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4-1 アイドルとオタク

 七月に入り、大分暑さを感じるようになってきた。

 制服も完全に夏服に切り替わって、夏休みが近づき校内の空気も浮き足立つ、そんな頃のこと。

 放課後、いつものように教室から真っ直ぐオカルト研究会の部室に向かおうとしていた時、突然それはやってきた。


「あ、あの!」


 教室から出たところでいきなり大声が飛んできて、私は思わず飛び上がる。

 けれど声がした方に顔を向けても誰もいないし、私を見ている人すらいなかった。

 声をかけられたと思ったけれど私に対してじゃなかったんだろうか、と思って歩みを再開させようとしたその時。


「あ、あのあの! すみません!」


 またもや大きな声が、とても身近から降りかかってくる。

 今度は流石に気のせい、勘違いの類ではないとはっきりわかった。

 この声は明確に私に対して呼びかけている。


 けれど、やっぱり振り返ってみてもそこには誰もいない。

 誰かの悪戯にしたては声が近すぎたから、声をかけてすぐ逃げるなんてことはできそうにもない。

 なんだかちょっと怖くなってきて、早く部室へ行こうと私はまた再び歩みを進めしようとした。


「す、すみません!!!」

「きゃっ────!」


 その瞬間、突然目の前に大きな女子生徒が現れて、そして大声を上げた。

 しかもその女子生徒は私の腕をいつの間にかギュッと握っていて、私は反射的に悲鳴をあげてしまう。


「う、あ、すすすみません! 脅かしたかったわけじゃ、ななないんですぅぅぅ!!!」


 私の驚きっぷりに、その女子生徒は大慌てでそう弁明し、オロオロと困り顔をした。

 唐突に巨体に迫られて、掴まれ叫ばれるという強襲にパニックを起こしかけた私も、そんな彼女の弱々しい姿勢に段々と落ち着きを取り戻して。

 よく見てみれば、身長こそ大柄だけれど、かなり腰の低そうな、大人しそうな人物だとわかった。


「すみませんすみません……! お、怒らないでください……!」

「わ、わかったから。大丈夫。驚いただけだから」


 とてもしょげて謝り倒す大柄な女子生徒に、こっちの方が冷静になってしまう。

 平謝りをしているのに私の腕を握ったままなのは、取り乱しているからなんだろうか。


 見上げるような高身長は、おそらく百八十センチはあろう立派さ。

 ただののっぽではなく身長に見合ったしっかりとした体格で、けれど太っているわけでもなく、シンプルに大柄な女子というのがぴったりな印象。

 けれどこの腰の低さに見合うようにとても猫背だから、覆い被さってくるような印象でやや圧迫感がある。


 毛量の多い黒髪はひたすらに伸ばされていて、腰ほどまでカーテンのように伸びている。

 前髪までも長いからその顔はやや隠れ気味で、少し陰気臭いような印象を覚えた。

 ただそこから覗く顔は大人しげで可愛げもあり、全体の雰囲気に対して大分お淑やかそうにも見えた。


「本当にすみません。私、存在感ないのに慣れてて、うっかりしてて……」

「もういいから。えっと、私に何か用……?」


 私の腕を握ったままにしょんぼりとするその女子生徒は、その質問にコクコクと大きく頷いた。


「は、はい! あの、オカルト研究会の二年生、葉月(はづき) 柑夏(かんな)先輩、ですよね?」

「そ、そうだけど……」


