星のパンと四本の匙
ぼくはクク。胸に白い星を一つ持つ、店の眠り番だ。
夜明け、店の前に列ができる。看板の下の小札が淡く光る——《御用厄整》。戸口の立札には、今日も三つの言葉が並ぶ。
走らない/声量2/触る前に待つ
ぼくは足もとをすり抜け、白石矢印の先で丸くなる。列匙がとんと地を叩いてちりと鳴ると、靴音が半歩やわらぐ。
パンの匂い。生地の息。台の上には四本の匙。噛む歯をすくう匙/朝の一匙/列匙/言葉の匙。どれも映えないけれど、胃にやさしい。
最初の客は小さな手をした少年だ。つないだ指の先に、あの**“噛んだ指輪”の薄い跡がもう見えない。
少年は胸に手を当てて告げる。「おはようございます。お願いします」
言葉の匙が息を受けて、ひと拍だけ丸くなる。薄塩の白湯が湯呑みに落ちる。母親の眼尻がふっとほどける。
いただきます、そしてご馳走さまでした**。ぼくはくると鳴く。
二番目は**《ルクス工房》の娘、ミリエル。掌には試作の小さな鈴が乗っている。
「拍が広場にもう一歩届くように——微鈴、穴を半分にしました」
列匙の頭で地を軽く一拍**。ちり。
音は細いのに、列の肩が同時に下がる。リュシエンヌが目を細めて頷く。「採用。パン三斤は裏へ」
ミリエルは泣き笑いで頭を下げる。ぼくは足に鼻を押し当てる。軽さの品位は猫にもわかる。
次いで、王妃の使い。封は小さい。文はもっと小さい。
『枕の薄塩、昨夜もよく効きました。』
端に、ひと粒の柑橘皮。ぼくはそれを前足でころがし、匂いを覚える。——仕上げは一刃でいい。
昼前、王太子が白線の端に並んだ。手にはパン二斤。
列はざわつかない。列匙が一拍、言葉の匙がひと息。
彼は小さく言う。「ありがとう。……ごめん」
声は声量2で皿に乗り、数字板の騒音が一目盛落ちる。
ぼくは彼の靴に星の影を落とし、進む順番を示す。人→祈り→光。猫も覚えている順番だ。
午後、肩カメラが戸口に寄る。レンズの匂いは焦げ砂糖。
リュシエンヌは返金=辞退札を一枚、匙の柄で挟んで差し出す。
「映さない勇気を。数字は壁にあります」
カメラは白線の外でうなだれ、去る。ざまぁは、拍のほうが静かに効く。
夕暮れ、黒狼隊長エリアスが入ってくる。鎧は軽い。瞼の影がうすい。
「七時間十六分」
リュシエンヌは朝の一匙を半分、白湯に溶かして手渡す。「明日は十七を目指しましょう」
彼は列匙の柄に指を添える。ぼくの星がその指に灯る。拍は二人で一拍。
夜の始まり、扉がもう一度だけ鳴った。
レティシアが戸口に立つ。肩書を置いた祈り手は、ゆっくり息を吐き、言葉の匙へありがとうを通す。
拍。ちり。白湯の湯気が、やわらかく店に敷かれる。
数字板の呼吸は丸、騒音は低、滞在は延。ぼくの背も、自然と丸くなる。
閉店前、帳面が一枚めくられ、四本の匙が一列に並ぶ。
リュシエンヌが小さく頭を下げる。「いただきます。ご馳走さまでした」
ぼくは眠り番の持ち場に戻り、星を胸に灯す。外の風は、もう仕上げにしか光らない。
映さない勇気が街路に根づき、拍が歩調になった王都は、今日はきっとよく眠る。
だからぼくも、少しだけ目を閉じる。
明日のための半歩を残して。
おやすみ、王都。薄塩で。