正体
改めて私は姿勢を正した。
ローテーブルを挟んで克美と桜子に守られて弥生がいる。
「じゃあ、これまでのとこ整理するね」
ドンドンドン!
玄関ドアを叩く音が大きい。
「五月蠅いなぁ」
紙飛行機を放つとそれは狙い違わずドアに当たって、五月蠅い連中を吹っ飛ばしてくれた。
「これでしばらく静か」
よし始めるぞ。
「弥生、恐らくだけど菜々子ちゃんは苛めのグループから逃れる為に寺社巡りした結果、悪いモノと契約しちゃったんだよ。苛めっ子の最期を知るに願ったことは分かるよね?」
「悪いモノ?」
「神様だったらもっとスマートだからね。この報復の仕方には粘着質な悪意を感じるから、この世への恨みで怨霊化して手下を増やして大きくなった奴だと思う。大本を祓うか、もう弥生に手出しさせない程度に反撃するかは大本が何処にいるかを掴まないと出来ないから、菜々子ちゃんに会わないといけない。マウントとってこっちはお前の尻尾を掴んでるぞ、って見せつけてやんないと交渉も出来ないからね」
「会いたくないよ。きっと凄く怒ってそうだもん」
「会わないと。菜々子ちゃんって美人なんでしょ?きっと本体か№2辺りが憑りついてると思うんだよね」
「そいつらを祓ったら菜々子ちゃんは元に戻るんだよね?」
それ位はいい事が欲しいよね。でもごめん。
「……正直、助けられるかどうかは彼女が生きたいと望んでるかどうかに掛かってると思う」
親にも学校にも助けを求められずに、誰が一番先に自殺するかなんて苛め方されて、それで生きたいと望むとは到底思えない。
虐待を受けた子供の自己評価は低い。自分を無価値な人間だと心にも刻み付けられてしまうんだ。だからみんなに踏みつけにされるんだって。
苛めた連中に復讐したとしても、幸せの経験値がないとその先に明るい未来があるなんて思考にはならない。復讐の代償に自分自身を差出したとしても不思議はないんだよね。
彼女は虐待児じゃない?そんなことはない。両親や学校に無意識なネグレクトされてたじゃないか。同級生はあの手この手で彼女を苦しめてそれを楽しんでたじゃないか。
それを理解した上でないと彼女は救えない。
「じゃあじゃあ彼女の魂は?身体は乗っ取られたとしても魂は何処かに…」
「あったとして…肉体を取り戻して元の人生を続けたいと思ってるかな?」
「そんな!―悲し過ぎる…」
「可哀想なんて同情は霊に付け入られるし、菜々子ちゃんは侮辱に感じるかもよ」
「そうね。憐みって上から目線の言葉だもんね。だからそのまま魂を漂わせてる方が幸せっていうのも違うと思うけど。それは彼女の苦しみや悲しみが続くことを肯定することになるから」
同感だよ桜子。
「だとしても、じゃあ彼女の魂を救う方法がある?」
克美が問うた。
「菜々子ちゃんはまだ死んでないのに、まるで死んでるみたいに言うんだ」
必死に涙を堪える弥生は手の色が変わる程強く手を握ってる。
「ごめんね弥生ちゃん。そんなつもりはなかったんだよ。起こったことはなかったことに出来ないから、哀しみを抱えても彼女が生きていける方法ないかなって」
私の友達は建設的な思考する人達なんだ。
「そうだね」
「それも彼女のことで自分が苦しみたくないからとも言えなくないか?」
要らんことを克美が指摘する。
「うん、そうでもあるね」
「克美!桜子も!」
「平均寿命八十七歳。それまでずっと彼女は辛い記憶を抱えて生きなきゃなんないんだよ」
「そうだけど…」
「そうだけど、彼女の人生が茨の道だとして、辛い記憶に寄り添ってあげる気なんてサラサラないけど、それでも私は菜々子ちゃんにこの世で生きて欲しいって思ってる」
「え、あの…」
話の展開に弥生が狼狽してる。
正直にモノが言える桜子は強いなぁ。
「不幸だから辛いから戻って来ない方がいいっていうのも傲慢なんだもん」
まるで修道女のように厳格で美しかった。
「で、どうするのこれから?」
と克美に問われた。
「うん、菜々子ちゃんに会いたいって連絡出来る?」
「朝早く行って昼決戦でいいよね!」
「残念ですが、お日様の出てる時間は奴らにはアウェイだから、昼間は相手を探って夜誘き出す手筈をします」
