12 叫び
「あ……あれです! あれが、エクスキー洞窟ですね」
私は白い地面がぱっくりと口を開けているような、黒い部分を見付けた。近付いた途端にアルドヴァルは急降下し始めて、洞窟の入り口付近に降り立った。
先に降りたジェイドさんに手伝ってもらって、私が降りた時には、アルドヴァルは大きく翼を広げて飛び去った。
「っアルドヴァル!」
便利な移動手段をいきなり失い慌てた私は、隣に居たジェイドさんの目を見たけれど、彼は穏やかに微笑んでいた。
「……契約主のガルドナー団長が居なくても、彼の命令ひとつだけで、こんなにも遠方まで連れて来てくれたんだ。大分、我慢してくれたと思う」
そういえば、昨日辺りからアルドヴァルは大分様子がおかしかった。おそらく、目的地まで着いたことには間違いないだろうと判断したのかもしれない。
ガルドナー団長の竜なので、行ってしまえば、もう喚び戻せない……手立てがないのだ。
「それは、その……そうですけど……」
私たちが首尾良く、ジェイドさんの竜ゲイボルグを助けられれば良い。けれど、アルドヴァルが居ない今、馬車を乗り継いで帰ることになる。
アルドヴァルは背に人を乗せていない分、特に気を使うこともなく、ノルドリア王国へと最速で帰っているのだろう。
もう遠い空に消えて、見えなくなってしまった。
「アルドヴァルは、良くやってくれたと思う……行こう。ゲイボルグが待っている」
ジェイドさんは私に洞窟の中へ入ろうと促し、私は大きく頷いた。
エクスキー洞窟は水が穿った鍾乳洞なので、そこかしこから水が落ちる音が聞こえた。
それにしても、広い洞窟だ。大きな身体を持つ竜が入って来ても、まだまだ余裕があるほどに空間がとても広い。
「……何か、聞こえるな」
先を行くジェイドさんが、声を抑えてそう言った。
ただ、この洞窟を探索しているだけの人ならば、良い……けれど、もしかしたら、悪事を働くような……山賊がいるかもしれない。
危険を感じて私たちは動きを潜め、おそるおそる前へと進んだ。
「明るい……?」
煌々と明るい光に気が付いた私は、鍾乳洞の隙間から見える光景に驚き息を呑んだ。
そこには……銀色の竜、ゲイボルグが居た。おそらく、その下にある巨大な魔方陣のせいか、身動き出来ないらしい。
そして、そこに集まる人たちは、生きて居るゲイボルグから、素材となる鱗や爪を剥ぎ取っていた。傍におかれている大きな瓶を見れば、血も抜かれているようだった。
……確かに、生きて居れば、鱗や爪は、時間を掛ければ再生する。
ああ……喚んでも来ないゲイボルグは、ここで竜の素材を生きたままで作る、工場のように使われていたのだ。
私は慌てて隣に居たジェイドさんを見た。彼は目を見開いて、腰に佩いていた長剣に手を掛けていた。
……いけない。
ジェイドさんがいくら強い竜騎士だとしても、頼みの竜は囚われているし、一人だけではあの大人数に太刀打ちは出来ない。
私は彼の腕を強引に掴むと、洞窟の入り口あたりまで出て来た。鍾乳洞の中では、説得する声が響いてしまうからだ。
彼とて無謀なのは良くわかっていたのだろう。逆らわず、ここまで来てくれた。
「……一度、ノルドリア王国へ戻りましょう。これは、私にも想定出来ませんでした。あの人間たちが最初見えなかったのは、おそらくゲイボルグが私に見せなかったのでしょう」
早口で私は言った。
ゲイボルグはこれをジェイドさんが知れば、彼がどんな反応をするかわかっていたのだ……だって、契約を与えるくらいに、とても気に入っている竜騎士なのだから。
彼が悲しむことは、避けたかったに違いない。
「……ずっと、俺を呼んでいたんだ。つらかったのに、怖かったのに。もっと早くに探し来れば……こんなことには」
ゲイボルグが今ある現状を見て、大きな衝撃を受けたのか、ジェイドさんの顔から表情は抜け落ち唇は震えていた。
