5 明るい女性
鈴を頼りに走行して15分。路地の電柱の根本に体育座りをして項垂れるスーツ姿の女性がいた。
見た目はこちらの人と変わりない、普通の人っぽいが、鈴を左右に振ると右へ左へと女性を指して鳴ることから間違いない、この女性のようだ。
「…すみません」
何度こなしてきても最初の声かけには緊張する。
「私に言ったの?」
ゆっくり顔を上げた女性はしっかりとこちらを見た。その瞳は驚きにこれでもかと開かれている。
「…はい。あなたに言いました。突然ですが何か困ってることとかやりたい事があるなら力になりますよ」
女性に要件を端的に伝えると、暫く固まってから意を決したように真面目な顔で口を開いた。
「私、私ね。飲みに行きたいの。飲んでいる間は私の話を聞いて欲しい。ちょっと長ったらしくなっちゃうかもだけど、お願い」
「…わかりました」
了承すれば女性は安心したような優しい笑みを浮かべ立ち上がる。
何故か神戸の勤めで会うあちらの人は全員すんなりとこちらに要望を伝えてくれる。だから神戸の役割について一から十まで伝えはしない。
女性が行きたいという居酒屋まで2人並んで歩く。側から見れば自転車を押して歩くぶつぶつ呟く不審者1人といったところか。
「あの居酒屋さんで食べる枝豆が美味しいんだよ。塩が効いててお酒と合わせると最高なの!」
「…お酒、お好きなんですか?」
「大好き。カクテルも品のある味で好きなんだけど私はビールをジョッキであおるのがいっちばん好き!」
女性は満面の笑みで手を組んで前に伸ばした。
「ずっと座ってたから体が凝り固まっちゃった。ねぇ、私ってどうなっちゃってるの?死んだの?」
「…そうみたいです。今の状態は所謂幽霊だと思います」
「幽霊とか都市伝説だと思ってた。死んだら本当に幽霊になれるんだね!」
えへへと笑う顔は自分が死んだことを悲観していない前向きさがある。こんなに明るい人は珍しい。
「青年って学生さん?」
「…大学生です」
「青春真っ只中の素敵な時期だね!良いね良いね。どう?恋バナとかない?」
好奇心に瞳を輝かせてこちらに問いかけられたが残念ながら期待に応えることはできない。
「…ありませんね」
恋人いない歴=年齢なんですよ。
「そっか、残念。」
僕たちは角を曲がって居酒屋の並ぶ道を歩いてゆく。
この辺りの居酒屋は海鮮を推しているこの街ならではの店が多い。刺身や煮付け、油子の丼など湾で獲れた新鮮な魚介類を食べられることから昼夜問わずに人が多く集まる。街の外から来た観光客には刺身が珍しいらしい。
「〜でさ。」 「はははは」
サラリーマン数人が横を女性の身体をすり抜けて通って行った。
それに感嘆の声を上げる女性。
「おお、私本当に幽霊なんだね。この歳で幽霊を信じざるを得なくなるなんて思ってもみなかった。まだまだ世の中広いねぇ」
「…そうですね」
前向きすぎる女性に気押されつつ僕は人を避けた。
「ねえ、家族との思い出話聞かせて。私家族って言える人1人しかいないから参考までに!」
「…僕が父の隠し子だと発覚して両親は離婚、その後行方不明になり曽祖父が育ててくれました。…曽祖父が亡くなった後はご近所さんがよく様子を見に来てくれてなんとかここまで育ちました」
「あ、ごめん」
「…いえ。楽しかったですよ。曽祖父は厳格な人だったけど抜けてるところもあってよくキャンプにも連れて行ってくれましたしご近所さんも優しい人でした」
この時から既に流はエゾテン姿でさも当たり前かのように家にいた。
大じいちゃんに聞いてもエゾテンだ、良い奴だとしか言われなくて子供ながらに首を傾げて謎だと思ったものだ。大じいちゃんがいなくなってからは流が世話焼きにより拍車をかけてうざったく相手をしてくれたから寂しさはなかった。
「そっかぁ、素敵だね。私の家族はね、大切な彼よ」
そう言って左手の指輪を見せてくれた。シンプルなデザインであるのに目を引くのは幸せの形だからだろうか。
「婚約指輪。結婚指輪だけでいいよって言ったのに必要だろうって言ってプレゼントしてくれたの」
頬を染めて語る女性は本当に幸せそうだ。
でも僕はぎこちない笑顔を向けるので精一杯だった。だって結婚が決まっていたこの女性がこの世で最愛の人と式を挙げることはもう叶わないのだから。
土鈴が案内するのは地縛霊候補のあちらの人の元のみ。未練が強いと死んですぐに会うこともあるがあちらの人になってから未練を募らせて候補になる場合もある。だから結構昔の時代の人と交流することもあるのだ。
この女性は見たところ比較的最近の人なのだろうが、相手の男性は今いくつになっているのだろう。もしかすると今も女性を忘れられずに悲しみの海に沈んでいるかもしれない。
「沖嗣、余計なこと考えんな」
女性には見えない反対の肩に顔が位置している流が思考を読んだかのように僕の思考を遮る。その声はいつもの五月蠅さの鳴りを潜めた真剣な声色だった。
仕事中に流が話しかけてくることは少ない。そして数少ない口を開いた時の忠告は必ず正しい。
「気をつけろ。この女が纏うのはいいもんじゃねえ」
「…」
流はそれきり黙り込んだが警戒しているのだろう、体毛が僅かに逆立っている。
「どうかした?」
顔を覗き込まれて驚いたがあまり表情の変わらない硬い表情筋のおかげで悟られてはいなさそう。
「…いえ。今日のテストが酷くて悩んでました」
「わ〜!学生って感じがして可愛い!青春だねぇ」
咄嗟の嘘だったがこの反応からしてうまく誤魔化せたようだ。女性は自分の高校生生活や大学生の頃の思い出を語っては楽しそうに歩みを進めていく。
僕もそれに続いて歩いた。




