第7章【選択の影、記憶のかけら】
Scene:夕暮れ ― 校舎の階段踊り場
夕焼けの光が、半透明の階段窓から差し込む。
真野カケルは、その光の中でプリンのフタを開けていた。
隣に立つクラウ・リヴィエールは、相変わらず不機嫌そうな顔で壁にもたれている。
「クラウって、最近ちょっと真面目すぎじゃない?」
「そうか?」
「前はもっとこう、“うるせえプリン食っとけ”って感じだった気がする」
「それ、そんな言い方だったか?」
クラウは小さく笑い、カケルの頭を軽くこづいた。
「お前が“日常”の中心にい続ける限り、こっちはその重力に引っ張られるだけさ。……安心しろ、良い意味でな」
「……うーん、褒められてるんだよね?」
「たぶんな」
カケルはスプーンでプリンをすくいながら、曖昧な笑みを浮かべた。
世界の裏側で進行している異変。それに、彼自身は――本当に、無自覚のままだ。
けれど、彼の“普通”は確実に周囲を変えていた。
世界が、彼に合わせて、少しずつ「日常化」していく。
その事実を、クラウは誰よりも近くで目撃していた。
Scene:深夜 ― 図書室の奥
白鷺ユイは、静まり返った資料室に一人、魔導結界を張っていた。
光の帯が封印された書物の鍵を外すと、重厚な書体が目に飛び込む。
《均衡因子について》
そこには、伝承にすら残らない、世界の“初期調律者”の記録が綴られていた。
存在するだけで空間を安定させ、対極的な力を打ち消し、世界に日常をもたらす者。
ただし、ひとつだけ。
《その存在が“覚醒”すれば、世界は――“彼に都合のいい形”へと再構成される》
「……そんな、ことが……」
ユイの指先が震えた。
思い出すのは、小さい頃に見た“夢”の中の少年。
空の上に浮かぶ都市、夜空に話しかけるその背中。
(あれは、カケル……?)
彼女はまだ、自分の中にある“答え”を信じきれずにいた。
Scene:地下観測室 ― アナスタシアと神代レナ
重厚な自動扉が閉まり、結界が張られる。
神代レナの無機質な声が響いた。
「彼は“再構成因子”。論理的に言えば、空間構造を再定義する存在です」
「ええ、観測波もそう示しています。……でも、それだけじゃない」
アナスタシア=クローデルは、観測スクリーンに映るカケルの姿を見つめながら、そっと言った。
「彼の周囲には、“安心”がある。まるで、世界がその安らぎを求めて……寄ってくるみたいに」
「それは理論ではありません。あなたの“感応”に基づく仮説です」
「いいえ、感応ではなく、確信です。私たちの論理では測れない――“存在の在り方”」
レナは少しだけ黙ったあと、低く告げた。
「では、逆に問います。“異世界化”を仕掛けている側が動き出した場合、彼はどうなりますか?」
「……世界そのものが、彼に抗うかもしれません」
「そのとき、彼は?」
「……きっと、それでも笑っていると思います」
アナスタシアの声には、わずかに震えがあった。
Scene:カケルの部屋 ― 深夜
夢を見た。
空に浮かぶ都市――ルクスティナ。
少女がそこにいた。
白銀の髪、深い蒼の瞳。星のペンダントが胸元に揺れていた。
「……君は、誰?」
「あなたが忘れても、わたしは……忘れない」
その声が響いた瞬間、カケルは目を覚ました。
枕元には、見たことのない写真が置かれていた。
そこには、夢の中の少女――ルミアが、穏やかに微笑んでいた。
「……どうして、これが……」
写真の裏には、手書きの文字があった。
《きっと、君が世界を守ってくれるって信じてる》
Scene:学園正門 ― 翌朝
その日、世界は確実に“音”を変えた。
校門上空に亀裂が走り、空間がほんの一瞬、異なる密度を持つ。
風が渦巻き、何かが“侵入”した気配。
そして、そこに現れる黒髪の転校生。
深紅の瞳に浮かぶ、かすかな嗤い。
「さあ――“日常”の解体を始めましょうか」
世界は、静かに、カケルと対極にある“意志”に触れ始めていた。