 私を先輩と呼ぶところを見るに、どうやら一年生らしい。

 この圧迫的な体格からは全く想像していなかった。

 それにしても、どうして私のことを知っているんだろう。


「わ、私……一年の、陰山(かげやま) 李々子(りりこ)と、言います。実はその、相談に、乗って欲しくて」

「相談……」


 大柄な女子生徒、陰山 李々子さんは言うと、またコクコクと大きく頷いた。

 低学年だから腰が低いというより、生来奥ゆかしいというか、控えめな性格なのかもしれない。

 その割には脅かすような勢いのある声の掛け方だったけれど。


「はい。オカルト研究会の葉月先輩は、その、恋愛相談を受けてくれるって、聞いたことがあります……!」

「…………」


 かなり湾曲した噂話に、私は思わず溜息をついてしまった。

 そもそもガールズ・ドロップ・シンドローム自体が、実在を信じられていない噂話だ。

 それに携わる私の活動もまた、ほとんどの生徒が認知していない。

 どうやらちょっぴり噂になっているようだけれど、それもそう大きなものではないはずだ。


 だとすれば、一年生に伝播する際に情報が乱れても仕方がないのかもしれない。

 まぁ広い意味で見れば、恋愛相談と言えなくもないだろうし。


「えっと、悪いんだけど……陰山さん? 私は別に、恋愛相談を受けてはいないんだよ。わざわざ来てもらってあれなんだけど……」

「え、ええ? でも私、ちょっと困っていることが、あって、その……」


 普通の恋愛相談は友達にした方が何十倍も建設的だ。

 私が断ろうとすると、陰山さんは俯いて私の腕を握る力を強めた。

 大柄な体格の割に力はあまりないようで、それでも特には痛くない。


「私元々陰キャで、地味だし、友達もほとんどいないし。クラスの中でも存在感、全然ないんですけど……」

「は、はぁ……」


 断ったのに、いきなり相談が始まってしまった。

 どうしたものかと思っていると、陰山さんは泣きそうな顔で言った。


「ゴールデンウィークの終わり頃から私、本当に存在感がなくなっちゃんたんです……! 誰にも気づいてもらえないんです。これって、ガールズ・ドロップ・シンドロームってやつじゃ、な、ないんでしょうか……!」


 どうやら噂は、一年生にもそこそこちゃんと流れているようだった。

 陰山さんが私のところに来たのは、勘違いでも的外れでもなかった。


 私はわかったと言って、ひとまず場所を変えることにした。

 流石に教室の前で立ち往生するのは迷惑だし、陰山さんは目立つ。

 私は彼女を伴って同じ階にあるフリースペースまで移動した。


 飲み物や菓子パンなんかの自動販売機が置いてあるフリースペースは、誰でも使える椅子やテーブルがある。

 下校時で待ち合わせやお喋りに使っている生徒がそこそこいたけれど、なんとか隅の方の席を確保できた。

 そこに至るまで、そしてテーブルを挟んで向かい合って座ってもなお、陰山さんは私の腕を決して放さなかった。


「存在感がなくなったって言ったよね。どういうこと?」

「えっと、えっと……」


 私が尋ねると、陰山さんはオロオロしながら口を開く。


「言葉の通り、と言いますか。その場にいても、気づいてもらえないんです。目の前にいても見つけられないし、物音を立てても聞かれないし、すぐそばにいても気取られないし。みんなから、その場にいないみたいな反応を、されるんです」