顔を覆って弥生は後ろに倒れる、ところを親友二人が支える。
「あのアニメみたいな感覚なんだね。『俺達はお前達に合わせて人間に不利な夜の暗闇で戦ってるんだ』だっけ?」
「そうそう。正体を知りたきゃアウェイで戦うしかないのよ。で、この場合問題なのが足」
「足?」
「機動性がないと奴らを探せないし、夜私達が帰って来れない」
「うちの兄に」
そう言ってくれるのは有難いんだけどね。
「どう説明する?夜中に化け物探して移動するんだよ?それが一番の問題」
誰だって頭の内容を家族に疑われるようなことは避けたいよね。
ああ、師匠あなたはどうしてアメリカなのですか?師匠なら説明が簡単で怨霊退治の頼もしい味方になるのに。
と私のスマホのベルが鳴った。普通に電話の方だ。
「悠斗だ。ちょっとごめんね」
断って気を逸らした瞬間だった。バルコニーに面したリビングの窓が粉々にこわれたんだ。破片が降り注ぐ。
しまった、私が一番窓に近いんでもろに破片を浴びた。次いで順番に外に面した窓が割れていく。最後に玄関ドアが開いた。鍵を掛けてたのに。
「菜々子ちゃん!」
「こんばんは」
明るい挨拶と共に複数人が部屋に雪崩れ込んで来た。
咄嗟に手で顔を覆って良かった。ガラスの破片は飛び散っただけじゃなく、故意に私を傷付けたから。それでもガラス塗れになったんで慎重に動かないといけなかった。口を開こうとして振動で落ちて来た破片が目や口に入りそうになって、目も口も開けらんなくなった。
菜々子ちゃんは目の色がおかしい数人の男を従えてたそうだ。
バカだ私。相手の実力を過小評価してた。そんなことが出来る相手だったなんて。
弥生が完全に無事なのは、最後の一瞬に破片が彼女を避けてたのが視界に入ったから分かってる。桜子もお茶を淹れようとしてキッチンに向かったから無事だと思う。克美は?
「みんなに怪我させたね⁉何てことすんの!絶対許さない!」
弥生の声は本気で怒ってた。
「弥生ちゃんお友達は選ばないと」
想像よりハスキーな声なんだ菜々子ちゃん。
「みんな親友だよ」
「いいなあ弥生ちゃんには親友がいるんだ。私は相談相手もいなかったよ」
それを聞いて弥生の勢いが殺がれたのが気配で伝わる。
「私が可哀想だと思ったら一緒に来て。おばさんから聞いてるんでしょ?私の事」
弄ぶるのを楽しんでるみたいな口調だ。
「一緒には行けない」
「どうせ明日会いに来るつもりだったんでしょ?予定が前倒しになっただけだよ」
キッチンでは桜子が捕まったらしい。物が壊れる音と共に悲鳴が聞こえた。
「桜子に触らないで!痛いよ、腕を掴まないで」
「桜子!止めてよ、友達に手を出さないで」
「うん、弥生ちゃんが来てくれたら他の子なんてどうでもいいよ」
間をおいてから効果を確認するように訊くんだ。
「私の実力は分かったでしょ?お友達は怪我したのに弥生ちゃんには怪我させてない」
「弥生ちゃんを何処に連れてくつもり?」
冷たい声で返事があった。
「あんた達には関係ない」
後で分かったけど、この時菜々子は弥生が手にしたポシェットからスマホを抜き取ると、手下に渡して玄関の堅い床で潰させたんだ。
「弥生ちゃん。必ず助けに行くからね」
途端に肉を叩く音と倒れる音が鼓膜を打った。さっきみたいに悲鳴はない。何したのよ。酷いことしてたら許さないんだから。
「付いてくから友達に手を出さないで!」
「弥生ちゃんの友達が生意気なのが悪いんだよ。弥生ちゃんを先に車に連れてって」
手下を顎で使ってる。やっぱり菜々子ちゃんに憑いたのがトップかその次なんだ。
「一緒に行くんだよ菜々子ちゃん。もうみんなに酷いことしないで!行くからきつく掴まないでよ。菜々子ちゃん一緒に行こう」
抵抗する気配があったけど、力で敵わなかったんだろう声がどんどん遠ざかった。
「私の本当の実力はこんなものじゃないんだからね」
近付いて来る気配があって至近距離に来たのが分かった。ガラスがジャラジャラいう音と共に服の背中が引っ張っぱられてガラスの破片が背中に当たった。服の上から強く擦られて激痛が奔った。痛いなんてもんじゃない!
