あの、すみません、クリームソーダはうちにはありません。
「え? だって、今そこで」
サラリーマン風の男は椅子から腰を浮かし、離れたテーブル席を指さした。
「あれ……いない」
テーブル席は空席だった。
おかしい。
確かにそこに、さっきまでいたのだ。
綺麗なクリームソーダを飲む、5歳くらいの女の子が。
「別のお客様も、今日は何人か、クリームソーダと仰って……」
店員は困惑して言う。
「ご希望に沿えず申し訳ございません」
「え? あ、いやいや、全然。それじゃあ、アイスコーヒーで」
注文を取り終えた店員が去る。
メニューにないクリームソーダを、他にも頼んだ人がいたとは。
男はおかっぱ頭の女の子の幸せそうな笑顔を思い出していた。
ステンドグラスのような綺麗な緑色と、白いクリームとバニラアイスのコントラスト。
甘いものを飲みたい気分ではなかったのに、あの光景につられて、つい欲してしまった。
今となっては、喫茶店なのにクリームソーダが無いとは何事だ、という静かな怒りがふつふつと芽生えてさえいた。
***
帰り道、駅ビルにて、とあるガチャガチャを見つけた。
クリームソーダのフィギュアだった。
様々な色がある。
気づくと男はレバーを回していた。
小気味のいい音がして、それは吐き出された。
綺麗な緑色のミニチュア。
そうそう、これこれ。
男は多幸感に包まれて帰宅することができた。
***
また、あの喫茶店の近くに行く用事ができた。
寄ってみることにしよう。
前日から少し楽しみだった。
何が楽しみなのか、自分でもよくわからなかった。
男は、家から例のフィギュアを持っていくことにした。
確か、喫茶店の前に、木のベンチがあった。
そこにこれを、しれっと置いて、何食わぬ顔で入店しよう。
あの女の子にプレゼントだ。
何を考えているのか、自分でもよくわからなかった。
梶井基次郎の檸檬を思い出した。
クリームソーダにありつけなかった腹いせのテロ行為だろうか。
***
男は喫茶店の前に立ち、足がすくんでしまった。
木のベンチは確かにあった。
しかしそこには、すでに大量の「クリームソーダグッズ」が置かれていた。
置かれていたというより、山積みだった。
男が持ってきたミニチュアと同じものもあれば、もっと精巧なフィギュアから、食品サンプル、ぬいぐるみ、巨大な置物、油絵、ついには実物らしいものまであった。
木のベンチが埋もれてしまうほど、店の前はクリームソーダだらけだった。
その巨大な緑の塊に、引っ込みがつかなくなったミニチュアフィギュアを、そっと付け足す男。
喫茶店のドアを開けて、中を覗き込む。
ベルの音に、店員が男を見つけて寄ってくる。
「何名様ですか?」
男は店員の質問を無視して聞いた。
「あの、ここってクリームソーダありますか?」
「いえ、ありません」
男は無言でドアを閉めて立ち去った。
男は舌打ちをしながら思う。
じゃあ今、カウンターに座っていた女の子が飲んでいた、緑色の飲み物は一体何だって言うんだ。