娘の生還
半年たって、ようやく私たちは手続きをすべて済ませて家族になることができた。ようやくといっても、ひそかに世界中に根を張り巡らしているらしいレイノルズ一族が手を回したので、家裁などの手続きはスムーズだった。
とりあえず、現状では私とエドワードの二人暮らしだ。セリアは本国で仕事があるし、私はエドワードの出張が終わるまでは日本で新しい家族との生活に慣れ、それからイギリスへいくという段取りになったからだ。
二人暮らしはなかなかに快適だ。家事はもともとエドワード一人でやっていたものを私がいくらか引き受けるようになったので、エドワードも楽になったし、私はもともと家事は好きなほうだ。
それに世間的には七歳だが、中身は大人だということを隠さなくていい生活というのは、思った以上に開放感があった。無理しているつもりはなかったが、変な目で見られないよう子供らしく意識しながら生活をするのは、思っていた以上に心に負担がかかっていたらしい。
その緊張がとけた反動で、引っ越してきてすぐ、熱でぶっ倒れたほどだ。三日で全快したが、セリアにはものすごく心配されてしまった。
そんなトラブルもあったが、新生活が始まって一か月、歪な関係の私たちだが、スタートはなかなか順調だった。
まあ、やっぱり体が小さすぎて危険が大きいので、満足に料理ができないのは不満だったが。
さてそれはさておき、現在世間は夏休みである。小学生である私も夏休みを謳歌している。
間近に迫っているお盆にはエドワードも休暇をとれるため、その機会を利用して、生まれて初めて久しぶりにイギリスに行く予定となっている。
ちょうどレイノルズ一族が集う時期とも重なるので、エドワードの養女になった私の顔見せをしに来るようにと、長老のお達しがあった。
長老にお会いできるのは楽しみだ。前世でも長老は、レイノルズ一族のなんたるかをほとんど知らないままゲイルと結婚した私を、あたたかく一族に迎え入れてくれた。
リビングで洗濯物を畳んでいると、軽やかな《愛の挨拶》のメロディーが鳴りはじめた。
エドワードはお仕事で留守。というわけでナンバーディスプレイを拝見。
――Chantelle Reynolds
思いもよらない名前に、慌てて受話器をとってしまった。
『シャンテル?』
『誰!』
無愛想な声が電話のむこうから聞えた。恐らく最愛の兄の家に電話をかけたら知らない女の声がしたというので、瞬時に戦闘態勢にはいったのだろう。ブラコンだった彼女らしい。
だが、私は本当に驚いていた。
私はまさか、彼女が生きているとは思っていなかったのだ。
ダイアナだった私が死んだとき、彼女は行方不明になって既に二年が経っていたのだから。
『エドワードもひどいよ。シャンテルが生きてるなんて教えてくれなかったから驚いたじゃない。久しぶり、シャンテル。私がわかる?』
二年、二年だ。生死のわからない子供を探し続ける時間としては、決して短い期間ではなかった。
『誰! セリアじゃないんでしょ? なんの悪戯か知らないけど、さっさと名乗りなさい!』
怒っている声さえも、彼女が生きていることを教えてくれて、嬉しかった。テレビ電話でないことが、初めて惜しいと思った。声だけでなく姿も見たかった。
『ついこの前、エドワードとセリアの養女になった月湖・レイノルズ。前世ではダイアナ・ホープ・レイノルズという名だったわ』
ガシャン、と耳障りな音がした。恐らく受話器を落としたのだろう。そしてしばらくして、慌てた声が聞こえた。
『ママ?』
『Yes! お互い聞きたいこと言いたいことたくさんあるけど、とりあえず本題を片づけちゃいましょうか。エドワードは仕事でいないけど、エドワードに何か用なの?』
『ええ、さっきはごめんなさい。用件は……ママのこと。おじい様から、兄さんが前世の記憶がある女の子を養女にしたって聞いて、どんな子なんだろうと思ったんだけど、兄さんひどいわ。ママだなんて教えてくれなかったじゃない』
『ゲイルに知らせないように頼んだから、一族や長老には私がダイアナだってことは言ってないみたいね。シャンテルも、誰にも知らせないでね』
『いいけど、夏の一族の集まりにはママもエドワードの養女として顔見せするんでしょ? その時にばれるんじゃない? パパはともかく一族には何人か、兄さんと同系の能力の持ち主がいるし、ママ人気者だし』
『そこまでは考えてなかったわね。まあ、別に何が何でも隠したいわけじゃないし、今の私はダイアナじゃなくて月湖だし。それはばれてから考えましょうそれよりシャンテルは、あの時どうしてたの?』
電話のむこうで、娘が言葉を詰まらせたのがわかった。ちょっと無神経だったかもしれないと私は反省。
彼女にとって母親が死んだときに立ち会えなかったというのは、長く引きずる傷になっただろう。それを遠慮なく引っ掻いてしまった。
だけど、聞いておきたかった。
『能力が、発現したの。わたしの能力は《聖女》ですって。その《聖女》の能力目当てに異世界に召喚されて、帰ってきたのはママが亡くなった直後だったの』
レイノルズ一族にいたのだ。これぐらいの非現実ではもう驚かない。日本でもそれ系の異世界ファンタジーはたくさんある。私の図書館でのお気に入りだ。娘がそれだったというだけだ。
問題は、娘のそれは私の知っているフィクションではなく、現実だったということだ。
『そう。向こうで辛い目にはあわなかった?』
『大丈夫よ。《聖女》様ですもの。大事にされたわ。友達もできたの。辛かったのは、ママたちに無事を知らせられなかったことと、帰ってきたらママがいなかったことだけよ』
『良かったわ』
娘が行方不明だった二年間、最悪の想像ばかりが頭をよぎっていた。
既に死んだのではないか。殺されたのか。今も生きていたとしても、口にするのもおぞましい目にあわされてはいないか。記憶を失って帰ってこられないのではないか。ありとあらゆる希望的観測と、絶望的予想が常に押し寄せてきていた。
真相を知って、ほっとした。
それからは質問攻めにされた。エドワードとどうやって知りあったのか、前世の記憶をいつ思い出したのか、これからどうするのか。
気づいたら、二時間もたっていた。国際電話なのによいのだろうかと料金が心配になってしまう。イギリスに来たら絶対に自分のところにも泊まりに来るようにと月湖に確約させて、ようやくシャンテルは電話を切ってくれた。