宣戦布告したな。悲鳴なんて上げてやんないんだからな。唇をきつく結ぶ。
「あんた多少は力があるみたいだけど、これに懲りたら安っぽい友情なんてひけらかすんじゃないよ」
パトカーのサイレンが近付いて来る。近所の人が通報したんだ。
菜々子は舌打ちした。手が離れてく。
「バ~カ」
容赦ない蹴りに襲われ、さらにガラスに傷付けられる。
言われなくても。ホントバカだった私。
奴らが出てってすぐ桜子は掃除機を探して、ガラスの細かい破片を吸い取ってくれた。
『姉ちゃん何やってんだ!俺より危険じゃねぇか』
ほったらかしにしてたスマホから悠斗の声が飛び出す。そういや応答を押したんだったっけ。掃除機を動かしながら桜子が拾う。
『答えろよ姉ちゃん大丈夫なのか?』
「お姉ちゃんは大丈夫じゃない!無事になったらこっちから連絡するから待ってなさい!」
『お、おう』
目が開けられるようになると、桜子の形の良い唇の端から血が短い筋を描いてるのが痛々しかった。桜子のことは悠斗もよく知ってるから声で分かっただろう。
やくざっぽい人相の男がいたとのことで、ご近所さん達は警察が到着するまで中を覗いてこようとはしなかった。
「おい、スマホが壊されてるぞ」
「それは誘拐された弥生の物です」
掃除機の音に負けじと桜子が声をはる。
「久保弥生さんが誘拐されたんです」
答えはなくどかどかとやくざみたいなオジサンが二人先頭を切って入って来る。土足じゃない靴にビニール掛けてる。
「どうしたこっちゃこの有様は!」
「窓はどうやってこんなに出来た?サッシにガラスが全く残ってねぇじゃねぇか」
続く女性刑事が私達の近くで中腰になる。
「大丈夫?お嬢さん達。何があったのか話せる?先ずは名前を聞かせて。私は結城っていうの」
「さ、私は加藤桜子です。先ずは王…長谷川穂那実さんの背中のガラスを取って手当して欲しいんです。ガラス入れられて…。メガネの子が大西克美さん。みんな高校の同級生です」
「失礼」
と背中を覗いた女性刑事が「あ~あ」表情を変えた。
「これは病院で取ってもらわないとダメだね。破片が残ったら大変。救急車呼ぶよ。よく泣かずに我慢出来たね。偉いよ。これはあっちのムサイオジサン達だってめげる」
「負けず嫌いなんで」
「その目は百倍返しを考えてない?ダメよ、相手やくざなんでしょ?そう通報があって私達が来たんだけど。で桜子さんあなた可愛い顔なのに叩かれたの?冷やしときなさい。その感じじゃ腫れるよ」
と桜子に注意する。
「やくざ風の人もいましたけど、来たのは新興宗教の団体なんです。友達を誘拐していったんです。すぐに手配して下さい」
ナイスだ克美。
「宗教団体?」
「はい。親戚の子が新興宗教の団体に洗脳されてるみたいだって今夜、…この家の娘さんで、お母さんは仕事で出張中なんですけど、誘拐された弥生に相談されてたんです。自分も誘われてるどう断ったらいいかって」
「団体の名前は?嬢ちゃん。聞いたか?」
ずんぐりしたオジサン刑事に訊かれた。
「聖き光のなんとか…。覚えてる?」
振り返って桜子に確認する。
「真白き、じゃなかった?そういう感じの名前じゃなかったかな?」
必殺小首傾げポーズでオジサン刑事を桜子は見上げた。
よくもそれだけいけしゃあしゃあと二人して出任せ言えるもんだね。息だってぴったりじゃん。
「親戚の子の名前は知ってる?」
「お母さんの従姉妹の娘、って言ってました。苗字は久保でいいんだよね?」
「久保菜々子さんだったと思うよ」
「久保菜々子?何処に住んでんだ?近くか?」
「いいえ、神奈川だって」
ずんぐりオジサン刑事の表情が気に入らないって告げてた。
「何か?」
結城刑事が反応する。
「んー、宗教団体の前にも、その、菜々子って子が苛めに遭ってる、とか相談されてねぇか?」
私達三人は顔を見合わせた。
「今夜聞いたんです。菜々子さんを苛めてたグループの人が全員亡くなって、それから人が変わったみたいになったって」
その時救急車が着いたから話は途切れてしまった。
酷い気分だった。背中は痛いし自分を過信して失敗するし。泣くに泣けず涙ぐんでると、破片を一つ一つ取ってくれてる先生が優しく声を掛けてくれた。
「痛かった?もうそろそろ痛み止めが効いてくるからそれまでの辛抱だからね。キレイに取ってあげるから安心してね」
バタバタと速足の足音が止まるとガラッと救急処置室の扉が開いた。
「穂那実⁉何処?穂那実!」
お祖母ちゃんだ。衝立で区切られてて姿は見えなかった。
「すいませんお静かにお願いします。処置中なので男性はご遠慮下さい」
男性?
