第56話【前半】 鋼と祈りの宴亭《バンケットハーツ・デン》――ロスウェルの夜
――灰滅竜《グラウズ=ネメシス》再封印から、三日。
防衛都市ロスウェルの夜は、久方ぶりに穏やかだった。
……だった、はずだった。
「ぐおおおおっ!! この俺様を差し置いてッ!! 誰が一番酒に強いか決めねぇまま帰れるかあああ!!」
――ギルド本部によって臨時の《豹団》と《TIGER GATE》の拠点となった《鋼と祈りの宴亭 バンケットハーツ・デン》
木の梁が震えるほどの大音量が、宵の空へ響いていた。
その少し前。
「……で、あの幼竜の件だがな」
冒険者ギルドマスターの全身を鋼鉄のような筋肉で覆った老ドワーフのグラフトが、酒樽を片手にぼそりと呟いた。
「灰滅竜の再核があの姿に転じた、って話、本当なのか?」
「ええ、間違いないわ」
グラスを傾けながらミーネが答える。
「霊核反応も一致。けれど、今の彼女はもう“グラウズ”じゃない。タイガの魔力と魂に共鳴して、伴星として再誕した存在よ」
「ほぉん……つまり、公式には“テイム済み”ってことか?」
「一応はね。もっとも、彼の『テイム』は普通の使役契約とは違う。星の絆とでも呼ぶべきもの――互いの生存域を共有してるのよ。理論上、片方が死ねば、もう片方も存在できない」
「そりゃ……危なっかしいが、まぁ、あいつらしいちゃ納得だわなぁ!」
ギルマスが豪快に笑う。
その視線の先で――虎柄の仔竜フレアが、テーブルの上でちょこんと座り、尻尾をふりふりしながら、肉の串をかじっていた。
「ふにゃ? なぁに、にゃふ……? にぃにといっしょ、あったかいの♪」
「ほらな、完全にペットってより家族だ。いや……もう娘みたいなもんだなぁ」
「それは言いすぎだろ!!」(タイガ)
「いーや、飼い主補正入り親バカ確定だね☆」(シェリル)
――周囲からどっと笑いが起こった。
そして再び、どんちゃん騒ぎが再開する。
中央のテーブルでは、筋肉ギルマスとアーク、そしてバルドの三つ巴酒豪戦が続いていた。
「ふっ、いいだろう……覚悟しろ、ギルマス。鍛えた肝臓は裏切らァん!」
「おうっ、アーク殿! 乙女な酒豪とて容赦せんぞっ!!」
――第三ラウンド、もはや勝敗不明。
背後ではシェリルが完全にもふもふ天国へ突入していた。
「ちょっ、もう無理……尊すぎて視界が溶けるぅぅぅ!!」
「ふにゃぁ……しぇりる、くすぐったいのぉ」
「だってぇぇ! このもちもちの手触り、生命の奇跡ぃぃっ!!」
「シェリル、それ完全に抱き枕化してるにゃ!」
「きゃんっ! あたしのしっぽもふもふし過ぎきゃんよ!」(メラニー)
――カオス。完全にもふもふのるつぼ。
「つまりだなサリヴァ、創造魔法は“実在を再構成”する術で、幻想魔法は“観測概念を具現化”する術なんだよ!」
「わかるようでわからん! タイガの説明は妙に難解すぎる!!」
「いやほら、“創造魔法”が『オープニングで光るやつ』で、“幻想魔法”は『終盤で真の姿を見せるやつ』なんだよ!!」
「説明がすべてメタすぎて余計に解らん!!」
笑い声が重なり、杯が何度も打ち鳴らされる。
紫の瞳のミーネが小さくため息をつき、微笑んだ。
「……ふふ、やれやれ。まったく、この街は相変わらず元気ね」
隣でもうもふ地獄からやっと抜け出せたフレアが欠伸をした。
「……にぃに、みんな、あったかいの……」
「ふふ、今夜くらいは思い切り騒いでいいのよぉ。英雄も胃袋で癒やさないとね♡」
妖艶に笑うレオン。
そこに、鍋の音、香辛料の匂い、飛び交う怒号......もう一つの戦場から、出てきた人物がおもわず溢す。
「......デザートのスイーツを仕上げるためには、前菜から最後のメインまで計算し尽くさなければならないわ。まったく菓子職人に宴のすべてを任せるなんて、丸投げすぎるわよ」
ミルフェ=ド=ラクリームは白衣の袖を優雅に整え、ひとつ息を吐いた。
口調こそ皮肉めいていたが、その声はどこか柔らかな響きがあった。
丸投げしていることに自覚があるのか、ミーネすら目を逸らす。
(少し前の私なら、眉をひそめていたでしょうね......)
