。
化粧はしているけどナチュラルな感じで、あまり作り込んだ感がない。クラスにいる奴らの方が、絶対にマスカラとか付けまくってる。目力がどうだとか言って。
この人の素顔は、化粧を落としてもあんまり変わらないんだろうな――――なんて思った。
――――――って、向こうが寝てるからってガン見し過ぎだから。
急に自分がやってることが恥ずかしくなって前に向き直れば、運転手が急ブレーキを踏んだみたいで、大きな揺れが車内を襲った。
吊革が突然の負荷に軋みを立てる。
――――――ズサッ。
何かが滑り落ちるような音がしたかと思えば、いきなり圧迫感が俺に方に来た。
――――――え。
柔らかい感触が俺に圧し掛かっている。
「す、すみません」
微かな謝罪の声が聞こえて、俺は我に返った。
俺にぶつかって来たのは、その隣の人だった。
甘い匂いが鼻先を掠めたような気がした。
それから、再び体勢を整えて。
その人が掴まっていた吊革には、別のサラリーマンの手が収まっていた。それを恨めし気に見上げる横顔が、少し子供っぽいかもなんて思った。
だが、直ぐに気を取り直したようで、その人は鞄を肩に掛けた。そして、揺れる車内、両足を小さく開いてバランスを取っているようだった。でも、鞄が重いのか、その身体が時折、頼りなげに揺れる。
俺は、内心、気が気じゃなかった。ふらふらしていて危なっかしいたらありゃしない。
そして、ほら。思った通り。
次の停車駅に近づいて、身体にGが掛かる。
遮るもの無く進行方向に大きく揺れたその華奢な身体から伸びる腕を、俺は掴んでいた。
無意識だった。ホント。自分でもびっくりするくらい。
その人も驚いた顔をして俺に掴まれている腕を見ていた。
―――――――ちょっと、待て。何やってんの? どうする、俺。なんて言えばいい? 無茶苦茶怪しいヤツだろ。いや、普通に転びそうだったからって言えばいいのか?
ぐるぐると気持ちばかりが焦って、俺はその人の腕を掴んでいることをすっかり忘れていた。
「すいません」
小さく下げられた頭が上がり、その人は躊躇いがちに俺を見上げていた。
その口元が、実に日本人的な社交辞令の笑みを刷く。当たり障りのない微笑みだ。
それなのに。
俺はその微笑みを見た瞬間、
「いえ。掴まってて下さい。どこまでですか?」
俺の口は、そんな言葉を吐いていた。
俺の顔を見ながら、躊躇いがちにその人が降りる駅名を告げた。
俺が昨日見掛けたように同じ駅だった。
「じゃ、それまで我慢してて下さい」
そんな事を口走っていた。
後から思い返してみても、実に怪しい奴だ。自分でもそんな行動に出たことに吃驚している。何やってんの、俺。
でも、それ以上、隣でふらふらと不安定に揺れる身体を見るのは気が気じゃなかったと言うのも事実だった。
それから、俺は自分が降車する駅に着くまで、その人のスプリングコート越しの二の腕を掴んでいたのだ。意外に細いとか、柔らかいとか、訳の分からない妄想を始めそうになる脳内に待ったを掛けながら。
ホームに電車が滑り込むとその人が顔を上げた。
「ありがとうございました」
半ば強制的に拘束したのは俺の方なのに、自然な感じでその人が柔らかく微笑んだ。
俺としてはそんな反応が返ってくるとは思わなくて、内心、驚きつつ、照れ臭さもあってか、素っ気なく言葉少なに返すのが精一杯だった。
人の波に続いてホームに降り立てば、一足先に降りたその人がそっと後ろを振り返る。
何かを探すように彷徨った視線が俺の顔で止まった。少し驚いたように見開かれた瞳が、直ぐに微笑みに変わる。
その人は、俺が同じ駅だとは思わなかったようだ。
それから何となく人の流れに乗って、共に改札へ向かう。
改札を抜けた所で、その人は右に進路を取ろうと立ち止まった。
「それじゃぁ、私はこっちなので」
進行方向右側を指差して、最後に小さく微笑んだ。
俺は小さく会釈をして、学校がある方角、左に進路を取った。
その日から、朝の通学時間に俺の密かな楽しみが加わったという訳だ。
* * * * * *
話を終えた俺が前を向くと、そこには微妙な顔をした三人がいた。
「……お前、よくそれで大丈夫だったな」
「ストーカー?」
「一歩間違えれば犯罪者だな」
――――――お前ら、言いたい放題言いやがって。
「…………大きなお世話だ」
取り敢えず、俺は恋人としての地位を得られた訳だから、終わりよければ全てよし、だ。と開き直ってみる。だからと言って、今の状況に胡坐をかいている訳じゃない。寧ろ、これからが本番だ。俺は漸く、スタートラインに立ったばかり。
「でもさぁ、きっと、これからが大変だよな。向こうはすごい大人な訳だし」
――――――グサリ。
喜多見からの攻撃。ダメージ50。天然で他意が無いからこその威力だ。
「精々、捨てられないように努力することだな」
――――――グサグサ。
須藤からの攻撃。ダメージ100。こいつは確信犯だが、一々、癇に障る言い方をする。
こいつら、俺が気にしていることを躊躇いも無く抉りやがって。
「…………分かってるよ」
「まぁまぁ、でも、良かったじゃん」
いつもとは違って慰め役に回った高畑の言葉に、俺は柄にもなく安堵した。というのは本人には絶対言ってやらないけれど。絶対、調子に乗るから。
不貞腐れるようにしてそっぽを向いた俺に対して、そいつらは互いに顔を見交わせてから、可笑しそうに笑ったのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
信思君、外見はクールな筈なのですが、中身は大分違うかもしれません。心の中では色々と考えているようです。