「分かりました。朔と伊織は俺がみてます」
ってその声は師匠じゃないですか。アメリカから帰国してたんですか、予定じゃもっと後のはずなんだけど。
「穂那実、連絡受けて吃驚したわ」
取る物も取り敢えずだったんだろう。常にきちんと身嗜みを整えてるのに化粧っ気がない。だけどお祖母ちゃんが着るとラフなワンピースもドレスに変わる。今年還暦なんだよお祖母ちゃん。
「お祖母ちゃんごめんなさい心配させて」
次いで背中の傷と全身を見てお祖母ちゃんは卒倒しかけた。
「女の子の背中に…、誰がこんな…」
「お母さんしっかり!」
看護師さんが崩れかけるお祖母ちゃんを支えてくれる。お母さんに間違われるのも珍しくない。
「お母さん、お子さんが一番辛いんですよ」
その途端ハッとお祖母ちゃんがシャキッと背筋を伸ばした。血を感じる。
「失礼しました先生。穂那実の怪我は大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫です。ガラスの破片は全部取り除きますし、後の処置を手を抜かずに続けたら痕も残らないで綺麗な背中を取り戻せますよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる。
「鎮痛剤を処方しますけど当分は背中を下にして眠れないでしょうね。今夜は泊まってもらいますけど、様子見ですから朝には退院出来ます。鎮静剤か睡眠剤いるかな?」
「要りません」
キッパリと断ったんで先生驚いてた。
病室に移されると師匠が顔を覗かせる。朔と伊織はベビーカーだ。横向きで寝てるんで視線を合わせてくれる。お祖母ちゃんは先生と話してる。
「大丈夫か?誰にやられた?」
「怨霊に憑りつかれた女の子。友達巻込んで失敗しちゃった。大バカだわ私、自分の力を過信してました。反省します師匠」
「バカだな」
否定しない。
「ただ相手の力を推し量れるようになるには経験を積むしかないのも事実だからな。反省したらいつまでも落ち込んでるな。しかしこの経験は忘れるなよ」
「はい、師匠」
朔が黒い小さな手を伸ばして頬に触れた。温かい。
「あと悠斗が死ぬ程心配してる。連絡してやれよ」
目の前に私のスマホが置かれた。
「師匠はどうして急に帰国したの?」
「ジュン姉から「訳は後で、兎に角大至急帰れ」ってLINEが届いたんだ」
「うん、秋葉さんが旧家で見つけた埴輪に乗っ取られちゃって。悠斗が気付いたんだ。私悠斗と大地さんと三人で鄙びた温泉街に置き去りにされたんだよ。お父さんは連れ去られちゃった」
「そうらしいな。電波の届かない山間を逃げ回られて捕まえられないってな」
「相乗りして悠斗は学校をさぼるし」
「悠斗は悠斗で役に立ち始めたらしいぞ。段々埴輪のオーラを掴んで、肉薄してるってな。なのにこのことで悠斗はこちらに気を散らせてるらしい」
「大きなお世話。こっちは私自身がきっちり片を付けんだから、手出ししないように釘刺しとかないと。師匠も帰って来てくれたし」
「帰国早々俺を働かせるつもりか?オクラホマから何時間飛行機の旅だったと思う?」
「でなきゃ何の為に帰って来たの?座りっぱなしで強張った身体を解すのにもいい運動でしょ」
「恐ろしい子」
なんて小指立てて女口調で言うんだ。誰へのオマージュ?それ。
「分かった。今夜はもうゆっくり休め。気ばかり焦っても医者の許可がないと退院出来ないぞ」
「伊織はどうしたの?」
「帰る早々に千夏さんがワンオペは限界だって。兄貴は急遽出張になって、お腹の子もいるしで押付けられた」
そういや師匠のお兄さんはお母さんの再婚相手だったね。
夢の中、私はいつもの祠の前で悠斗を待ってた。のに中々やって来なくてヤキモキした。
幼い頃から私達は夢でこの場所を共有してた。意志を持って来ることが出来るようになったのは十代に入ってからだ、それまではご眷属様に呼ばれた時だけ来ることが出来る場所だった。
「なんでこんなとこにいんだよ。なんで連絡してくんねぇんだ」
現れたのっけから怒ってた。
「会おうと思えばここで会えるでしょうが。お姉ちゃんは病院にいるんだ」