でも、こうやってスイーツ造りに全身全霊を掛け、自分より身分の高い者から褒められるよりも、ただ単に美味しそうに食べる姿を見るのも、それも悪くないと思える。
甘いだけでは、料理も人生も味が素っ気なくなる。
「それでは、私とメラニーの共同で創り上げた今日の宴の〆となるスイーツをご賞味あそばせ」
――それは、“灰”の再生を象徴する祈りのデザート。
名を《ミル=メラ・ノワル=ド=エデン》
灰銀のムースに淡く光る結晶砂糖、中心には“祈りの焔”を模したカラメルの炎。
熱と冷、光と影、そして――創造と祈りが重なり合う一皿だった。
そして、宴の中央。
テーブルに、そのデザートが運ばれる。
メラニーが少し照れながら声を上げる。
「こっ、これが! あたしとミルフェさんの合作、《ミル=メラ・ノワル=ド=エデン》きゃん!」
「“再生と創造の祈り”をテーマにしてあるわ。……どうぞ、召し上がれ」
スプーンが触れるたび、微細な魔力が弾け、淡い光が宙に舞う。
その瞬間、全員の目が奪われた。
「うわっ……これ、食べる前からもうイベント級演出じゃん……」
タイガが目を丸くする。
「灰の再生を料理で再現するって、もはやスイーツじゃなくてストーリーじゃん!」
「にゃふっ♡ 口が、いにゃ! 全身が喜んでいるにゃ!」
リオナのしっぽがこれでもかとブンブンあっちにこっちに振り切れる。
「にゃふっ♡ お兄にゃん、口に運ぶにゃ! はい、あーん♡」
「いやイベント過多!!」
場の笑い声が爆ぜる中、静かにスプーンを取ったのは――リュミナスだった。
銀のスプーンが、光の粒をすくい上げる。
彼女は瞳を閉じ、そっと口に含んだ。
「……ああ……これは……」
リュミナスのまつげが震える。
「最初に舌先を包むのは、灰のように静かな苦み。けれど、すぐにその下から、祈りのような甘さが滲み出す……。それはまるで、“赦し”の味。――滅びの灰が、もう一度命へと還っていくよう」
彼女の頬に、柔らかな微笑みが灯った。
「ミルフェ、メラニー……あなたたちは、本当に“創造”を理解しているのですね」
ミルフェは少し照れたように視線を逸らし、メラニーは耳をぴくぴくさせながら笑う。
「きゃんっ、嬉しいきゃん……!」
続いて、無表情なままスプーンを取るアーク。
その金属の指先が、一切の揺らぎもなく正確にすくい、口元へと運ぶ。
「……分析開始」
一拍置いて。
「温度層、三重構造。外層:低温ムース領域、中心:カラメル熱核、下層:香辛糖層。――温度差ノ味覚干渉、理論値ヲ上回ル。感情指数、予測不能。心拍、上昇」
いつも以上に饒舌に語るアークの瞳が一瞬だけ淡く光り、静かに結論を告げる。
「……コレハ“幸福”ノ演算結果」
その無骨な言葉に、会場がどっと笑い声で包まれた。
「分析が詩的きゃん!」
「アーク、それ最高のレビューだにゃ!」
アークは、ほんのわずかに口元を緩める。
「評価結果:再試食、希望」
「おかわりじゃん!」とタイガが突っ込み、メラニーが尻尾をぶんぶん振る。
笑い声が重なり、杯が鳴り、炎のような祝福が夜を染めていく。
ミルフェはそっと厨房の奥に戻りながら、ふと小さく笑った。
「まったく……甘すぎる夜。でも、悪くないわね」
彼女の背に、仲間たちの声と笑いが響く。
それはまるで――灰の世界から再生した、新しい“創造”の音。
タイガは至福の表情で魔導ランタンをつつきながら呟く。
「……しかし、“宴後半に不穏展開”とか定番すぎるけど……来ないよな? さすがに」
「フラグ立てるなぁぁぁ!!」(全員)




