02 ご提案
「これは、企業秘密なんですが! 私たちの『竜喚び』はですね、聖女と竜騎士の触れている面が大きいほど、能力が強くなるんです。竜騎士の皆さんと手のひらを合わせるでしょう? 接触面を広げると、比例して喚ぶ力も強くなるんです!」
「え? あ、いや……待て待て待て」
驚いた表情のジェイドさんは一歩後ずさったので、私はにっこり微笑んで、一歩彼へと近付いた。
「それでは、私も服を脱ぎますので、出来れば後ろからぎゅーっと! 私の身体の肌に密着するように抱きしめて頂いて、よろしいですか? 確かに初対面で肌を合わせるなんて、通常ではありえないことですが私は覚悟を決めて来ましたので、どうか気にしないでください!」
「いやいや、それを気にするなは、無理があるだろう……」
あら。引き攣った整った顔も……良いわね。そして、私はここで美味しい獲物を逃すつもりはない。
絶対に彼の竜を喚び出して、アスティ公爵家へ、普通の貴族令嬢として帰るのよ!
「これは緊急事態による特別処置で、私もこれで以後の自由を手に入れます。ですから、その後の報酬を思えば、安いものなんですよ」
胸のリボンを解きながら、私がもう一歩近付けば、彼はバッと両手を挙げて牽制した。
「ま、待ってくれ! 今ここですぐには、それは無理だ! ……心の準備の時間が欲しい」
その時のジェイドさんの整った顔に浮かんだ表情は、完全に焦っていた。
私は事前に考えそうしようと覚悟し、そうするしかないと決意し、ここまでやって来たわけだけれども、彼はほんの少し前に聞かされたばかり。
時間が必要と言われれば、それはそうなのかもしれない。
私だけの判断ではいかない。先方の同意がなければ、これってただの犯罪行為にあたるし……。
「え? あ、はい……わかりました。心の準備の方を整えていただいて大丈夫です。どうぞ」
私はとりあえず解いていたリボンを結び直し、ジェイドさんの真向かいにある椅子へと腰掛けた……いけない。
今、気が付いてしまったけれど、私挨拶してから要件しか話していなくて、落ち着いて雑談する時間も取っていないわ。
あまりにも普通の女の子に戻りた過ぎて、彼の気持ちを考えられていなかったわ。聖女失格よ。仕事を持つ成人失格。反省するしかない。
私たちは向かい合って小さな机を挟んで座り、しばし、無言のままで時を過ごした。
ジェイドさんは突然初対面の女とよくわからないことをしなければいけないことについて、色々と考えているのか、頬杖をついて明後日の方向を見つめていた。
……無理もないわ。
だって、初対面の女に素肌を合わせましょうと提案されるのよ。しかも、職場で。信じられないわよね。この私が提案したんだけど。
けれど、竜喚びの能力を高めるには、そうするしかない。
私以外の聖女がこれを言い出さなかったのは『どうしても彼の竜を喚び出さねばいけない理由』がなかった。私にはある。それに、尽きてしまうだろう。
ジェイドさんの心の準備とやらを待つために、私も長方形の窓をぼんやりと見て、飛行する鳥の数を数えていた。
百羽に差し掛かろうとしていたその時、ジェイドさんはぽつりと呟いた。
「……申しわけないのだが、その方法しかないのか?」
私は慌ててジェイドさんへと視線を向けると、彼は非常に深刻そうな表情を浮かべていた。
「私の能力を高めるためです。いやらしい意図があるわけではありません。竜を喚ぶためにするのです。ジェイドさんの竜をなんとしても喚びたいという、のっぴきならない事情を抱えているのは、お互いにそうだとは思うのですが」
これまで竜喚び聖女と片手を合わせるのみでは、ジェイドさんの竜は喚べなかった。
だから『どうしても竜を喚びたい理由』を持つ私が、文字通り彼のために一肌脱ぎたいということなのだ。
「それは……うん。まあ……確かに、そうなんだが」
あら。どうしたのかしら。やけに、歯切れが悪い……何なのかしら。この、言ってはいけないと思うことを、敢えて言いたげなこの空気。
「もしかして、ジェイドさんって童貞です?」
「っ……! 何を」
「それとも私が、好みでは無いです……? そういう接触することも、嫌がってしまうくらい……?」
正直に言ってしまうと、職務上必要な理由でそういう事が出来るとなれば、若い男性なら仕事なら仕方ないですよね……と、食いついて来ると思って居た。
……思っていたのだけれど、ジェイドさんはなかなかにそういう面に対し堅物なようなのだ。
外見上の爽やかなイメージにピッタリの中身で、好ましい異性としては喜ばしいところだけれど、私には恋愛対象にはなれない人なので、魅力が増してしまうのはなんだか複雑な思い。
はー、外見も良くて中身も出来ている良い男だけど、職業が竜騎士なら諦めるほかないわ!
