第56話【後半】 鋼と祈りの宴亭《バンケットハーツ・デン》――ロスウェルの夜
その夜。
甘い香りと笑い声が、静かにほどけていくはずだった。
《鋼と祈りの宴亭》の窓からこぼれる灯が、戦いに疲れた者たちを優しく包み込んでいた。
だが――その“安らぎ”は、音を立てて裂かれた。
バァンッ!
扉が跳ね、空気が一瞬にして凍りつく。
皿が床に落ち、笑いが止まる。
割れた硝子の音が、やけに遠く響いた。
銀の鎧を血に染めた騎士が、月明かりの中へよろめき入る。
胸の紋章――青薔薇に白翼。
《ガ・ナッシュ騎士隊》。ラクリーム領主家直属の精鋭。
「......っ、騎士!? その傷、どうしたの!?」
ミーネの声が緊張に鋭く跳ねた。
騎士は肩で息をし、床に片膝をつく。
血に濡れた剣を支えにしながら、必死に名を告げた。
「私は……セ、セルジュ=ラトーナ。ミルフェ様を……お探ししておりました……!」
その名を聞いた瞬間、厨房の奥――白いエプロン姿のミルフェが、驚き振り返る。
「――セルジュ!?」
手にしていた皿が滑り落ち、陶器の破片が散った。
香ばしい菓子の香りが、鉄の匂いに押し潰されていく。
「どうして……そんな大怪我を……! お父様の近衛騎士の貴方が......まさかセレスティアになにか異変が!? 領都は、お父様は、無事ですの!?」
セルジュは唇を噛み、血混じりの声を絞り出す。
「領都セレスティアが……魔物の群れ(スタンピード)に……っ!北方魔瘴海《デス・マルティナ盆地》から溢れ出した灰獣どもが、結界を突破しかけて……! 街は、すでに炎に包まれて……っ!!」
――ざわり、と場の空気が変わった。
誰もが、呼吸を止める。
先ほどまで漂っていた笑い声も、灯のぬくもりも、今はただ“冷たい予感”の中に飲まれていった。
【《金の豹団》即応】
最初に動いたのは、艶やかな金髪に豹柄のメッシュを揺らす――豹団団長“金の豹”ことレオパルド。
「……スタンピート? あらまぁ? まさかあの北方の結界が破られるなんて、まったく世界はドラマチックに動き出すわねぇ」
その声音は柔らかく、しかし瞳は獣のように鋭かった。
金色に光る獰猛な豹の眼が細められ、艶笑は消え、口元が戦場を知る者の決意に固く閉ざされる。
隣で眼鏡を押し上げて――サリヴァが、低く詠唱を始める。
六つの魔法陣が床に展開され、青白い光の乱舞で空気が揺れた。
「《幻装・六重結界》、展開完了……情報確認次第、セレスティア防衛線、損耗率予測七割。……全団員、即時戦闘態勢へ。感情を捨てろ、思考で動け」
バルド・グレンハンマーが、《ギアクラッシュ》を肩に担ぎなおす。
その目に宿るのは燃え上がる職人の魂――戦場をもって鍛冶場に変える覚悟だ。
「……ったく、それは旨いデザート後の急転直下かよ。だが、“フォージ”の火はまだ冷めちゃいねぇ。打ち直しの時間だぜェ!」
エルフの少女、シェリル・グレイスウィンドが唇を噛む。
手の中の弓が小さく光を放つ。
「……あの街の子たち……まだ、助けられるよね?――絶対に、救ってみせるよ!」
灰銀狼の獣人拳闘士、鉄拳のガルムが低く唸る。
背中の紋章が赤光を放ち、闘気が噴き上がる。
「……守るために、戦う。それが――オレたちの仕事だ」
その背に、雷光が走った。
豹団の即応に、タイガたちも立ち上がる。
「うわ……出たな、“映画で見たヒーローたちが同時に立ち上がるシーン”だ……!」
「感動してる場合じゃないにゃ!」
「主、感情高揚率:二百三十ハ%。戦闘前フラグ確定」
いつものタイガにすかさずツッコミを入れるリオナ、冷静に分析するアーク。
「落ち着いて。心を合わせれば、きっと間に合うはずです。恐れを超え成長するのが人の強さです」
黒髪が聖光を浴びて舞い上がるリュミナスの姿は、まるで月光の加護そのものだった。
彼女のシルバーグレーの瞳が静かに輝き、空気が一瞬だけ清められる。
その光を見て、怯えていたフレアがタイガの袖を掴む。
「にぃに……こわいの、くるの……」
タイガは膝を折り、そっとフレアの頭をなでると、その掌から、ほんのりと金の魔力が灯る。
「……ああ。怖いけど、行くんだ。“怖い”を乗り越えてこそ、クラフト魂ってやつだろ?」
「……にぃに、へんなこと言ってるのに、あたち……ちょっと安心したの」
タイガは笑って立ち上がった。
その横顔に、少年のような無鉄砲さと、職人の覚悟が並んでいた。
「上等だ。じゃあ、“第三章”、開幕ってわけだな。」
ミーネが、冷静に指示を飛ばす。
「全員、装備を整えろ! ギルド本部、即時出動体制へ移行!……泣き言をほざいてる暇はない! 私たちが――間に合わせる! 全員行動で示せ!」
アークの眼が青白く輝き、データ投影を行い、低く告げる。
「魔力異常、東方セレスティア方面。数値――“厄災級”」
その言葉に、部屋の温度は下がり全員の鼓動が高鳴る。
ランタンの炎が揺れ、金の光が仲間たちの決意を照らした。
レオパルドが振り返り、唇を艶やかに歪める。
「……さぁ、血沸き肉躍るアツいバトルの第二幕の開演よぉ。創造も破壊も、そこに美学がないとねぇ――もち魅せてくれるわよね? タイガ♡」
タイガが笑い、拳を握る。
「了解、レオねきぃ。こっちは創造魔法、フルドライブでいくぜ! “世界再構築”の始まりだ」
風が吹き抜けた。
夜の底に、焔のような決意が灯る。
――かくして、“セレスティア奪還戦”がその幕を開けた。




