幸なき人生1
以降、私の人生について書かせて頂きます。
始めに、家族を恨む気持ちは有りません。プライバシー侵害に当たる特定行為はやめて下さい。
書く理由は、絶望に耐えるしかなかった幸なき人生に、報いが欲しいからです。
私が救われなくとも救われる人がいて欲しい、その為です。
私の父は統合失調症の上に、暴力を振るい、人を傷付けるのが楽しくてやめられないクズでした。母のお金も母方の祖母のお金も散財し、気に入った物は誰の物でも何でも自分の物だと主張し盗みます。自分を正当化する為に、会う人間全員に母と祖母は頭がおかしい精神障がい者だと言いふらしていました。
私の母は妊娠をきっかけに、父の親族に諭され結婚しました。
その母は父に、結婚当初から肉体的にも精神的にも経済的にも苦しめ続けられていました。
父は自分しか愛せず、子供が大嫌いな人です。執拗に、妊娠中の母に中絶を迫りました。にも関わらず、避妊をしない父により兄と姉と私が産まれました。
兄と姉は母の家族に似ていましたが、私の顔は父に似てしまい、母は私に一切の愛情を持てませんでした。
母は私を虐待するようになりました。
思い出すとptsdの症状が出る為、あまり詳しくは書けません。
家族に学校、関わる人全員に、母は私には何をしても言ってもいい。お前は何されても我慢しろ。一生そういう存在になりました。
母は私を父に見立て、父にされた事以上の酷い事を私にしました。思い付く限りの虐待をし続けました。自分が知る限り全ての人に、私の事をキチガイだ、精神異常だ。有りもしない嘘を言いふらしました。あいつは頭がおかしいから、調教の為に優しくするな。思い付く限りの暴言浴びせて解らせろ、暴力振るって調教しろと言って回りました。
仲良くなった友達からも、習っていた剣道道場でも人間扱いを受けず、子供にも大人にもサンドバッグにされて過ごしました。
苦しみに耐えるしかない私を見ている母は、とても楽しそうに満足気に笑っていました。今でも人の笑顔がトラウマになるほどです。
兄と姉も父から虐待を受けていました。普段は兄と姉は優しいのですが、自分達が虐待されないように、父の虐待にも母の虐待にも加担するようになりました。
父が誰かに暴力を振るいだしたら、私は必ず止めに入っていました。それに腹を立てた父に、殺されかけても誰も助けてはくれず、殺されかけて反撃した私が悪い事にされました。
次第に自分達を護りたい家族により、私がスケープゴートになりました。
小学校ではイジメに遭いました。
母による名誉毀損と侮辱罪が発端です。目に見えるアレルギー症状も妄想と言い張って、病院にも行かせず、申告もしませんでした。
教師で加担しなかったのは、一年と三年時の担任、五年時の隣のクラスの担任だけです。
教師の責務を全うしていたその三人の先生は退職していきました。生徒の保護者による悪質なクレーム、生徒によるイジメに遭った事が原因の先生もいます。
そうなりたくない教師達は、自らイジメを指揮し、私をスケープゴートにしました。
親が私を嫌っているので、誰も止めに入る事も問題になる事も有りません。
目の前で起きている集団暴行を笑って煽り、限度なき暴力に私が一発でも殴り返せば、全員の前で私が悪だと謝罪をさせました。私の強さを理由に正当防衛を認めません。親にも言いつけ、徹底的に非難しました。
親も教師も生徒も加害者側を正義と言い張り、加害者を守っていました。
代理で来た教師が、私がイジメに遭っていると内容を明確に記した置き手紙すら、意味のないものになりました。
上司に言われ手紙を読み上げたましたが、全員に私の落ち度と嫌いな理由を言わせ、私を悪だと全員の前で晒し者にしました。
イジメの内容は、暴力と暴言以外に私物を壊されたり捨てられたりも有ります。
無理矢理に赤信号を渡らせたり、トラックや大型車が走って来ると、執拗に車道に突き飛ばし、何度も殺そうとしました。
チョークでアレルギー症状がでて、呼吸困難を起こす様を笑い、何度もチョークの粉を浴びせました。学校の教師も塾の先生もやっていました。
私の家族はイジメに気が付くと、まともな奴が皆から嫌われる訳ない。お前がよっぽど頭がおかしいからだ。キチガイだと集団リンチにし、加害者に謝罪させました。
先生がやっている、肯定して煽っている、子供は当然やっていいものだと思い込みます。加害者は総勢100人以上に膨れ上がりました。止めに入った人は一人もいません。全員が加害者です。
誰でも解る事ですがイジメの全ては犯罪です。やっていい理由はありません。
自分の子供が加害者だったら、どう思いますか?
