第一話 目的と計画の進捗率 13.6%
とうとう始めてしまいました。ここから高校生(信思君)視点のお話になります。
平日の夕方、週二日でコンビニのバイトを始めた。場所は学校の割と近く。うちの学校は私立だけれど、バイト自体は校則で禁止されていなかったから、正直助かったと思っている。だから、バイトへは学校帰りにそのままシフトに入っている。
なにもそんな学校の傍で無くてもって思われるかもしれない。かくいう俺も、前は絶対にそう思ったに違いなかった。知った制服の奴らが買い物に来るかもしれないってのは、ちょっと鬱陶しいかもなんて。
でも、今の俺にはちゃんとした目的があった。それも読んで字の如く『崇高なる』目的だ。
駅は同じでも、線路を跨いで学校がある方角とは反対側。こっちの方は、オフィス街が広がる一角で、同じ制服を着た奴らは殆ど見かけない。駅から学校までの通学途中にコンビニはあるし、態々こっちの方まで足を運ぶ必要が無いからだ。代わりにやって来る客の大半は、この付近のサラリーマンやOLと大学生だ。少し歩いた所に大学のキャンパスもあって、学校帰りの大学生なんかもそれなりにいた。
俺がここでバイトをしているってことは、まだ限られたごく少数の友人たちにしか話してはいなかった。クラスの奴らには言ってない。知られたら絶対、冷やかしに来るに決まってるし、その所為で俺の当初の目的が果たせなくなるのは御免だった。
唯一、俺がバイトを始めたことを教えた親友というか悪友のカテゴリーに入るだろう一人は、あからさまに驚いた顔をした。
そして、ボソッと一言。
「坂井、愛想笑いできんの?」
つくづく失礼な奴だ。
俺は脊髄反射の如く有無を言わせずにそいつの頭を引っぱたいていた。
パシッと意外にいい音がした。
「アタッ。何すんだ!」
「うっせ」
指摘されなくとも、自分が愛想の無いことくらい百も承知だ。客商売でそれは不味いかとは思うが、元々表情筋が動く方じゃない。
図星を指されて、苛立ち紛れに睨みつければ、そいつは不服そうな顔をした。不満げに口を尖らせてぶうぶう言ってる。
「何この仕打ち。折角、人が心配してんのに」
恨めしそうな顔をするが、
「大きなお世話だ」
俺はいつものように素っ気なくあしらった。
俺だって、面接に行った時は結構緊張したけれど、蓋を開けてみればOKだったんだから、こんな無愛想な奴でも一応、基準はクリアしたってことなんだろう。そう考えることにしている。
「しっかしさぁ、顔に似合わず意外に健気だよな」
―――――――いやーん、信くんてば。
昨今、よく見るおねぇ系の真似を声音で作りながら、珍しく、それまで黙っていたもう一人の友人が、ニヤニヤして机に頬杖を突いてこっちを見ていた。
俺としては、短い黒髪を跳ね上げさせたそいつの丸出しな額に思いっ切りデコピンをかましたい気分だ。
「差し詰め、恋する青少年だな」
そして、もう一人は、可笑しくて仕方がないと言うように口の端をくいと上げて、シルバーフレームの眼鏡の向こう、人の悪い笑みを浮かべていた。
俺は、心底、鬱陶しそうに溜息を吐いた。
こいつらに話しをしたのは間違いだったか。早まったか、俺。
でも、この三人とは去年、同じクラスで、なにかとウマが合って一緒につるんでいた。今年は見事ばらけたけれど、気心がしれているし、なんだかんだ言って今でも何かに付け、大抵、学校では行動を共にしている奴らだから、ばれるのは時間の問題だった。前に駅のプラットホームで鉢合わせしたこともあったし。それなら、いっそのこと外野が騒ぎだす前に釘を刺して置こうかと思ったんだが………。
奴らにとっては、俺の今の状態は、相当いじり甲斐があるらしい。
自分でも柄にもないことをしてるってことは分かっている。でも恋をしてる時って、そんなもんじゃないかと思う。相手との距離を縮めたくて。少しでも一緒の時間を持ちたくて。向こうは大人で。自立した社会人で。生活時間とそのサイクルの違いは、一目瞭然だから。
うわ、なんか自分でも結構必死になってる。ちょっと前の俺だったら絶対、鼻で笑ってた。アホくさいって。
そんな下らないことを思い出して、自分の居たたまれなさに地味に凹んでいたら、店の入り口の自動ドアが開いたのが分かった。ブーンと低い羽音のような音がして、店内の空気が揺れるのだ。
店内は、夕方の六時半を過ぎ、仕事帰りのサラリーマンやOLが増えてきていた。
ちょうど品出しをしていた俺は、棚を整理しながら漸く板に付いた『いらっしゃいませ』との恒例の挨拶を口にする。入口には背を向けたままなので、入ってきた客がどんな人だとかは分からなかった。というか、そんなの一々気にしてられない。
ふと足音が近づいてきて、隣に人が立った。どことなく甘い匂いがふわりと香る。
まるで合図のように、俺の心臓は、一つドクリと大きく脈打った。
「頑張っているかね。勤労少年」
からかい交じりの飄々とした柔らかい声がして、軽く腰の付近を叩かれた。
「お疲れ様」
顔を横に向ければ、直ぐ下には、案の定、俺が思い描いていた人の顔があった。
目が合えば、悪戯っぽく小さく笑う。
真っ直ぐな黒い髪を後ろで一つに束ねている。それが華奢な背中の中心を分断していた。
仕事中にオフィスから抜けて来たのか、ベージュのニットのVに開いた胸元の上に黒い紐が伸びるプラスチックプレートが乗っかっていた。深く切り込みの入ったその隙間につい目が行ってしまうのは、男としては仕方のない反応だろう。
「休憩?」
「そう。気分転換にね。序でに癒されてこようかと思って」
―――――――――癒される?