病院という言葉が悠斗を怯ませた。
「怪我したってお祖母ちゃんも師匠もLINEに書いてたけど、入院する程酷かったのか?」
「大したことない。鎮痛剤飲んだし、様子見なだけだから朝には退院するんだ」
「よかった」
「それよりなんでお姉ちゃんの危機が分かったの?あんたホントに私を監視させてんじゃないでしょうね。そういうのお姉ちゃん絶対許さないからね」
「わあってるって。秋葉さんの時とおんなじだよ。でかい危険なモノが姉ちゃんの近くにいるって突発的にわかって、急いで電話したんだ。LINEの方には出ないだろ」
「あんた一々煩く報告してくるし、今夜は弥生の話に集中したかったから通知をオフにしてたんだ」
「ひでぇ。姉が心配するだろうって弟は細かく報告してたのに」
「怡君達がいて何が心配か!する必要を感じませんね」
「経過を知りたくねぇのかよ」
「白樺の林が綺麗だとか、木曽の山中の景色が感動する程綺麗だとか、お饅頭が滅茶うまでお土産に買って帰るね、ってのを?寝る前にまとめて読めば十分でしょうよ」
「うちの姉には情緒が足りない。貧乏が悪かったのか」
「うっさいわね。で、どうなのそっち。吾妻山で追いつけた?」
「ニアミス。奥姥神から吾妻山神社の奥の院まで歩いたんだ。強い残滓は残ってたんだけどさ。父ちゃんも秋葉さんの姿も影も形もない」
「ずっと山を行くんだね」
「そりゃ土蜘蛛は追われる身だから山から山に逃げたんだろ。それより怡君が限界に近付いてる。本人は厳しい修行だってしてるんだから平気だっていうんだけどさ、連日登山だし、直前の仕事が面倒臭い仕事で何でもなさそうにしてたけど結構引き摺ってるみたいだ」
「そうなってくるよね」
「今夜は一人で寝かせてって、お湯にゆっくり浸かってふかふかのベッドで寝たいっていいホテルに泊まった」
「お祖父ちゃんや大地さんも疲れてるんじゃない?」
「あんまそんな感じしない。それどころかパワースポット発見、とかって怡君と真逆だよ。お祖父ちゃんも割合元気で随分歩けるようになったんだ。お祖母ちゃんと来たい行きたいって情報収集に余念がないし」
「怡君は心配だけど男共が元気で何よりだよ。私の怪我も大したことないし、あんたこっちのことは全く気にしないで秋葉さん捜すのに集中して」
「オイオイ姉ちゃん、ホントにそれでいいのかぁ?」
なんでそう高い所で意味あり気なんだよムカつく。何処にも登れる物がない。
「それでいいよ。師匠も帰って来てくれたし全然大丈夫」
「へぇ~、折角奴らの行方教えてやろうと思ったのに」
「はい?今何と?」
「俺の式神まだ気付かれてな~い」
「悠斗様。わたくしが間違っておりました。式神の行方をご教示下さいませ」
「…さすが姉ちゃん、5Gな切替だな」
「たりめーよ。いらんプライドで失敗したばっかなのよ、こちとらは。で?場所を教えるのだ」
教えてもらってると何処かからおーいおーいの声が段々大きくなるのに気付いた。ハッキリ意識すると同時に声が秋葉さんの物だとも。
「おーい、良かったぁ。方法間違ってるんかと不安だったけど、ずっと二人捜しとってん」
「秋葉さん」
二人同時だった。
「どうやってここに来れたの?」
「前に話してくれたやん。で、あんたらの気配を追ってたらここで会えるんやないかって、夜は意識飛ばしててん」
「ほら見ろ姉ちゃん。姉ちゃんが煩いとか言わずにマメに連絡取ってたら、ここで落ち合うのも早まったんじゃね?」
グッと言葉に詰まる。私失敗続き。
「思い出したんは一昨日やで」
「あんたが煩過ぎなかったら、私だってこっちから連絡取ったわよ」
「で、秋葉さん身体は大丈夫?もしかして身体を乗っ取り返せそうだとか?」
スルーして悠斗は質問する。
「それはないね!」
不吉な断言をしてくれますこと。
「向こうは生前土蜘蛛の呪術師と戦う程の実力やったんやで、その上千何百年も土蜘蛛を倒すことだけに凝り固まってんねん。私とは色々年季が違う。修吾さんも心配やろうけど、ご心配通り乙女さんに支配されかけてんねん」
「全然安心しねぇ!」
「こんな状態で安心ネタ提供出来る訳ないやん」
「うちの女共って奴は…」
なんだとう!
