魔法使いの父
この世に魔法なんてものはない。
これは誰もが知っている、当たり前の常識だ。
しかし、小さい頃は、大人は人の心が読めるとか、世界にはテレビに出ているような超能力者がいると思っていた。
いつ頃からそんなことを信じなくなったのだろうか。
正直、誰かに教えられたり、馬鹿にされた記憶はない。
現実を知り、何となく突拍子もないことを思わなくなり、興味がなくなり、信じなくなり……
それでも、信じていたならば、やはり魔法はある……
いや、信じる人がいるなら、魔法はあるべきだと僕は思う。
目の前にある墓を見て、そう思った。
別に、大切な人を生き返らせてほしいと思うわけではない。
自分が魔法使いでなくてもいい。
ただ、魔法は世の中にあって、自分はそれを使えないだけだと、そう思いたいだけだった……
―
これは、悲劇でもなければ喜劇でもない。
なぜなら、現実は物語ではないからだ。
それでも、あの笑顔と言葉に悲劇はなかった。
彼女たちは、喜劇ではなくとも、確かに幸せを持っていた。
それを証明するための物語。
そして、僕が魔法使いになるまでの物語だ。
―
暖かくなり始めた季節。ピンク色の美しい花は散り、それでも希望に満ちあふれていた頃。
僕には……僕たちには、一つ大きな希望があった。
その希望は、愛すべき妻のお腹の中に眠っていた。
女の子だ。
きっと彼女に似て、綺麗で優しい女の子。
「子ども」という名の希望が、そこにあった。
もちろん、不安は大きかった。
彼女のつわりを初めて見た時は、こんな思いをさせてまで、自分は子どもが欲しいのかとさえ思った。
でも、彼女はいつも、僕が不安そうな顔をしていると、笑顔で嬉しそうに子どもと僕たちの将来について話してくれた。
つらいのは彼女なのに。
不安でいっぱいなのは、妻に決まっているのに。
僕は自分を不甲斐なく思った。
そして、幸せのため、未来のために、彼女を、この子を支える覚悟を決めたのだ。
もちろん、僕にできることは些細なことだ。
子どものために一生懸命働くことと、妻の負担をできるだけ取り除くこと。それくらいしかできない。
それしかできない僕に、いつも笑顔で感謝を伝えるのは彼女だった。
そんな、いつも笑顔を絶やさない彼女が、僕の前で笑顔を消し、涙を見せる瞬間があった。
医者から、安全な出産が望めそうにないと告げられた時だ。
今回は諦めるしかない。そう告げられた時だった。
正直、僕にとっては、生まれてくるであろう子どもよりも、妻のほうが大切だった。
何度も「諦めよう」と口にしそうになった。
しかし、諦めない妻に、そんなことを言えるわけもなかった。
出産予定日が近づくにつれて、妻の顔から笑顔が消えていくのが見えた。
僕にも再三説明があったが、きっと妻も医者から何度も説得されていたのだろう。
僕は医者ではないから、「安心しろ」なんて言葉は言えない。
その頃の僕にできることといえば、励ますことくらいだった。
「頑張れ」なんて、他人事のような言葉を言うくらいしか。
それでも、笑顔が消えていく妻に対して、僕はついに無責任な人間になってしまう。
「きっとうまくいく」
「希望はある」
「僕がついている」
そんな言葉をかけた。
無責任にも程がある言葉だ。
それでも彼女は、僕の言葉に笑顔で応えた。
今思えば、あれは僕のための笑顔だったのだろう。
だがその時の僕は、彼女が自分のことを底なしに信じてくれているのだと思っていた。
調子に乗った僕は、彼女を笑顔にするために、昔覚えたマジックを披露した。
タネが分かれば簡単なマジックだ。
それを見た彼女は、
「私には魔法使いがついているのね」
と笑ってみせた。
僕も、
「魔法使いに任せなさい」
なんて言葉をかけた。
最初に言った通り、この世に魔法はない。
つまり、この後に続く展開は――彼女の死にほかならなかった。
それでも彼女は、元気な女の子を産んでくれた。
最後に自分の子を見て、
「ありがとう、魔法使いさん」
そんな言葉を残して……
―
自分一人で娘を育てるのは苦労の連続だった。
妻がいれば、と思う一方で、ここまで来ても彼女に頼っているのかと自分を責めることもあった。
娘が四歳になる頃、彼女は魔法使いに憧れていた。
子どもなら誰しも通る道だ。
それでも、その「魔法使い」という言葉に、魔法使いになれなかった僕は影を落とす。
そんなある日、娘は風邪を引いた。
ただの風邪だ……
そう思っていた。
しかし、病院で薬をもらって二週間経っても熱が引かなかった。
もちろん、その間何度も病院に連れて行ったが、なぜか治らない。
大きな病院で詳しく検査した結果、娘には免疫の異常があることが分かった。
誰もがかかるただの熱。
それさえも、娘を死に至らしめる可能性があったのだ。
一度熱が出てからは、入院ばかりの日々。
最初は、
「魔法使いになれば風邪なんて治せる」
そう言っていた娘だったが、次第に笑顔が消えていった。
そこで、娘のことばかり考えていた僕は、妻のことを思い出した。
一度は笑顔を失い、それでも再び笑顔を取り戻した妻のことを。
きっと、あの笑顔は僕のためのものだったのだろう。
だが、死に際に見せたあの笑顔だけは、本物だった。
僕はそう信じている。
少し話がそれたが、そこで妻を笑顔にしたマジックのことを思い出した。
魔法使いを信じる娘にとって酷なものだとも思ったが、医者に相談すると、意外にも許可が出た。
娘にとって希望になるだろうと。
僕は娘にマジックを見せた。
案の定、娘は信じた。
妻のように「信じるふり」ではなく、本気で。
それから娘は、
「私は“魔法使いの娘”だから、風邪なんて治せる」
「パパは魔法使いだから、きっと治す方法を見つけてくれる」
そう言うようになった。
僕は、そんな娘を見て、涙をこらえながら何度も言った。
「パパに任せて」
「お前は魔法使いの娘だ」と。
しかし、ここでも僕は魔法使いにはなれなかった。
最後に、娘が眠る時に、もう一度同じマジックを見せることしかできなかった。
マジックを見た娘は、
「パパの魔法、大好き」
そう言って、永遠の眠りについた。
そこからの僕は、人生に打ちひしがれた。
希望を二つも失ったのだ。
彼女たちの後を追うことさえ考えた。
でも、そうはしなかった。
僕には、やり残したことがある。
僕を魔法使いだと言ってくれた妻に、娘に、嘘をついたまま死ぬわけにはいかない。
妻と娘のためにも、僕は魔法使いにならなければならなかった。
そこからは勉強の日々だった。
来る日も来る日も……。
十年の月日が経ち、ようやく一歩目を踏み出せた。
医師国家試験に合格したのだ。
そこからやるべきことは、妻を死に至らしめた出産リスクをなくす方法の研究。
そして、娘を死に至らしめた免疫疾患の研究。
さらに長い年月が流れた。
それなりの医師としての地位にも就いた。
それでも、まだ足りない。
足りない。
足りない。
足りない。
……
……
……
ついに研究は成功し、臨床、そして手術へと進んだ。
目の前には、娘と同じ病気にかかり、死を待つだけの子がいた。
その子は僕に尋ねた。
「病気は治りますか」と。
そして、僕はこう答えた。
「僕は魔法使いだよ」




