275.長野神と長野美香
私の前に現れたのは、長野神――飯山界人。
神と呼ばれているらしい。
……けど、見た目はどう見ても、ただの成人男性だった。
神様っぽいすごみなんて、まるで感じない。
『マスター、気をつけてください。奴は一時代を築いた神です。神格は信者の数に比例します。今でこそブームは去りましたが、それでも相当な神格を保っています』
一見、普通に見えても、とんでもない神様ってわけか。
まあ、私をこの夢の世界に閉じ込められるくらいには、すごい力を持ってるってことだろう。
――だから、何?
私は、帰るんだ。
皆の待つ、異世界に。
「初めまして、長野神」
「……君には、そう呼んでほしくないかな」
「じゃあ、飯山さん。どいてくんない?」
いきなりバールでぶん殴るのは、さすがに気が引けた。
さっきまで殴ってたのは、あくまで妄想の産物。人間じゃない。
でも、この飯山さんは、実在する神様。
いきなり殴りつけるわけにはいかない。
まずは話してみよう。
「残念だけど、それはできない。君は……ここで一生過ごすべきなんだ」
……つまり、進路を塞ぐつもりらしい。
「なんで?」
「それが、一番君のためになるからさ」
「はぁ……?」
なんだそれ。勝手に決めつけんなよ。
そう言い返そうとしたけど、口がすぐには動かなかった。
飯山さんの顔には、妙にリアルな疲労がにじんでいた。
さっきのセリフも、どこか……実感がこもっていたから。
だから、すぐにバールチョップしなかった。
「私のためって、どういうこと? こんな、現実感しかない夢の世界が、どうして私のためになるの」
「君は、異世界で夢のような生活を送っただろう?」
まるで見てきたような言い方だ。
「最初は楽しかったはずさ。強大な力を手に入れて、何もかもが思い通りになる。そりゃあ、楽しいさ。でも、やがて気づく。全てが自分の思い通りにしかならないことの、なんと退屈なことかって」
「…………そうかな?」
いやいや、今の暮らし……けっこう気に入ってるんだけど?
「楽しいのは今だけさ。君も、いずれわかる」
「……その決めつけが、イラっとくるんだけど」
飯山さんが、ふっと自嘲気味に笑った。
「君は、俺に似ている。突如として強大な力を得て、周囲に求められ、そして神に至った」
……なるほど。
この人も、私と同じだったのか。
「神であることは、辛いだろう?」
「別に」
「本当に? 好きでもない相手に“救いの神だ”なんて持ち上げられて……“すごいです神様”“さすがです神様”って、連呼されて……。それでも平気かい?」
「…………っ」
ちょっと、それはある。
帝国とか、フォティアトゥヤァとか。
私が望まなくても、相手の方から信者になる。
そして勝手に、私を“神様”と崇めてくる。
リシアちゃんとか、仲のいい子ならまだしも……。
顔も知らない人たちからの崇拝は、正直うっとうしい。
「異世界で強大な力を得た者は、否応なく神になる。そして神は……疲れる」
その表情には、肉体的ではない疲労が見て取れた。
「君が異世界に戻れば、神として崇められる生活が続く。信者は増え続け、最初は皆、感謝するだろう。だが……人は慣れる。やがて、それを“当然”と思い、最後には……」
――飽きられる。
今の長野神が、そうであるように。
「君は、この神の力を持たない世界で、一生を終えるべきだ。そうすれば、もっと自然に、もっと楽しく、生きていける」
「………………と、あんたは思うわけね。自分がそうだったから」
「ああ。君も、いずれ同じ道を辿る。だからその前に……ここで終わるべきだ」
「………………」
つまり――これは、親切心なのか。
同じ道を歩いた者としての忠告。
その気持ちは、わかる。わかるけど。
「飯山さん。……あんたの言ってること、多分、間違ってないよ。実際、神様になってから、いろんな苦労もあったし」
「なら――」
「――でもね」
私は、息を大きく吸い込んで、
「余計なお世話よ!!!!!!!!!!」
叫んだ。
「この先、苦労するかもしれない。神様生活が嫌になる日が来るかもしれない。でも……なんであんたが、それを決めつけるのよ! あんたと私は違う!」
私と長野神が、同じ道を行くとは限らない。
むしろ、私は私の道を行く。
「“確率”が高い? 知らないよそんなもん! ポケ◯ンだって、命中30%の技が当たるときは当たるの! 私は……私の人生を、生きるの!! あんたのやってることは、ただの価値観の押しつけ! 私はそういうのが……一番嫌い!!」
私は、バールを構えた。
飯山さん――いや、長野神へ向けて。
「私が望むのは、誰にも束縛されない自由! そして、友達との楽しい暮らし! それを邪魔するってんなら、あんたは……敵よ!!」
「……やれやれ。ここまでバカだとは思ってなかったな」
長野神の体から、黒い靄が立ち上る。
その目つきは、もはや神のそれではない。
神が堕ちれば、“アラガミ”になる。
そう聞いたことがある。
荒ぶる神に、言葉はもう届かない。
「ここは、俺が作った世界だ。……君が勝てるわけないだろう?」
「うるさい! 私だって、神なんだぞ……!!」
「はぁ……やれやれ。バカな後輩に、現実を教えてあげるのも、先輩の勤めか……」
……なにが“先輩”だよ。
むかつくんだけど。
「いくよ、真理」
『がってんだ、マスター!』




