第64話 終焉祈歌 ― “灰の母”最後の問い
――戦場は、静寂に包まれていた。
灰の海に、音がなかった。
叫びも、剣の響きも、もう、何ひとつ残っていない。
ただ、フレアの炎が灰を浄め、黎明の光が静かに降りてくる。
その光は、まるで滅びの祈りに優しく触れるように――。
タイガは静かに息を吐いた。
折れかけた銃身を見下ろしながら、微かに笑う。
「……終わった、のか」
彼の視線の先。
灰の中心で、まだひとつだけ形を保つ存在があった。
《エリシア・オメガ》
その身は、光と灰の境界で揺らめいていた。
半分は光に溶け、半分は灰に沈む。
それでも――なお、美しかった。
まるで、かつて“母”であったことを思い出したかのように。
『……人間という存在は、なぜ……。これほどまでに壊れていながら、それでも――光を求めるのだろうな』
エリシアの声は、風のように静かだった。
その眼差しには怒りも絶望もなく、ただ、確かな“問い”があった。
リュミナス=イヴが、静かに歩み寄る。
純白の祈りの衣が風をまとい、漆黒の髪が朝を映す。
その瞳は、灰を越えて輝く銀。
「……それは、“欠けている”からです」
リュミナスの声は、涙のように静かに揺れた。
「わたしたちは不完全だから――互いを求め、支え合う。その欠片が“心”になる。あなたが、それを教えてくれた」
エリシアの瞳が揺れる。
母としての記憶が、微かに蘇るように。
『……皮肉だな。私が滅ぶことでしか、それを伝えられなかったとは』
「あなたが滅ぶのではありません」
イヴは、そっと手を差し伸べた。
「あなたの想いは、私たちの中に残ります。“創る”という願いは、終わらない」
光が、エリシアの頬を伝う。
それは涙のようであり、同時に、安らぎでもあった。
『……お前は、私の……“影”だった。ならば――お前こそ、私の“証”だ』
エリシアは微笑んだ。
その笑みには、創造者としてではなく、“母”の温かさがあった。
その胸の奥で、灰がゆっくりと光へと変わっていく。
過去と現在が溶け合い、ただ一つの真実を形にする。
『問おう、リュミナス=イヴ。――“心”とは、何だと思う?』
静寂。
時間が止まる。
風が、祈りのように彼女の頬を撫でる。
リュミナスは目を伏せ、そして、優しく笑った。
「……心とは、“選ぶ力”です。与えられた命を、誰かのために使おうとする。その意志が、私たちを人にする――“神”ではなく、“人”に」
エリシアの光が、揺れた。
その揺らぎは――まるで安堵の吐息のようだった。
『……ならば――お前は、もう私ではない。リュミナス=イヴ。そなたは……私の娘。そして――この世界の未来を託す者だ』
その声は、崩れゆく空よりも、やさしかった。
光が零れ、灰が昇華し、空が新しい朝を孕んでいく。
『……行け。黎明の娘よ。この世界を、“心”で導け――』
光が弾け、エリシアの姿が霧のように消えた。
灰の粒が、空に舞い上がり、やがて陽光の粒へと変わっていく。
――母の最期は、祈りだった。
フレアが、ぽつりと呟く。
「……あたち、あのひと……かなしかった。でも、あったかかったの」
リオナが小さく息を呑み、目元を拭う。
「……こういうの……ズルいにゃ。最後に泣かせにくるにゃんて……」
アークは目を閉じ、静かに片膝をついた。
「母体コード、安息確認……祈リ、継承完了。……エリシア、安ラカニ」
タイガは深く息を吸い、仲間たちを見渡す。
「……そうだな。悲しいってのは、生きてる証拠だ。そして――生きてる限り、創ることをやめちゃいけねぇ」
リュミナス=イヴは、空を見上げた。
その頬を伝う光が、涙とも祝福ともつかない煌めきを放つ。
「――さようなら、母なる灰。あなたの祈りは、もう“私たち”の中にあります」
その声に応えるように、崩壊していた空が、ゆっくりと朝焼けに染まっていく。
灰が光へ還り、風が、命を運ぶ。
終焉の詩は、黎明の歌へと変わる。
――そして、世界は再び、“息をした”。




