第49話 灰滅の王 前日譚 鋼鉄と祈りの協奏曲(コンチェルト・オブ・スティールハーツ)の幕開け
陽が沈みきる前、赤橙の残光がロスウェルの西空を焼いていた。
戦の気配をはらんだ風が、街外れの古びた石造りの酒場をかすめる。
そこが、TIGER GATEと領都に本拠地を持つ豹団のために、ギルドから急遽用意された合同拠点――
《鋼と祈りの宴亭》だった。
木の扉を押すと、灯火とともに喧騒があふれ出す。
「みな注目! このドラゴンの骨格図っ、翼長が百メートル以上なんだって!」
テーブルに広げた古代資料を、タイガが興奮のまま叩く。
「この“終焉の竜”って、設定的に絶対裏ボス扱いなんだよ! つまり――避けては通れない道である!」
「設定って言うにゃ……現実に出るんだよ、これ」
リオナが耳を伏せながらため息をつく。
彼女の尻尾が、心なしか不安そうに揺れていた。
「ふふ、けれど……不思議ですね」
リュミナスが薄めの果汁酒が入ったグラスを指先で回し、静かに微笑む。
「この街を包む風に、祈りの気配があります。きっと――誰かが、この日を願っていた」
「そういうの好きよぉ♡」
カウンター席から声を上げたのは、豹団リーダー・レオパルド・ゴールド=レオン。
太陽のような紅のマントを翻し、ワインボトルを片手に振り向く。
「運命の香りがするわぁ……二つの月が照らす夜に竜と出逢う、それって劇的に素敵じゃない……ねぇ?」
「劇的とか素敵とか言ってる場合か!」
バルドが巨大ハンマー《ギアクラッシュ》を肩に置き、豪快に笑い飛ばす。
「オレは、竜の鱗を剥いで鎧や武器の素材にするんだ。魂こもるぜェ!」
「……素材採取の話じゃない」
サリヴァが眼鏡を押し上げ、冷静に言い放つ。
「目的は《灰滅竜グラウズ=ネメシス》の封印再固定だ。倒しきれる相手ではない。浮かれるな」
「ちょっとぉ~サリヴァ! 空気が醒めちゃうじゃない!」
「冷却は理性の維持に必要だ」
「この人、ほんとブレないにゃ……」とリオナがぼそり。
そのやり取りを眺めていたとき――
厨房の奥から、ひょっこりと顔を出した影があった。
木皿を抱え、ふわふわの金毛を揺らす少女。
「えっと……のみもの、たべものの追加、いりますきゃん?」
給仕姿の少女――猫耳商会の正式従業員となり調理や給仕の手伝いに来ていた犬獣人族のポメラニアン娘、メラニー。
ふわりと微笑むたび、丸い尻尾がぽふぽふ揺れて、店内の空気がリュミナスとは違った雰囲気で、こちらも一瞬でやわらぐ。
白いエプロンには小鳥の刺繍。耳飾りはハート型の鈴。
まるで“もふもふ界の妖精”が迷い込んだようだった。
「わぁぁぁぁっ!? なにこの天使っ!?」
テーブルの端でシェリルが爆発した。
目がハート形に輝き、片時も離さない弓を抱えたまま椅子から転げ落ちる。
「ふわ毛の質感、完璧っ! そのリボンっ、罪っ! その小鳥の刺繍っ、尊いっ! あぁ~抱きしめたい~!」
「ひゃっ、ひゃい!? だ、だめきゃん! お、お姉さん、近いきゃんっ!」
メラニーがあたふたと尻尾をばたつかせる。
しかし、止めに入る前に――
「きゃーーーーーっ! もちもちしてるぅぅぅっ♡」
シェリルの“かぁいいゲージ”が完全に振り切れた。
メラニーの頬をむにむに、もふもふ、むにむに。
「きゃんきゃんっ!? くすぐったいきゃんっ~!」
「癒しがメガトン級! これぞ天使級の癒しっ! 尊さでHPMPフル全快っ!」
その横で、サリヴァが額に手を当ててため息をつく。
