幸なき人生2
中学は地元の中学がとても荒れていた為、姉と同じ私立の女子校に進学しました。
好きな音楽とアニメを通じて友達が出来ました。良い先生も多かったです。
楽しい学校生活を過ごせると思いましたが、家庭内の虐待はより酷いものになりました。姉からも酷く虐待されるようになりました。
姉は母に似ていた為、母や母方の親族に過大評価されていました。
アイドルになる、特別な人間と言われていた姉は、芸能界を目指すようになりました。
身内と姉の期待は外れ、オーディションには受からず、競争の激しい養成所では目立つ存在にはなれませんでした。学校では、私の成績がよかった事から教師に比べられ、学業を怠っていると叱責されていました。
私をストレスの捌け口にしたんです。
母は、姉の有りもしないどころか有り得ない嘘すら真実だと言い張りました。目の前で一方的に暴力を振るわれる私を殴り、私が悪いと主張しました。
何時も怪我をしている私を心配した友人達は話しを聞いてくれました。教師に虐待されていると言ってくれました。注意しに行った教師に姉は、私がイジメに遭っていると有りもしない嘘を言い、親や周囲にも有りもしないイジメの話しを吹聴しました。
教師は私から話しを聞こうとしました。
良い成績を取れば暴行されるので、良い成績を取らないようにしてました。その所為もあり、教師はとても心配していました。
ですが、私は愚かでした。
小学校と塾でのイジメは続いており、見かければ駅の階段から突き落とされる、線路に突き飛ばされる、命の危機に遭います。
虐待が発覚すれば家にはいられない。公立の学校に通う事になる。またイジメの被害に遭う。唯一、安全が保証されている場所を失う。
その恐怖により、虐待に遭っていると言えませんでした。
イジメは大した事はない。大丈夫ですとだけ伝えました。
心配してくれる教師に申し訳なかった私は、再び良い成績を取るようにしました。
家族一同、私に対する賞賛どころか、少しの楽しみも許す事はしません。徹底的に潰し、難癖を付け非難しました。近所中、親戚中に誹謗中傷を言いふらしました。
キックボクシングジムでは手足が両利きだったこともあり、高い評価を受けていました。プロ入りも出来ると言われましたが、コースを変更する事は許されませんでした。勝って欲しくない奴が勝ったら、みんな気分悪いだろと叱責され、剣道の時と同じく態と負けるようにも脅されました。
家での虐待は続き、単身赴任だった父も家に戻り、心安らぐ日はありません。
母と兄姉を殴り返す事はしなかった。優しかった兄と姉を想うと出来ません。当たらない場所に物を投げ、自室に避難していました。
父は部屋までも追い掛けてきました。
お前はキチガイだ。精神異常の病気だと金槌や金属バットで襲いかかり、殺そうとしてきます。その時は命を守る為にやり返しました。
それを理由に、家族は私がキレて暴れるキチガイだと吹聴し、重度の精神障がい者だと妄想を言うようになりました。
勉強も何もかも邪魔されていましたが、邪魔されながらも頑張りました。
友達と教師も嘘を信じず、よくしてくれました。
ですが、ささやかな楽しみも許さなくなった姉は、私の友達をイジメのターゲットにしました。
友達数人と共謀し、丸で嘘を言いふらし、顔を見れば暴言、数人でぶつかり突き飛ばすという犯行です。
友達は私を思い、黙っていましたが、姉と姉の友達は誇らし気に私に報告しました。
涙ぐんでてウケた。キモい顔で睨んできたと笑って言いました。お前といる奴は皆、不幸になる運命だ。
許せませんでしたが、優しかった姉を想い出すと暴力を振るう事はやはり出来ません。
震える拳を握り、歯を食い縛って怒りに震えるだけだった。
次の日、友達に謝りました。
友人達は、気にしなくていいよ。悪口言うような人間は誰にも信用されてない。その内、誰からも相手にされなくなる。放っておけばいい。優しく諭してくれました。数年後、友達が言っていた事は本当になる。
それでも気にせずにはいられない私に、友人達は、キリトさんに心奪われているから何とも思わない。あんな奴らの悪口より、私はキリトさんの歌声の方が遥かに心に響く。一緒に無視して、名曲聴いていようよと忘れられない有難い言葉をくれました。
だから、余計に傷付けられたくなかった。
高校には進学せず、中学を出たら働いて家を出る。
そうしようと思っていましたが、私はストレスにより病気になりました。
中三の夏には症状は出ていましたが意識しないようにしていました。
婦人科疾患に加え、メニエール病、自律神経失調症を患いました。
暴力による外傷を庇う事が多かった為、腰椎ヘルニアにもなっていました。
労働は困難になりました。
体調不良により、寝てばかりいる私を母は暴行しました。
病気は妄想だと言い張り、碌に病院に行かせません。近所に白い目向けられると怒り、療養を許しません。
これで神経性胃炎になりました。
丸で有りもしない妄想を言う母は、私を精神病院に連れて行きました。
姉と笑いながら、これでキチガイだと証明出来るねと笑っていましたが、医者も看護師も母の嘘を信用しません。
おかしいのは、あなただと母を叱責しました。
私をキチガイだと主張し喚き散らす母に、看護師は、警察に通報しますよ。あなたがやっている事は虐待だと強く非難しました。
母は怒り、病院を後にした後、近所に親戚に不満をぶつけました。あの病院はおかしい。誰が見ても頭のおかしいキチガイなのにと、私への誹謗中傷を言いふらしました。散々な嫌がらせもされました。
仮病で寝てるなんて許さないと言い、高卒認定試験予備校に私を通わせました。
そこでも、教師中にキチガイだと言いふらしてましたが、信用する人は一人もいません。様々な事情で通学している人がいましたから。
色んな人がいましたが直ぐに仲良くなれました。
教師も皆良い人でした。
学校が楽しかったので、病気は徐々によくなりました。ですが、暴行されるとメニエール病の症状が酷く、欠席は多かったです。
父は再び単身赴任になりましたが、虐待は続きます。
酷い事をされ続けましたが兄と姉は恨めません。
兄は、幼い頃から母に父親役を課さられ続けていました。父には、母と一発やっただけでデキた、一発屋の息子。母は何人も彼氏がいてやりまくってたのに、俺だけが孕ませる事になった。誰の子供か分からないから普通は中絶する。なのに、母が喚き散らした所為で結婚する事になった。お前がデキなかったら結婚しなかった。激しく後悔している。と誰がいようが、場も弁えず言いまくっていました。
長く苦痛を受け続ける兄は精神的におかしくなり、睡眠障害と過敏性大腸炎を患って何年も苦みました。病気の兄に母はとても辛く当たっていました。
姉は、芸能界への足ががりを求め、別の養成所に行きました。そこは、足の引っ張り合いから潰し合いが酷かった。その影響下で姉は次第に、自己愛性人格障害のような言動と行動を取るようになっていた。親から親戚にと過剰に期待され、お金と時間をかけられ、諦める事はとても出来なかったように思えます。
そんな二人に、私はかける言葉も思い付かないでいた。全ての行動に言動も表情も非難され、どういう行動を取ればいいのかも分からないでいた。常に無を強いられていました。
本当に心を失くす事はありませんでした。
pierrotの音楽があったから。心は殺されていません。