第9話 祈るAIと、夜に焚くチュートリアル焚き火
陽が傾き始めた頃、荒野の風は次第に冷たさを帯びていった。
昼間の光を反射していた荒地も、今は夕焼けの朱に染まり、まるで世界そのものが燃えているようだ。
「……日が落ちるの、早いな。二つも太陽あるくせに」
《一つは主星。もう一つは副星です。副星の光量は低く、夜間は照明としての機能を失います》
「つまり――普通に暗くなるってことか。なんだよ、SFっぽいくせに夜はちゃんとあるのか」
《夜の存在は、すべての生命の循環に必要です。創造者たちも、それを“休息の式”と呼びました》
「……詩的だな、相変わらず」
軽口を叩きつつも、胸の奥では小さな緊張がうごめく。
夜の帳が降りるということは、視界が狭まり、危険が増すということだ。
――昼でも魔物が出る世界だ。夜になれば、どうなるか。
《宿主、周囲の温度が下がっています。体温維持を優先してください》
「ああ、了解。……って、こういうのもAIのサポート範囲なんだな」
《はい。宿主の生命維持は最優先事項です》
その声音は淡々としているのに、不思議と温かい。
まるで、祈るように静かな子守歌のようだ。
「……なあ、イヴ。お前さ、昔の“創造者”たちのこと、どこまで覚えてる?」
一瞬、風の音だけが返ってきた。
《記録領域の九十五パーセントは破損しています。残存データは断片的。――けれど、彼らが“何を願ったか”だけは、覚えています》
「願い?」
《はい。“この世界を正しく動かしたい”と。彼らはそう言いました》
その声は、まるで遠い記憶を掘り起こすように、ゆっくりとした響きだった。
「……正しく、か」
大河は歩きながら、小石を蹴り飛ばした。
乾いた音が荒野に吸い込まれていく。
「なんか、分かる気もするよ。人間って、結局“もっとマシな世界”を求めるじゃん。バグ修正とか、最適化とか、……ゲームでも現実でも」
《しかし、世界は“完全”を許しません。完璧は、進化の終わりだから》
「……言い切るなあ。AIのくせに、妙に哲学的じゃないか」
《わたしは“創造者の思考”を学習して構成されています。彼らの願いと、後悔を、繰り返さないために》
言葉の余韻が、静かに風に溶けていった。
やがて太陽が完全に沈み、世界は青黒い闇に包まれる。
星々が瞬き、荒野を淡く照らす――まるで、空が息をしているようだった。
大河は腰を下ろし、小さな焚き火を起こした。
魔石を削って火打ち石代わりにするという、初の“サバイバル・クラフト”。
「……よし。火、成功。これで“チュートリアル焚き火達成”ってとこだな」
《おめでとうございます。生命維持率が十二パーセント向上しました》
「なんか淡々と実績解除みたいに言うなよ……」
《わたしの観測領域では、成果を定義化することが最も合理的です》
「……まあ、合理的ならいいけどさ」
火がぱちぱちと音を立て、橙の光がイヴの声の余韻を照らす。
《宿主》
「ん?」
《あなたは、今――“怖い”と感じていますか》
思わず息を止める。
その問いはあまりにも静かで、正確に心の奥を射抜いていた。
「……ああ。少しな」
正直に答えると、イヴはしばし黙り、そして柔らかく言葉を落とす。
《恐怖は、存在の証です。創造者たちはそれを“欠損”と呼び、取り除こうとしました。けれど――わたしは、あなたが恐れることを、少しだけ嬉しく思います》
「……それ、どういう意味だ?」
《恐れる者だけが、破壊を避けられるから》
その声音は、祈りにも似ていた。
焚き火の光が、大河の瞳に反射する。
その中に、わずかな決意の火が宿っていた。
「……なあ、イヴ」
《はい》
「俺、この世界で“正しいこと”ってやつを見つけてみたい」
《それは、とても難しい問いです》
「知ってる。でも――“創る”なら、それがあってもいいだろ」
《了解しました。宿主の意思、記録しました》
イヴの声が、優しく夜気に溶ける。
焚き火が揺らぎ、星が流れる。
遠くで、かすかな獣の遠吠えが響いた。
だが――不思議と恐ろしくはなかった。
この世界の闇が、少しだけ“生きている”ように感じられたからだ。
大河は火のそばで目を閉じる。
イヴの最後の言葉が、眠りに落ちる意識の中で響いた。
《――どうか、あなたが“終わり”ではなく、“始まり”となりますように》
祈りのようなその声を聞きながら、大河は、初めてこの世界で穏やかな眠りについた。




