16 緊急事態
とりあえず、私たち二人はジェイドさんの部屋に場所を移すことにした。
……ついこの前来たばかりなのに、なんだか懐かしく思える場所だ。あの時はゲイボルグのことを喚ぼうと必死だった。
けれど、私たち肌と肌を……ここで。
あの時のことを思い出した途端に、なんだか、この二人きりの密室が、いやらしい意味を帯びてきてしまった。空気がピンク色に染まったような幻覚見えたよ!?
だって……だって! あの時はほんっとうに、聖女を辞めるためにどうしても必要と思って、あれをしたのよ。
いわゆる仕事の一部で、あの行為には能力の必要性しかなくて、お互いの感情はそこにはないの。
それに……それに!!
私、ジェイドさんに好きって言ってから、前世の悪事のせいか、全く二人っきりになれなくて……なりたいなと思いながら、数日過ごして来た。
それで……それで、こんな、いきなり機会が訪れるものなの!?
「……ラヴィ二ア」
「はっ……はひ!」
しししし、しまった。緊張し過ぎて、声が裏返ってしまった。
どどどっ……どうなるの?
私が好きって言ったことに対しての、ジェイドさんの反応はどうなの?
私は高鳴る胸を両手で押さえて、彼の反応を待った。
「すまない……実は今、困っている。ブリューナグは、君にしか喚び出せないみたいで……」
頭に手を載せて、困り顔になってしまっているジェイドさん。私は彼が何を言い出したか、上手く理解出来ずに首を傾げた。
ブリューナグが……喚んでも、来てくれない……?
ここ数日、彼は国内の関係各機関やユンカナン王国からの使者から受ける事情聴取で、とても多忙だったはずだ。
「ブリューナグは……その、ジェイドさんと正式に契約を交わしていましたよね……?」
あの時、私の目の前で起こった出来事だったから、それは良く理解している。
彼らは正式に契約することとなり、ジェイドさんの中にブリューナグの契約がある。ああして正式な契約を交わせば、竜には竜騎士の喚びだしに答える義務が発生する。
けれど、それはあくまで要請に留まり、竜には拒否することも可能ではある。
ただ、本来であれば竜位が高ければ高いほど竜騎士への竜の忠誠心が増し、命令を聞いてくれることも多くなるのだ。
「そうだ。俺がゲイボルグをなんとか助け出し、もう一匹の竜と契約したことは既に報告したので知られているのだが……ブリューナクは何故か、今日の訓練担当の竜呼び聖女だと来なかったんだ」
「え……! そんなことあるんです?!」
ジェイドさんがわざわざここまで私を探しに来たということはそれはあったんでしょうが、世界でも竜位一桁の竜ブリューナグが来ないなんて、なんだか考えがたくて思わず聞き返してしまった。
「ああ……だから、ラヴィ二アならば、来てくれるのではないかと……」
「そっ……そうですね。私、やってみます!」
確かにあの竜を喚び出したのは、私だ。彼がこう考えたのも無理はない。
ここは室内ではあるけれど、契約を共鳴させてブリューナグに城まで来て欲しいとお願いすることは可能だし、城の屋上にはあの黒竜ほどの巨体にも耐えうるような止まり木だって用意されている。
喚び出ししてから出向いても、ブリューナグが来る前に屋上に行くことは可能なはず。
「すまない」
正直に言ってしまうとその時の私は、ジェイドさんに『あの、告白の返事って、どうなりました……?』と、聞きたかった。
けれど、竜がまだ来てくれないかもしれないと焦った彼に、そんな私事過ぎる私事については聞けなかった。
仕事は大事よ。ここは私たちにとって、神聖な職場なのだし。色恋沙汰は勤務外にするべきよ。
だって、ゲイボルグは今は身体を完全回復させるために、子竜になってしまっているし、竜騎士ジェイドさんの竜として稼働可能なのはブリューナグ一匹。
それを喚べないとなると、今後の竜騎士人生に関わってしまう。
——喚ぶわ。
私がサッと右手を挙げると、彼はその上に大きな手を重ねた。
目を閉じれば、いつも通り、竜騎士ジェイドさんの中へと潜っていくような……そんな感覚。
今ある契約は見覚えのあるゲイボルグのものと、その前に当然のように、彼の序列一位に躍り出た強力なブリューナグのもの。
私がその契約を共鳴させれば、ひとりでに唇が動いた。
「……そんなもので、私が喚びだしを受けるわけにはいくまい。同じ方法で、喚び出せ」
強い竜ブリューナグが、私のことを操作してる!?