「普通にメンタルぼろぼろよ。古墳時代の人やん?宿に泊まるって概念がなくて固い床で寝るのも平気って人やねんで、ご飯かて一日二日食べなくても平気なメンタル。歯ブラシセットだけは買えたけど、そんな頻繁に風呂に入らへん感覚の人やから、私の自慢の黒髪も顔もボロボロ、正直人前に出るのが恥ずかしい有様になってんねんで」
「秋葉さん可哀想過ぎる」
大いに同情した。
「せやろせやろ、…って愚痴ってるところやないねん。時間は限られてるから手早く伝えるな」
「あ、はい」
「私は肉体を追い出されかけてんねやけど、知識も必要やからギリギリの線で置いてもろてるとこ。乙女さんも」
「あの、乙女さんて?」
さっきも出た名前だ。
「埴輪の名前。梓巫女の埴輪やから乙女さんて呼んでんねん」
「分かった」
「乙女さんも私の肉体を使ってる訳やから、元気満々いう訳やなくて滅茶疲れてんねやけど、執念に囚われて無理してんねん」
何しろ現代的に表現すると異世界転移したみたいなもんだもんね。疲れない訳がない。現代で土蜘蛛の呪術師(鵜那彦だって)を捜すには秋葉さんの協力も不可欠だ。意識は置いておいてくれたとしても、追い詰められた乙女さんがいつ絶望に支配されてもおかしくない。
それで秋葉さんはやんわりと、けどしつこく湯治に誘ってたんだ。疲れた身体じゃ土蜘蛛を捜せませんよ~。捜せても戦えへんの違いますか~。その間に美味しい物を出来るだけ食べさせて、楽しみってものに目を向けさせるように仕向けた。「美味いは正義!」偉い!
現代は美味しい物に溢れてるけど、じゃあ食事で釣るのは楽勝、なんて思ったら大間違い。これは後日秋葉さんとお父さんに詳しく聞いた話。乙女さんの占有する割合が多くなる程に現代食は拒否されたんだ。
山また山を移動したのは土蜘蛛を追うばかりが理由じゃない。現代は古代の生活とかけ離れ過ぎてる。「進歩したのね~」なんて概念も薄いから簡単に受け入れられなくて都市を拒否したんだ。本当は車にも乗りたくなかったらしい。
乙女さんの時代に無かった物はサンドイッチどころかおにぎりだって胡散臭がって拒絶したんだ。
古墳時代の人が何食べてたか知ってる?乙女さんはそれなりにいい家から巫女として差し出された人だから、自分では料理をしない。だからって、毎日白米が食べられるような身分でもない。ほぼ庶民と同等でちょい上等な位、って秋葉さんは対話の中で検討を付けた。
果物は古代とは多少形状が違っても何とか食べてくれた。魚は生はダメだけど食べさせ易かった。
けど、食料事情が良くない時代ですよ。美味しいって基準でご飯を食べてない。基本は栄養補給。ようやく味付けで塩以外の味噌とか醤油の前身が作られ始めた頃だからね。調味料は高貴な方々の物だった。野菜だってネギなんかは奈良時代に日本に伝わったものだから食べない。そこからかぁ!でしょ?だからってきんぴらごぼうを食べてくれる訳じゃないんだよ。当時になかった調理法も拒絶してたんだから。
買い物にしても品物は豊富だけど知らない物ばっかりのお店は嫌がったから、無人屋台とか道端の露店しかダメで碌な物食べてくんなくって、寝るのは車か野宿じゃもう消滅しそうだったって。
乙女さんを弱らせたいけど自分の身体も弱まるから、そこはある程度食べて欲しくって、で、とある路傍の店でピンと来たんだ。何かっていうとお餅。乙女さんの主食は雑穀だけど、神様に捧げる為に当時最先端の調理法だった搗いたお餅が使われたんだ。だから高嶺の花の御神饌なのね。乙女さんもお餅見て胸をときめかせてた。
という訳で大福と蓬大福の詰め合わせを購入、「畏れ多御座います」感を目一杯だしてる乙女さんに食べるよう促した。
「今の時代は簡単に食べれんのやで、美味しいで~」
これは正鵠を射るって奴で、神事の際に何度も目にしてた憧れの食べ物だったから効いた。
食べていいの?って子供みたいにキラキラした瞳で問われたお父さんは、「神様の力を取込ませてもらおう」って秋葉さんに合わせながら、笑いを堪えるのが一苦労だったって。
おずおずと口に含んだ乙女さんは天の甘露に衝撃を受けたんだ。中にあんこが入ってるなんて知らなかった。けどそれは問題にならなかった。神の甘露の作り方なんて知らなかったんだから。
これが食に興味を持ってくれだした瞬間だった。美味しいのパンドラの箱を開けてしまったら、人間はそれ以前には戻れないんだよ。
食わず嫌いしてたから、その栄養は全身に漲って力が湧く感覚を乙女さんに与えたのも強かった。炭水化物は現代は肥満の元でも、古代は活力の塊だったんだ。