「いや……それは、無理ですよ。世界中、どこに居るかもわからないのに。落ち着いてください」
ゲイボルグがここまで喚んで来ないのだから、自分が探しに行けば良かったと、そう言いたい気持ちはわかる。
けれど、私がするように接触範囲を広げようだなんていう竜喚び聖女は居なかったのだから、どの方向に居るのかさえ、彼は知ることが出来なかったのだ。
「それでもだ! どうして、こんなに長い間、あいつを放っておけたんだ。こんなに……こんなことになっているなんて、思いもしなかった」
ジェイドさんはもう感情が昂ぶり過ぎて、抑えきれないようだ。
いけない。家族にも近い自分の竜の酷い姿を目の前にした興奮状態で、彼は理性的な判断が下せる状態ではない。
とにかく、この場を離れなければ……誰だかわからないけれど、あの一派に見つかってしまえば私たちだってどうなるかわからない。
「とにかく……ノルドリア王国に連絡して、援軍を呼びましょう。私たちだけでは、安全が確保できません」
アルドヴァルが行ってしまったので、時間は掛かるかもしれないけれど、安全で確実な方法はそれだった。
ゲイボルグの状況がわかった今、ガルドナー団長に頼めば、救出のために竜騎士団を派遣してくれるはずだ。
「嫌だ! こんな場所にはもう、置いていけない!」
ハッとして彼を見れば、ジェイドさんは泣いていた。
……そんな彼に、私はこれを告げなければいけない。心を奮い立たせ、私は口を開いた。
「……あの……ここで酷なことを言うようですが、あの竜はもう……駄目だと思います。竜騎士の竜としては、使えません。無理です」
あれだけ多くの素材を剥ぎ取られて、翼だって飛べるかもわからない。それなのに、一瞬の隙が命を左右する戦闘に参加することなんて、無理だと思う。
戦闘なんてまったくの専門外の、私にだってわかることだ。本職の彼に、それがわからないはずもない。
「それでも良い……ここでゲイボルグを見捨てれば、一生後悔する」
私がその時に見えたジェイドさんの青い目には、本気の光が灯っていた。
……ゲイボルグさえ助けることが出来れば、もうそれ以外はなんでも良いと。
「おそらくは、そうすれば……ここから先は、ジェイドさんは竜騎士として、もう生きられませんよ。それでも?」
そのくらいの、大きなことなのだ。
私はどうにかしてこの場を、収めて諦めさせようと思って、嘘を言ったわけではない。
ゲイボルグより竜位を高い竜は、どこかに居るだろう。
けれど、数はとても少ない。見付けたとしても、その竜に気に入ってもらわないと、ジェイドさんは契約出来ない。
ゲイボルグに乗って飛行も出来なければ、強い竜がひそむ場所にも満足に行けないだろう。
おそらく、もう長くない……ここで瀕死のゲイボルグを見捨てれば、彼の竜騎士としての地位は確保される。
冷徹な判断だと言われようが、竜騎士ジェイドさんのその後の人生を考えれば、それが一番良い道だった。
「良い。ゲイボルグが助かるならば、俺はそれで構わない」
ジェイドさんの視線は真っ直ぐで、揺らぐことはなかった。
……どうしても、何があっても、ゲイボルグを助けてみせる、と。
「それだけの、覚悟があると……?」
「そうだ。単独でも危険でもやる。必ず、助ける。すべては、ここまで何もせず、放って置いた俺の責任なのだから……ゲイボルグを助ける……なんとしてでも!」
……ジェイドさんはここまで、言葉にならぬほどの我慢していたのだ。
きっとずっと、やるせなくて悲しくて辛くて泣き叫びたかったのに、彼はずっとそれを誰かに見せることを我慢していた。
嫌われているかもしれない。何かあったのかもしれない。そう思って何を失ったとしても、彼は心を通わせた竜ゲイボルグのことを、信じて待って居た。
すべての感情を吐き出すような叫びは、救いを求めるものだった。