おそらくは、とんでもなく距離のある遠隔なのに……しかも、私のこれまでの心をすべて読んだ上で、絶対、面白がっているよね!?
目を開くと背の高いジェイドさんと、パッと目が合った。見上げた彼の青い瞳も、とても驚いてる。
「同じ方法……?」
「あ……多分、その……あのですね」
私の口から言えない。どうしてくれよう。あの面白がりな黒竜。いつかギャフンて言わせたい。
ジェイドさんから、目を逸らすしかない。顔が熱い。
どうしよう。どう考えても、あんなキスなんて……あんな特殊環境でどうしてもってことでもないと、素面では難しいかなって……。
私は戸惑ってどうしようかと思って、もう一度ジェイドさんの顔を見ると、彼はただ穏やかに微笑んでいた……?
え? どういうこと?
「ラヴィ二ア。どうしたんだ。いつもの……明るい君らしくないように思うが」
「そっ……それはですね! それはですね……それはですね……」
ど、どどどど……どう言えば、良いですか?
いつも通り……? いつも通りって何?
私は貴方のことをとても好きなのですけれど、お仕事としてキスの方をさせていただいて、よろしいですか……みたいな……?
そんなこと、通常状態で、言えますか!?
「あの時は……俺のことをなんとも思ってないから言えたけど、今は言えないんだろう?」
……!!!!!!!
「ななな、な……なななな!」
な、何事!? 今までずっと、堅物で真面目だったジェイドさんの周囲に、急に……とてつもなく、色気あるような……そんな……。
「俺はラヴィ二アの恋愛対象ではなかったはずの竜騎士だけど、ここで君にキスをしても大丈夫?」
はっ……はわわわわわ!! ご自分の顔の攻撃力をわかった上での、色っぽい流し目止めてもらって良いですか?!
「え」
「可愛い」
「し、死にます……う」
無理……呼吸困難を起こしちゃう……何、何なの!?
今までが何で、どうだったの!?
これまでの真面目で堅物のジェイドさん像が……私の中でガラガラと崩れ落ちてしまう、緊急事態が起こっているよ!?
「死ぬのは、困るな」
余裕も色気もある態度……これまでの、不憫で可哀想だったあの感じ、どこかに忘れてきました?
「ドキドキし過ぎて、死にます……」
……ええ。嘘ではなくて、本当に緊張しすぎて息が詰まりそう。
なんで? どうして……? ジェイドさん、いきなり変わったよね……?
「俺は恋愛対象ではないと、何度も何度も言っていたし……だから、望む通り適切な距離を取っていたのに。ラヴィ二ア」
ジェイドさんは私へと一歩踏み出し、距離を詰めた……けど、私は一歩下がらなかった。
その理由は……いえ、理由なんて要らないけど。
「その……」
それは……そうだけど、別に心変わりしてはいけないって法律ないでしょう?
確かに、王子様と結婚する予定だったんだけど、予定は常に未定っていうか……別に竜騎士と結婚に予定変更しても良いかなって……お父様よりジェイドさんかなって。
「……良い? 君にキスをするよ。ラヴィ二ア。これは、仕事上でのことだけど……続きは今夜の宴会終わりにゆっくり話そう」
間近でじっと見つめるジェイドさんにそう問いかけられ、私は何も言えずに彼へと大きく頷いた。