「いや、その逆だ……君は俺に、役目を果たしている途中に、襲われしまっても良いと思うのか……?」
逆? 逆って、どの部分の逆かしら。
もっ……もしかして、私のことが、好みってこと? 結ばれてはいけないのに困っちゃう。
「……困ります。私、諸事情で竜騎士とは恋愛出来ないんです! 出来れば王子様と結婚したいので。そちらの性欲が止められないなら、こちらも諦めますけど」
私が顔を顰めて心の距離を取ろうとすると、ジェイドさんは片手を横に振った。
「待て……待て待て待て。俺たち二人の目的のために必要な行為であることは、そうなんだろうが、心の整理が全く追いついてないんだ。どうして、君はそんな落ち着いているんだ」
「名前しか知らない初対面の女と肌を合わせるなど、戸惑われると思います! お気持ちはわかります。ですが、私たちの共通目標に一番に手っ取り早い方法が、それなのです。こちらの勝手で無理な要求と理解しておりますが、数秒我慢して肌を合わせるだけです。どうかご検討ください」
私たちは暫し見つめ合い、根負けしたのかジェイドさんが先に目を逸らした。
「いや……悪い。待ってくれないか。必要ならば、出来る。俺とて竜を喚びたいので、落ち着けば割り切って出来るはずだ。だが、少々時間が欲しい。あまりにも急すぎる」
ジェイドさんの言い分としては、必要ならば割り切って出来るけど、割り切るまで考える時間が欲しい……そういうことよね。
私としてはこの場でさっさと終わらせてしまいたいところだけれど、ジェイドさんの気持ちを考えないわけではない。
……確かに『捨てられた竜騎士』なんて、あまりにも可哀想だもの。救ってあげたい気持ちはある。
「……わかりました。私もあまりにも早急でしたし、そうして戸惑われた理由もわかります……申し訳ありません」
「ラヴィ二ア……ラヴィ二アで、良いのか?」
「はい! 大丈夫です」
私は名前を呼ぶ許可まで貰おうとする、ジェイドさんの真面目具合に微笑んだ。
渡されていた書類によると、竜騎士ジェイドさんは私より二つ年上らしいので、そう呼んでもらうことが適当だと思う。
「ラヴィ二アはどうして、竜騎士が嫌なんだ……?」
それはね。私が聖女なんてもうやりたくない、不良聖女だからだよー! なんて、ここでジェイドさんに言ったところで、話が長くなるだけだった。
「幼い頃から一緒に居過ぎて竜騎士の皆さんの筋肉ムキムキを、見飽きちゃったんです! 聖女を辞められたら、王子様と恋に落ちる予定です」
嘘嘘。男性の鍛えられた筋肉は大好きなほうなんですけど、聖女を辞めるなら、職業竜騎士を恋愛対象から省くしかないんです!
「そ、そうか……確かに、全員が鍛えているからな……」
人の言葉を疑うことなんて知らなそうなジェイドさんは、私の強い主張を聞き戸惑ったように頷いていた。