手玉に取ってやったぜ、とガッツポーズしたのは焼き鳥。塩で味付けるのでさえ贅沢なんだけど、それ以外の味付けを拒否したから最初はテイクアウトしたんだ。店に入るのも嫌がったしね。
味付けしてない肉なんて味気なかったろうなぁ。鳥も食料事情悪かったろうし。
彼女を魅了したのは内臓でハツやレバーだ。一羽で少量しかないから滅多に口に入るもんじゃない。それが贅沢に串に刺さって焼かれ、香ばしい匂いを振りまい目の前にある。
感動した彼女にタレも味合わせ、そこから食への冒険は容易になった。
そういう苦労を通してようやく旅館への宿泊が可能になった訳だ。霊験新たかな霊泉を飲み、湯に浸かって英気を養わないとこのままじゃ土蜘蛛に負ける。いい加減行き詰ってたこともあって乙女さんは不承不承だけど承知してくれた、という訳。
「よう聞いてや。米沢市に霊泉、幽霊の霊に泉で霊泉やで、冷たい泉とちゃうで。霊泉・峰の薬師いうのがあんねん。飲泉出来るしペットと泊まれる宿もあってや。共同浴場の近くやねんけどな。温泉でいうと小野川温泉」
「はいはい」
「そこで何が何でも連泊させておらせるから来て!」
「喜んで!」
よっしゃ!と笑った顔が薄れてく。
「伝え終えてホッとしたら連れ戻されたな」
「分かるんだ」
「分かるのよ。だから少しは俺の実力認めてね」
はいはい。知らないとこで成長してんだね。
「今回はなんやかんやでいい勉強になったな。お祖父ちゃんのリハビリ手伝いながら色んな事たくさん教えてもらったし」
「良かったね。私もじっくりお祖父ちゃんに訊きたい事とかあったから、聞いたこと教えてよ」
「オッケー」
聴取を終えると報せを受けて飛んで来た親達に桜子と克美は連れ帰られた。
真夜中、娘が心配な弥生のおばさんは、鉄道に頼らずタクシーを手配して帰って来たそうだ。タクシーの中でも克美や桜子の家と連絡を取って、怒りをぶつけられて平謝りしてたという。私のお父さんが捕まらなくて、お母さんに掛けるのには抵抗があった。性格知ってたからね。分かるよ。それでもお父さんがダメならお母さんに連絡しなきゃ、って電話したけど「現在使われておりません」だった。スマホ替えたんだ。
帰宅したら家には黄色いロープが張られて警官がいて、暗い中でも家の惨状が見て取れて卒倒しそうになったって。だよね。
おばさんは私の病院に来てくれたんだけど、眠ってたから起こされなかった。最初はお祖母ちゃんに平謝りしてたんだけど、お祖母ちゃんお得意の会話術ですぐにおばさんのお悩み相談に変わって、苦しい胸の内を吐き出したんだ。
私は大丈夫だからねおばさん。
神奈川の警察の協力で、向こうの警察が菜々子のアパートを尋ねると彼女だけでなく絵美さんも夜勤で不在。職場の施設を訪れた警察に絵美さんはあっけらかんと「菜々子は友達の家にいますよ」と答えたそうだ。ゴールデンウィークだから友達のお宅に泊まりに行きたいというのを許したのだそうだ。
「苛めっ子が亡くなった時は人が変わったみたいで怖くなったりしたんですけどね。でもすっかり明るく頼もしくなったし、友達も出来て学生生活が楽しくなったみたいなんですよ。試練は人を強くするんですね」
だって。
しかし、娘さんの友人を誰かご存じですか?との問いには答えられなかった。
都合のいい事実にしか目を向けてないんだ。
弥生のことを聞かされてもそんなことがある訳ない、と中々信じなかったんだって。最後には警官でさえ本物か疑い出したって話を後で聞いた。
お祖父ちゃん達が追い付いたら大丈夫だろ、さあ、こっちもやるか!って退院したら、お祖母ちゃんに全力で止められてしまった。
「背中にそんな怪我してるのに何処に行くっていうの⁉絶対許しません!」
「だけどお祖母ちゃん、弥生が危ないんだよ。友達を放っておけない」
「ええ、ええ、お友達は大事よね。お祖母ちゃんはそんな穂那実が世界で一番大事!お祖父ちゃんを愛してるけど、それでも大事なのは穂那実なの」
胸にキューンときました。
母子家庭の長女ってしっかりするしかないんだよ。そうすると「この子は大丈夫」になって、心配されるにしても全くの子供扱いなんてなかった。お父さんも長く不在だったから私の扱いに気を使ってるしね。
掛け値なしで世界で一番大事って言ってくれるんだ。
「穂那実、俺だけ行ってもいいんだぞ。弥生ちゃんは俺も知ってる」
「そうしなさい。恒平さんに任せるのがいいわ。お祖母ちゃん絶対放さないからね」
「お祖母ちゃん」
「そうして、穂那実」
「世界で一番は胸に効くね。お祖母ちゃんだから偽りなしだもん」