都合のいい妄想をする前に、あなたがどう思うかを子供に伝えて下さい。
全ての親は子供から無償の愛を注がれています。
虐待に遭った私だって同じです。今でも幸せを願っています。
子供は無力ですが、大人が動けば変わる事だってあるんです。
母の姉と祖母が虐待を非難した事で、一時的に虐待が止まった事があります。
加害者の親の一人が、私が塾でイジメに遭っていると私の母に言いました。既に虐待を怪しまれていた母は他の塾に通わせてくれました。
イジメに遭っている事は、娘が何も言わなかったから知らなかったと嘘を言っていました。
虐待が露見しないように、いい母親を表向きは演じていましたが、芝居がかっていて気持ち悪いと余計に怪しんでいる人は何人もいました。
次に以下の事を提案します。
イジメが犯罪だと明記する。通常の犯罪と同様に罰する。
刑事罰、民事訴訟を前提とした弁護士と心理カウンセラーによる委員会の設置。専門ダイヤル、サイトの設立。保護者による悪質クレーム、ブラック校則を含む学校問題にも法的に対処する。
私の身体中には当時の傷跡が幾つも残っています。
ptsd以外にも、暴力による後遺症で婦人科疾患を患い、子供の作れない体になりました。暴言による後遺症で聴覚情報処理障害も患いました。喉を痛め、声はダミ声になりました。
私は何もしなかった訳ではありません。
塾と加害者の親から被害に遭った時は交番に行きました。
傷だらけの私を見ても警察は子供だけが来ても対応出来ない。子供の証言は証拠にならない。被害を見ていた大人を連れて来いと言い、追い返しました。
行った時は塾長にレイプされた時と、加害者の親に暴行を受け土下座をさせられた時です。
この二人の被害者は私だけではないです。警察が逮捕しなかった事で、その後も被害者が出ました。
塾長は私の前と後にもスケープゴートを作っています。生徒だけじゃなく、講師全員も加害者でした。止めに入り、注意したのは私一人です。
1、塾長は旧秀学、現俊英進学ゼミ塾長、名字は本間。旧鹿沼台、現相模原市矢部にある進学塾の塾長です。
2、岩重何奈美の母親。今は分かりませんが、知る限りは町田市在住です。
1は授業終わり後に、私を誰にも目が付かない教室に監禁し、背中を向けた直後に執拗に椅子で暴行してレイプしました。
当時の傷跡は今でも残っています。フラッシュバックも今でも起きています。
2は加害児童が集団暴行の上、執拗に車道に突き飛ばし、首を締めて殺そうとしました。私が一発反撃して出来た傷を責める。暴行の上、加害児童に土下座させ、執拗に頭を土足で踏み付け、顔を傷だらけにしました。幾つもある傷と靴の後を見せても、自分の子供は被害者だと言い張っていました。
加害児童は親を盾に、他の児童も好き勝手にしていました。私と同じく正当防衛した児童は、同じ被害に遭いました。被害者は何人もいます。注意した三年時の担任に悪質なクレームもしています。
警察に行ったにも関わらず、逮捕されなかった場合、時効の成立なんて有り得ない。
この二人を逮捕して欲しいです。
次の事をお願いします。
警察の不祥事による場合、第三者による妨害があった場合の逮捕時効の完全撤廃。
現在でも後遺症がある場合の訴訟時効の完全撤廃。
被害者は死ぬまでどころか死んでも忘れる事はありません。後遺症を負った場合、生きている限り苦しみ続けるんです。
私は警察共々、全員許さない。全員が苦しみに耐え切れず、自殺するまで徹底的に祟るつもりでいます。