「それはえっと、なんていうか……いじめとかじゃなくてってことだよね?」

「わ、私もはじめそう思ったんですけど。クラスメイトだけじゃなくて、先生とか家族もそうですし。それに触れば普通に気づいてもらえるんです」


 そう言った陰山さんの視線が私の腕を掴む手に向いて、私はなるほどと納得した。

 この手は、私に気づいてもらい続けるためのものだったんだ。


 ということは、さっき声をかけられても彼女の姿を見つけられなかったというのも、そういうこと。

 触れられるまで、私は陰山さんの能力によって彼女を認知することができなった、と。

 そして彼女が私の腕を掴んだからこそ、まるで急にそこに現れたように存在を確認できた。


「声は、大丈夫なんだ」

「……はい。最初の頃は声も聞こえてなかったみたいですが、でも今は大丈夫みたいです。ただそれでも、私が意識的に声をかけてないと聞こえないっぽいです、はい」

「そう……」


 しゅんとして俯く陰山さん。猫背なのも相まって物凄く沈んで見える。

 先程私自身が体験したことからも、彼女の存在感のなさが、いわゆるただの影の薄さとは一線を画していることは窺える。

 確かにそれは、異能力と言って差し支えのない現象だと思われた。


「わ、私、別に友達とか全然いないし、誰に気づいてもらえなくたって、困らないと言えばそうなんです、けど。でもやっぱりこれ、いや、というか……。困る、というか……」

「そう、だね……」


 私もまた、教室では一人静かにしているタイプだし、友達なんて全然いない。

 周りの人たちと一言も話さなくたって平気だし、一人でいることを苦痛だとも思わない。

 けれど完全に存在を忘れられ、いないものとして振る舞われたら、それはそれで嫌だとは思うかもしれない。

 目立たなくても、気にされなくても、でもここにいるのだから。


「状況はわかった。それで、恋愛相談とも言ってたけど。ガールズ・ドロップ・シンドロームになったと思っているからには、陰山さんは誰かに恋をしているってことでいいんだよね」

「あの、えっと……まぁ、そう、です……」


 私が尋ねると、陰山さんはなんともはっきりしない様子で頷いた。

 自分の恋に自覚的ではない、わけじゃないんだろうけれど、なんだかとても含みがある。

 私が首を傾げると、陰山さんは恐る恐る言った。


「あの、笑わないで、欲しいんですが……」


 おっかなびっくり、私の顔色を窺うようにチラチラとこちらを見る陰山さん。


「私その、オタク、なんですよ……。アイドルの、オタクでして……」

「そ、そう……」


 改まってそう宣言されても、なんと言っていいかわからなかった。

 まぁインドアタイプに見えたし、特別意外とも思わない、くらいの感想しか持たない。

 けれど主題はそこではなかったらしく、陰山さんはトボトボと言葉を続ける。


「私が好きになったのは、その……アイドルのヒメリンなんです」

「ア、アイドル……!?」


 全く予想外の相手に、私は思わず声を強めてしまった。

 身近な人間じゃなくて、テレビやネット越しの、芸能人に恋をしたということだ。

 そんなパターンは初めてだったし、考慮に全く含んでいなかった。


 私のそんな反応は想定済みだったようで、陰山さんは迷わず続けた。


「私、いわゆるガチ恋系のファンだったんです。大好きで、ずっと追っかけてて、私の全てでした。でも今思うと、ガチ恋とかいっても、やっぱり本物の恋ではなかったんだと、思います」

「というと……?」

「自分の中でどこか、線引きがされていたというか。会えないし、恋が実るわけもないし、ただ恋に恋していただけと、いいますか。本気のつもりで、実はそこまで本気じゃなかったといいますか……」


 実際には恋愛に発展するわけがないからこそ、安心して夢中になれたということか。

 高嶺の花に憧れたりするようなもので、焦がれていても、本気じゃない、みたいな。


「でも本人に会ってしまって、ガチ恋が、リアルな恋に、なってしまったんです。本当に、好きになってしまって……」

「本人に会ったっていうのは、握手会みたいな、イベントとかで?」

「いえ、学校で……」


 陰山さんはブンブンと首を横に振って、言った。


「ヒメリン、この学校の生徒だったんです。しかも一年生で」

「えぇ…………」

「クラスは違うし、全然関わりはないんですけど。気づいちゃってから、もう気になって仕方なくって……」


 たどたどしい話し方ながらも、陰山さんの声には興奮が混じり早口になっていく。

 確かにその様子は、恋の話をする乙女というよりは、好きなことを語るオタクっぽさが窺える。


「それでも、叶うわけない恋だって、わかってるんです。でもどうしても、追いかけるの、やめられなくて。オタクとして、ファンとしてはもちろんですけど。その、物理的にも……」


 最後の一言で、途端に雲行きが怪しくなった。

 私が眉をひそめたのを見てとって、陰山さんは苦笑いをした。


「これって、まずいですよね……?」

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