発せられた言葉の意味に思考の流れが躓いていると、
「キミの顔を見にね」
そう言って、少し照れ臭そうにはにかんだ。
肌に馴染んだ淡いピンク色の唇が、蛍光灯の明かりの下、艶を放っていた。その魅惑の小さな唇が紡ぎ出す言葉に、俺は意表を突かれた。
この人にとっては、どうやら俺が『癒し』であるらしい。
友人達がそれを聞いたら、きっと腹を抱えて涙を流して爆笑するだろう。
俺は思わず顔を手で覆った。
不意打ち過ぎるだろう。心臓に悪いことこの上ない。
彼女に会ってから、時折、俺の心臓は実に不可解な不整脈を弾き出すようになっていた。それでも、そんなスリルをドキドキしながら待ち望んでいるもう一人の自分がいるのも確かだった。
赤くなりそうな、と同時に嬉しさで緩みそうになる締まりのない顔を悟られないように慌てて表情を取り繕う。
少し挙動不審になった俺を見て、その人は一層、笑みを深めた。
そうなのだ。
俺がバイトを始めたのは、この一時の為。何気ない一言で俺を翻弄するこの人に会う為だ。
「今日は仕事、どんな感じ? 忙しそう?」
「んー? 多分、大丈夫。八時半までには終わる………いや、終わらせるから」
その時間は、俺がシフトを終える時で。それから時間が合えば、一緒に帰ることになっていた。その人も、俺も、自宅がある最寄駅は同じ。電車に乗ってる時間はそんなに長くないし、駅を降りてからも一緒に歩く時間はほんの少しだけれど、それは俺にとっては貴重な時間だった。
全てはこの為だ。
会社近くでバイトを始めたと告げた時、その人は少し意外そうに大きな目を見開いた。普段は少し垂れ下がり気味な目尻が、ついと上がる。だが、直ぐにいいことを思い付いたとばかりに含み笑いをした。
「じゃぁ、後で、キミのシフト、教えてね。冷やかしがてら、ささやかな売上貢献に来るから」
それから週二日、その人が仕事の合間に時間が取れれば、こうして、この場所に顔を出すようになった。そして、時間が合えば、俺のシフトが終わった時にこの店の前に現れる。
これは、全部俺の希望的観測で、そうなればいいなぁと思い描いていた妄想図であったが、(実を言えばちょっとした賭けでもあった)いざ、始めてみれば予想以上のハイリターンで、自分でも内心驚いていた。
「あんま、無理しなくていいから」
一応、やせ我慢でもそう言ってみる。物分かりがいい振りをして見せるのは、自分なりのカッコつけだ。
向こうの仕事が忙しいのは、これまでの遣り取りからなんとなくだが想像は付いていた。
一緒に居たいのは本心だが、その為に無理をして欲しくはなかった。そもそも、これは俺の我儘から始まったことで、彼女に負担を強いるようなことはしたくない。
だって、小さくともそういう負担や無理が積み重なったら、息苦しさを感じてしまったら、きっとこの関係は直ぐにでも崩れさってしまうだろう。
元々、俺の方から半ば押し切ったような始まりで。それでもモーションを掛けて脈はあるかなって期待の上に、突っ走った感じだった。
「大丈夫。無理はしてないわよ。駄目な時はちゃんと連絡するし」
その人は、そう言って微笑むとしなやかな腕を伸ばして、棚にあるカフェラテを手に取った。
彼女が買うのは大抵、同じ銘柄のプラスチックのカップだ。甘さが控え目の奴。好みが意外に保守的で。好きなものを長く選ぶって感じだ。
………ってなんかストーカーぽくて、一歩間違えば無茶苦茶怪しい奴だ。
それでも、そんなささやかなことが積み重なって、少しずつ増えてゆく彼女の情報は、俺の日常の楽しみで、何物にも代えがたい大事なものだった。
こうやって、俺は彼女との距離を手探りで縮めて行く。使い慣れていない分野の頭を使って。思い描く終着点とそこへと続く通過点を想像しながら。
そうやって俺の密やかな計画は、時折、横槍が入ったり、軌道修正をしながら、少しずつ進んで行くのだろう。
俺の計画は、まだまだ始まったばかりだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。今後は回想を挿んで時間軸を前後しながら、お話を進めていく予定です。