第1話 異世界到着、即サバイバルモード
足元は固い土。ところどころ、背の低い草がまばらに生えているだけで、踏みしめるたびに砂埃が舞い上がる。
「……地図もコンパスもなし。リアルでやったら完全に遭難イベント確定コースなんだが」
独り言を漏らしながらも、立ち止まっても仕方ないと自分に言い聞かせる。
リュックの肩紐を引き上げ、重みを調整して歩き出した。
風が吹く。乾いた空気の中に、かすかに草の青臭さと湿った匂いが混ざっていた。
「ん? ……今の、ちょっと湿気っぽくなかった? まさかの水源フラグ!?」
鼻をひくひくさせながら、少しテンションが上がる。
「ゲームだったら今、ミニマップに“水滴アイコン”出てるタイミングなんだけどなぁ!」
冗談めかして言いながらも、足取りは自然と速くなる。
どれくらい歩いただろう。体感で二時間は経過。
だが景色はまるで変わらない。延々コピペ荒野フィールド。
喉は乾き、大事なチョコバー1本目は既に胃の中。足はズシンと重く、体力バーが目に見えて減っていく気分だ。
「おかしいな……この山、もしかして遠景テクスチャじゃない? 歩いても近づかないタイプの背景?」
半ば本気で呟いた、その瞬間――。
ガサッ。
前方の茂みが揺れた。
反射的に身を固め、心臓がドクンと音を立てる。
「……誰か、いるのか?」
声をかけても返事はない。代わりに、低いうなり声のような音が漏れる。
次の瞬間、茂みの中から何かがぬっと顔を出した。
犬……? いや、違う。でかい。
灰色の毛並み、青白く光る瞳。静電気のように毛先がチリチリしている。
「お、おおおお……おおかみ!? いや、でかっ! これ初遭遇で出す敵じゃないよね? スライムかウサギ型でやり直しをオナシャス」
腰を引きながら十徳ナイフを取り出す。頼りなさすぎて、刃先がぷるぷる震えている。
狼――いや、“それ”は低く唸り、次の瞬間、砂を蹴って突進してきた。
「うわあああ来たぁぁぁぁぁぁっ!? 早い早い早いっ、足音ドップラー効果してるぅッ!!」
反射的に腕で顔を庇い、目をぎゅっと閉じる。
――が、次に聞こえたのは、甲高い「キャンッ!」という悲鳴。
恐る恐る目を開けると、狼が光の糸のようなものに絡め取られ、地面に倒れていた。
「な、なにっ……!? バリア? いや、サポート魔法? ここに来てやっと助けキャラ来た!?」
視線を上げる。そこに“誰か”が立っていた。
逆光の中、長い耳がゆらりと動く。
人影……いや、違う。肌は淡い緑色、瞳は赤く光り、背中から木の枝のような突起が二本伸びている。
「うわっ、えっ、緑肌!? 待ってこれ、エルフじゃなくてツリーフォーク系!? 俺いま、完全に異世界生物図鑑の表紙見てるかも」
呆然とつぶやく大河をよそに、“それ”は倒れた狼を見下ろし、右手をひらりと振った。
光の糸がぎゅっと締まり、バチンという音とともに狼の体が霧のように崩壊。
その場に残ったのは、青白い結晶の欠片だけだった。
「……え、ドロップアイテム? 今の完全にドロップ演出じゃん! SE鳴ってたし!」
思わずテンションが上がったその瞬間、緑の存在がこちらを振り向いた。
赤い瞳が、じっとこちらを射抜く。
その視線だけで、体温が一気に下がった。
「ひぃっ……え、ちょ、こっち敵認定されてない!? 俺、ノンアクティブモブですから!」
とっさに両手を上げてアピールするが――。
耳をつんざく咆哮が、背後から響いた。
振り返ると、五、六体の狼型モンスターがこちらを囲んでいた。さっきの仲間か。
「ちょ、ちょっと待って!? なんで群れイベント発生してるの!? 俺トリガー引いてないよ!? 戦闘フラグ立ててないよ!」
狼たちが一斉に樹妖に飛びかかる。
樹妖は指を鳴らし、光の糸を広げた。空気が震え、轟音、閃光、砂塵。
理解する間もなく衝撃波が直撃し、大河は地面を転がった。
「ぐはっ!? 物理演出リアルすぎだろぉぉぉッ!」
視界がぐらぐらと揺れる。
遠くで閃光が走り、咆哮と爆音が交錯する。
――ああ、これ完全に「巻き込まれイベント」だ。
遠のく意識の中で、そんなメタすぎる感想だけが、ぽつりと浮かんだ。




