第2話 逃げたらスキルが上がった件
ようやく体を起こすと、左腕の袖が焦げていた。皮膚は赤く腫れ、じりじりと痛む。
視界の端では、まだ魔物たちの戦闘が続いている。
あの“樹妖”っぽい存在が光の糸を操り、狼たちがそれをかいくぐって飛びかかる――。
――いや、ちょっと待て。これ、もうR指定の大規模レイド戦じゃん。人間が観戦していいやつじゃない。
「……やべ、これマジで“死ぬ側”イベントだ……!」
思考より先に体が動いた。
リュックを掴み、身をかがめながら離脱! 生存優先! 撤退こそ正義!
走るというより転がるように荒野を駆け抜けた。
足がもつれ、膝を擦りむき、息が上がる。それでも止まれない。
背後で爆音が響くたび、心臓がジャンプする。
ようやく丘の影に滑り込み、土の上に崩れ落ちた。喉はカラカラ、まるで砂を飲んでるみたいだ。
「はぁ……ッ、し、死ぬかと……思った……!」
震える手でペットボトルを掴み、ぬるくなったお茶を流し込む。
そして、ようやく一息――のつもりが、視界の端に淡い光がちらついた。
ステータスウィンドウ。いつの間にか開いてる。
◇――――――――――◇
虎ノ門 大河
レベル:―
HP:57/100(※軽度火傷)
MP:―
称 号 :異世界人
スキル :言語理解
:逃走本能Lv1 ←NEW
状態異常:軽度ショック、痛覚過敏
◇――――――――――◇
「……“逃走本能Lv1”って、なにそれ。“逃げるの上手になりました”って解釈で合ってる?」
思わず吹き出しそうになった。笑いながら、目頭が熱くなる。恐怖と安心とツッコミがごちゃ混ぜ。
「スキルの方向性が完全に“チキン勇者”なんですけど!?」
でも、命は助かった。
多分この世界、俺に戦わせる気ゼロだ。
「……逃げスキル持ち主人公とか、聞いたことねぇよ……いや、逆に新しいか?」
ぼやきながらリュックを背負い、陽炎の揺れる荒野をふらふら歩く。
太陽は二つ。照りつける熱量ダブル。地獄モードの屋外サバイバル。
お茶は底をつき、喉は乾ききっていた。
それでも足を止めなかった。止まった瞬間、何かに見つかる気がした。
――そのとき。
耳の奥で、「ピキィン」と何かが弾けた。
次の瞬間、周囲の音が急にクリアになる。
風が草を撫でる音、砂の擦れる音、遠くの羽音――全部、解像度が爆上がりしている。
「……え、なにこれ。百均イヤホンからハイレゾゲーミングヘッドセットに進化したレベルの音質改善なんですけど!?」
戸惑って立ち止まった瞬間――別方向から「ギィィィン」という金属音。
反射的に身をかがめる。直後、岩陰を何かが猛スピードで通り抜けた。
灰色の影。狼じゃない。
背中に虫みたいな羽、尻尾の先には鋭い毒針ぽぃ何か。
「はっ!? お前、さっきのより強そうじゃね!? 敵インフレ早くないですか!」
思考より先に体が動く。
岩陰へスライディング回避! 砂がバッと舞う。
自分でも驚くほどの反射速度。心臓は爆速で打ってるのに、息は乱れない。
視界はやたらクリアで、地面の小石の位置まで一瞬で把握できた。
「……もしかして、これ“逃走本能Lv1”の効果……?」
逃げ専用スキルだと思ってた。けど違う。
これは危険察知+反射速度ブースト。完全に“生存系バフ”じゃん!
息を殺して岩陰から覗くと、灰色の虫型は気づかず去っていく。
砂煙が遠ざかるのを見届けて、ようやく全身の力が抜けた。
その瞬間、再び淡い光。
◇――――――――――◇
虎ノ門 大河
レベル:1
HP:57/120
MP:2/15
称号:異世界人
スキル:言語理解
:逃走本能Lv1 → Lv2
新特性:感覚拡張(周囲30m以内の動体感知)
◇――――――――――◇
「……レベルアップ!? え、逃げただけで経験値入る仕様なの!? どこのパッシブ育成ゲーですか」
笑いとも驚きともつかない声が漏れる。
でも、確かに体は軽い。呼吸も整ってる。
――逃げただけで、強くなった。
この理不尽さが、じわじわとリアルにくる。
「……いや、逃げるのも立派な戦闘スタイルだよな。戦わずして生き残る、それが俺――“逃げのトラノモン”!」
誰もいない荒野で、ひとりドヤ顔ポーズを決める。
……もちろん、誰も見てないけど。
そのとき、遠くの地平線の向こう――山脈の手前に、かすかに煙が立ち上るのが見えた。
「……街、か? いや、“次のイベントポイント”かも……!」
大河の足取りが、ほんの少しだけ軽くなった。




