28 鈴の音と猫 2
潮の匂い。ザァーザァーとあたり一体に響く雄大な存在を主張する波打つ音。
茶トラに案内されたのは近くの砂浜だった。
「…猫って水嫌いなんじゃないの?」
「眺めんのが好きなんじゃねぇの?」
僕たちが疑問形で話し合っていると、腕から茶トラがすり抜け砂浜に打ち上げられた流木に降り立った。
尻尾をゆらりと揺らし、ピンと立ち上げ耳をぴくりと動かしただけなのに、知性が見え隠れする。
肩にいる流を見るに新たに何かを伝えてきたみたいだ。
「海に薄緑の石があるはずだから、それを探して見せてくれだと」
「…シーグラスのことだね」
「気をつけろよ、オマエ泳げねぇんだからな。波に攫われんじゃねぇぞ」
「…子供を心配する親みたい」
「ガキの心配して何が悪い」
「…成人してるんだけど?」
流の物言いには不満だが泳げないのは事実。海のある街で産まれ育ってはきたけどこの揺らぎと大きな音に苦手意識もある。だけど海の中にあるシーグラスと指定されてしまっているので腹を括るしかないかな。
ズボンを捲り、靴は茶トラのいる流木の下に置いておく。流は茶トラの横で待っていてもらうことにした。
流たちに背を向けて歩いていたら背後からスマホの着信音が聞こえたが後で確認すればいいかと放置。
「あんまり深くまで行くんじゃねえぞ!」
「…わかってる。心配しすぎ」
海水浴シーズン終盤の平日の海には僕たち以外の人はいない。いるのは空を飛ぶカモメくらいだ。
慎重に青い水に向かって歩いていくと波が足を浸しては引いていく。
今日は気温が低いから気持ちいいを通り越して冷たい。身体が冷える前に早く目当てのものを探したほうが良さそう。
◇◇◇
ザァー…ザァー…
「…青と白はあるのに薄緑は一つもないってどういうこと?」
思わず呟いた言葉は波の押し寄せてきた音に吸い込まれる。
体感時間15分、未だ見つからない薄緑色のシーグラスに頭を抱えそうだ。膝下までの浸水の場所は全て探したから、後一歩深くまで進んでみるか。
慎重に進む。先ほどいた場所からたった一歩しか移動していないのに、押し寄せては引いていく海の力が強くなって足がもつれそうだ。
ザァー…ザァー…
「沖嗣!」
流の言葉にとっさに顔を上げると目前に一際大きい波が迫っていた。太もも辺りまで押し寄せ、バランスを崩した。体制を立て直す前に波が僕の足を掴んで引いていく。
パッと目の前の景色が青色に染まった。
目が痛い。
誰かにグッとフードを掴まれる感覚、次いで砂浜に引きずられてようやく全身が海水の中に浸かっていたのだと理解した。
「沖嗣!しっかりしろ!」
「…意識はあるよ。少し海水飲んだだけ」
「なんともねぇんだな!?」
「…大丈夫だって」
波打ち際で咳き込む僕を全身ずぶ濡れの流が焦った様子で心配してくる。さっき助けてくれたのは流だったようだ。溺れた恐怖心よりもこの小さなエゾテンにあれだけの力があることに驚きだよ。
「ニャー」
2人して鳴き声のほうをバッと見る。すると茶トラは出会った時のように肉球を舐め、顔を手で撫で付ける。ふいにこちらを見た目は三日月型に細められて満足そうな色をたたえた。
「ちっ、そうかよ。」
苦々しくそう言った流になんて言ったのか問う前に茶トラは流木から軽やかに飛び降りてサァッと消えてしまった。茶トラの纏う雰囲気が消えた感じもする。
「…これは仕事終わったってことでいいの?」
「そうだろうな。あのネコ、薄緑の石ころなんか必要なかったんだとよ。ったく、オレらを騙しやがって」
「…どういうこと?」
「あのネコはオマエが慌ててんのが見たかったんだと。だから他の奴らには視えねぇ自分を抱かせてヒソヒソと話されるように仕向け、ここではオマエが海に足とられるように石ころなんか探させたってわけだ」
「…慌ててるのが見たいなんて変わった望みだね」
「遊ばれたんだよ」
「…まあ、それで満足してくれたならいいんじゃない?」
◇◇◇
全身ビシャビシャで荷物を持って帰路を辿る。スニーカーは濡れるのと裸足で歩いて怪我をするのとを天秤にかけて履くことにした。
今日は大活躍した流はその白と黒の体毛が塩分の含んだ水によりベタついて尻尾の先から海水が滴っている。帰ったら洗ってやらなければ。
「クシュッ」
「…風邪引くかもね」
「オレは病気しねぇよ。それを言ったらオマエのほうが不味いんじゃねぇか?人間はすぐ風邪引くからな。あと明日の大学、午前からだろ?寝坊すんなよ」
「…熱でて休めたらいいのに」
「ガキの頃みてぇなこと言ってんじゃねぇ」
ザァー…ザァー
振り返ると海は青々としてその音を響かせ砂浜と遊んでは引いてゆく。潮風の匂いもこの景色も好きだけど気を抜いて触れると恐ろしいものだとも思う。
自然の力強さを身をもって知った1日だった。
「…遊ぶよりも眺めているほうが好きだな」
「お、なんだ怖くなったのか?」
「…流だって僕が転んだ時焦ってたじゃん」
「あれは焦ったんじゃねぇ。ちょっと声かけてみようと思っただけだ」
「…ダウト。僕が溺れるんじゃないかって焦ってた」
「好きに捉えろよ」
珍しく認め、つまらなそうな顔をした。
素直じゃない流が認めるほど今日は心配をかけたのだとわかり、少しだけ申し訳なさを感じる。
「…ありがと」
「なんのことだよ」
「…助けてくれたこと」
「オマエも礼とか言えるようになったんだな。成長したなぁ」
「…なんかその言い方嫌だ」
「あのオレには悪態ばっかの沖嗣が礼を言ってくるなんざ珍しいこともあるもんだなぁ」
家の玄関を開けるまでの間、ずっとこの調子でニヤつかれたのでお礼なんか言わなければよかったと思ったり思わなかったり。




