06 忠告
私は午後からは完全に遊ぶ気でいたのだけど、ジェイドさんがその気になってくれたのなら、ここは準備を余念なく調えるしかない。
いえいえいえ。
これは、彼とやましいことをしようだなんて、そういうことではぜんっぜんなくて、職務上必要な接触行為であり、双方共にそれを完全に理解しつつ完全に同意の上での行為にあたり……。
「あ、あなた!」
物思いに耽りつつ廊下を歩いていたら、なんと! ジェイドさんの元婚約者ナタリアさんがそこに居た。
夜会に見た時にも美人だと思ったものだけれど、こうして昼日中に見てもその美貌は揺るがない。胸の大きさだけは、私の方が勝っています……それは、本当のことなので、言わせていただきますけど。
「あ……あの、ジェイドさんにご用ですか? 呼んできます!」
もしかしたら、受付などでも彼の名前を言いづらく、探して中に入って来たのかもしれない。
それは、わかる……自分が捨てた男に会いに来たなんて、言いづらいものね。
そんな私の予想を覆すようにして、ナタリアさんは首を横に振った。
「違うわ。貴女に用事があったの。あの時、お名前を聞きそびれていたから、中に入らせてもらって……聖女が通るというここで探していたのよ」
「え? 私ですか?」
竜騎士団でそんなことをしてまで、私に用事……? ジェイドさんの元婚約者の、ナタリアさんが?
そういえば、あの時ジェイドさんは私のことを仕事先の人だと説明していたので、竜騎士団の『竜喚び聖女』であると踏んだのだろう。
周囲の目を気にするように見回して、彼女は呟いた。
「あの……ジェイドの竜は、喚べたの?」
あ……ジェイドさんが夜会に現れていたということは、二人の別れの原因となった、ジェイドさんの竜が見つかったのかもしれないと思ったのね。
そうよね。
竜が現れなくなってから、彼はこれまで公の場にはほぼ出なかったと言うし、夜会にも出るってそういうことかもしれないと思ってしまうのも無理はないわ。
あれは、無理矢理私が誘い出しただけなのですけれど……。
「またですが、私がこれから、喚んでみせる予定です」
ようやくジェイドさんが決意してくれた今夜に、私は見付ける。そのために、私の竜喚びの天啓があったのではないかとまで思う。
自信満々の私の言葉に、ナタリアさんは少しだけ寂しそうな表情を浮かべて、ほうっと大きく息をついた。
「そう。良かったわ。ジェイドは、結婚には至らなかったけれど、大事な人だったから、どうなったのか心配だったの」
そこで何故だか、不意打ちを食らったような感覚がした。ここに居るナタリアさんは、竜が来ない竜騎士ジェイドさんを捨てたはずだ。
それなのに、どうしてか……そんな彼にまだ心を残しているような発言をするのかしら。
「……どうして、そんな人と別れたんですか。お好きなのに」
私は心に浮かんだ疑問を、ナタリアさんにそのままぶつけた。
寂しそうな表情を浮かべた彼女に失礼だったかもしれないと口に手を当てた時には、時既に遅しだった。
「……ただ、好きなだけでは、生活出来ないわ。竜に乗れないのに、竜騎士は辞めたくないと言う。他の仕事についてくれといっても、頑として聞いてくれなくて……私でなくて、貴女なら耐えられたのかもしれないわね」
それは、苦労して就いた仕事と愛する私……どっちが大事? という、巷で有名な男性を追いつめる禁断の質問というやつではないだろうか。
逆に仕事なんて捨てて、君のために生きるよ! なんて、言われて嬉しいのか、すごく不思議。
生きていくためには金銭を得る仕事は必要だし、誰しもお金を得るために、なんらかの形で働いているはずなのに。
「そうですね。ジェイドさんを捨てるなんて、私にはとても……」
あんなにも外見と中身の良い男性なら、色々と解決するまで待っても良いと思うは私の意見で別に全女性がそう思わなければならないとは思わないけど……とってももったいないとは、思ってしまう。
「……捨てるだなんて! ……ジェイドは、そう言ったの? 私に捨てられたって」
そこで血相を変えたナタリアさんに、私は両手を振って慌てながら答えた。
「ええ。ナタリアさんが違うと言うのなら、おそらく、ご自身の発言だと思います……あの方は竜と婚約者に捨てられた竜騎士として、とても有名ですよ」
加えて、とても可哀想で不憫なのだと……どれも、彼のせいではないのだけど。
「それは、違うわ。完全な嘘よ……私は捨ててなんて、いないわ。ジェイドに振られたのは、私の方だもの」
「……え?」
ナタリアさんは、元婚約者ジェイドさんを捨てたわけではない……おそらくは彼から申し入れた婚約解消だけれど、彼女から言い出したことになっている。
もしかしたら……婚約解消されることとなったナタリアさんを、男性側からの申し出だという汚名から守るため?
「ねえ。貴女、ジェイドのこと好きなんでしょう?」
断定的な口調の言葉に、私はそんなことはないと肩を竦めた。
「確かに素敵な男性だとは思っていますけど、私は竜騎士とは絶対、結婚しないと決めているので彼は恋愛対象外です」
もし、竜騎士と恋に落ちて結婚すれば、私は公爵令嬢に戻り王子様と結婚出来ないので、それについては断固否定します。
「あの人と恋をすれば、苦労するわよ」
……あ。微笑んでいるナタリアさん。もう私の話なんて、聞く気がなさそう。
私がジェイドさんのことを好きだと、決めつけるように話さないで欲しいけど、それは無理そう。
「その……ご忠告、ありがとうございます……」
ここでなんと言って否定しても、なんだか無駄みたいだし、とりあえずお礼を言ってこの場を濁すしかなかった。
「あの人は女性よりも、自分の竜が大事なの……貴女もそこは、覚悟をしておいた方が良いわ」
「はい……」
私は『いや、私は別にジェイドさんと付き合う気とかないです』の言葉を、こくんと呑み込んだ。ナタリアさんの世界線では、もうそういうことになってしまっているのだと思う。
そこでまた寂しげな目をした彼女は、貴族令嬢らしく綺麗なカーテシーをしてから、無言で去って行った。
彼女の細い背中を見送り、なんだかしんみりした気持ちになる。
ナタリアさんは、婚約していたジェイドさんのこと、よっぽど……好きだったんだろうなぁ。少ししか知らないけれど、良い男だものね。
だから、関係が終わってしまった今も、こうしてジェイドさんの次の女になりそうな私に、呪いの言葉を吐きに来たり……女の熱い情念を感じる。
そのくらい……彼のことが、好きだったってことだよね。今はもう次の人が居ても、ナタリアさんはなおも昇華しきれない思いを抱えている。
もし、恋愛感情だけでのいざこざなら、彼女もここまで苦しんでいなかったかもしれない。
『竜が来ない』なんて、二人だけではどうにも解消しようのない問題を抱えていたものね。
けれど、残念ながら……聖女辞めたいが最優先の私は、ジェイドさんとは恋には落ちないから……それには、何の意味もないんだけどね。