「シェリル、いい加減に落ち着いてください。彼女、仕事中ですから……」
リオナも尻尾をぱたぱたしながら苦笑する。
「これはもう……“メラメラ祭”にゃ……」
そんな中、カウンターの向こうではレオパルドがグラスを傾けてニヤリ。
「いいわねぇ、若さと癒しが共鳴してる♡ これぞ“もふもふハーモニー”よ!」
笑いと光が満ちる酒場。
「ああぁ……豹団の尊厳なイメージが……」
サリヴァが額を押さえ、眼鏡の奥でため息をつく。
「お、賑やかになってきたな!」
バルドが笑い、隣のテーブルに並べられた酒瓶を指す。
「ところでこいつ、見ろよ。伝説の魔導酒。竜の炎で醸した特上も極上の一品物だ! 竜退治の前の祝杯にもって来いよォ!!」
「ドワーフ酒。成分分析ヲ希望」
アークがすっと立ち上がり、優雅な手付きで瓶を掴む。
「適量摂取、人体出力上昇率ヲ測定可能――開始」
「おお、気に入った! 飲み比べだ!」
バルドが豪快にグラスを掲げ、乾杯の号令をかけた。
「《鋼鉄の宴》開催だァ!」
キーン、と綺麗な音色を奏でるグラス。
二人は同時に酒をあおり――次の瞬間、酒場中が静まり返った。
「…………ぷはっ!」
バルドの顔が真っ赤になり、目を見開く。
「こ、こいつ……燃えるように強ぇ……! のに、なんて旨さだァ……!......だが、キツゥゥ!」
「分析完了」
アークが平然と杯を置く。
「酒精濃度九十七・七パーセント。味覚刺激、幸福反応……急上昇」
「バルド、善戦。人トシテ尊敬ニ値スル」
アークの淡々とした褒め言葉に、バルドの胸が物理的な派手さを伴いドォォンと高鳴る。
「惚れた……! いやもう惚れ直したァァァ!」
「……意味不明反応。受理不可」
アークがわずかに首をかしげると、酒場が爆笑に包まれた。
「まったく、どいつもこいつも……」
サリヴァがワイングラスを手に取り、ため息を漏らす。
けれどその頬には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。
その穏やかな空気の中で、リュミナスが窓辺に立ち、夜空を見上げた。
「……風が、少しざわついていますね」
その瞬間、アークの瞳が微光を放つ。
「熱源感知――南方、異常反応。封印結界、減衰率ハ割」
「ってことは……間もなく完全に目を覚ますってわけか」
タイガが腕を組み、表情を引き締めた。
「いいね、フラグ立った。ここからが“冒険者パーティー合同イベント”の始まりだ!」
「イベントって言うな!」
全員が即座に突っ込む中、レオパルドだけがケラケラと笑っていた。
「いいわねぇ! そのノリ、嫌いじゃないわよ♡」
彼女?は高々とグラスを掲げる。
「なら――祝杯よ! この夜に、勇気と絆に、そして新たな伝説の幕開けに!」
杯がぶつかる音。
ランタンの光が、仲間たちの瞳に揺らめく。
バルドの豪快な笑い声、シェリルの無邪気な歓声、ガルムの静かなうなずき。
サリヴァの眉がわずかに緩み、リオナの尻尾がふわりと跳ねる。
リュミナスの祈りの光が、すべてを包むように優しく瞬いた。
アークが最後に静かに言った。
「明朝、六時出発。作戦名――《灰滅作戦:黎明ノ獣狩リ》」
「うわっ名前カッコよすぎにゃ!」
「……ネーミングセンスは、満点だな」
こうして、二つのパーティーがひとつの絆を結んだ夜。
その夜明けの向こうに、《灰滅峡谷》での死闘の先になにが待っているのかは――
誰も、まだ知らなかった。