「穂那実は私のお姫様なんだもの」
小さな頃は、確かにお母さんも「私のお姫様」って言ってくれたな。
「でもお祖母ちゃん。私行かなきゃ。相手はすっごい性悪な怨霊なんだ」
「性格の良い怨霊っているの?」
「そうだね、いないね。そういう奴らの中でも特別性悪なんだよ。必ず衆目の集まるとこで見せびらかすみたいに、弄ぶりながら殺すんだ」
「そんな…余計行かせられないわ。あなたに何かあったら私はどうしたらいいの?背中だけじゃないのよ。服が守ってなかった所は傷だらけじゃない」
「そ、じっとしてたら傷が痛むの、だから行くの」
「ハードボイルドな台詞じゃねぇか」
師匠が驚いてた。
「お祖母ちゃん、私はもう守ることから卒業しようと思うよ」
「穂那実」
「私は無意識にみんな守らなきゃって思い込んでたけど、実はみんなそんな柔じゃないんだよね。だからこれが私が守る最後。傲慢だった自分にさよならの行事なんだ」
克美だって、一番暴力に弱いと思ってた桜子さえ私を助ける為にすぐに行動してくれた。怖くて泣くかと思ってたのにね。
別れた後も気遣うLINEをくれて、朝に退院出来るならお見舞いに来たいって。でもそれは断った、お見舞いされる程じゃないし、弥生を取り返してからじゃないと会えない気がしたんだ。それに一緒に弥生を取り返しに行こうって言い出すに決まってるんだ、もうこの件に二人を巻込めない。
「傲慢なんて、そんなことないわ穂那実は」
お祖母ちゃんはそう言ってくれるけど師匠はご存じだ。
「簡単じゃないぞ、そういうのは習い性だからな」
「かもね。でも区切りをつけなきゃ」
私の決意が固いのを察して師匠はお祖母ちゃんに向き直った。
「俺が守ります必ず。祓うのも俺がやります。こいつには手出しさせませんから、こいつに見届けさせてやって下さい」
「恒平」
師匠ありがとう。
しばらくあんな顔こんな顔で考え込んでてお祖母ちゃんが私の手を取った。柔らかくて優しい美しい手だ。
「絶対見てるだけって約束出来る?」
「約束する」
嘘吐きって目で見ないで、お祖母ちゃんに嘘は吐かないんだから。
「信じられない。あなた行動派なんだから」
「信じて、お祖母ちゃんとの約束は破ったりしない」
「必ずよ。危ないことは恒平に任せなさい。一個でも怪我を増やしたら承知しませんからね。帰ったら仰向けで寝れるようになるまで絶対安静よ」
「はい。本読んで大人しくしてます」
「――行かせたくない」
握った手に力が加わる。私を案じてくれるお祖母ちゃんの気持ちが痛い程伝わってくる。
「でも行かせてお願い」
「……」
「お祖母ちゃん」
「必ず帰って来るのよ。恒平も穂那実を帰さないと酷いんだから覚悟してよ」
「おっかないな。はい」
ぎゅっと抱きしめられて放される。
「行ってきます」
さっさとお祖母ちゃんの手の届かない距離に離れると、家政婦の黒谷さんがそっとお祖母ちゃんの後ろに控えててくれた。
いつまでもそうしてらんない。お祖母ちゃんを振り切って私は背を向けた。
出掛けてみたら当然だけどゴールデンウィークで道は大渋滞。その分私は休めたからいいけど、師匠は疲れたろうな。鎮痛剤と抗生物質飲んでる所為か身体を動かしてないと凄く眠いんだ。
JR相模湖駅の対岸は山の裾野の鬱蒼とした森になってて、キャンプ場やボート乗り場になってる。泳ぐにはまだ早いけど、カヌーやボートに乗ってる人達が見えた。釣り客もいる。
県道を走って森を抜けてみる。
「何か感じたか?」
「うん、森の中に何かいる感じはするけど、湖事態にも強いモノを感じるね。師匠は?」
別に珍しいことじゃない。水の流れるとこ貯まるとこには大抵何かいる。
「腹は減ってないか?少し腹拵しよう」
湖沿いに走る国道のカフェは相模湖が見渡せる絶好の位置にあった。一番忙しい時間が過ぎたのか、混んでたけど待ち客はいなくて、ラッキーなことに湖を見るには一番いい席に通してもらえた。
「こういうとこを選ぶんだね」
相模湖は戦後出来た人造湖だけど、歴史が浅いからって何もいない訳じゃない。元々川は色んなモノが流れて来るし、ダム湖なんかは住んでた人達を移して町や村を沈めちゃうから、その時点で何かが生まれちゃう。そこに事故死、自殺、他殺と上乗せされてくんだ。だからって悪いモノがたくさんいるということにはならない。ダムがあっても水は流れてくんだし、ちゃんと供養されてたら人知れず死体が沈んでても水としての清浄さを保つからね。
ただ、相模湖は現在多少…悪いのがいる。
「一つ質の悪いのがいて、そいつが手下を集めてる感じだな」
私が感じたのと同じことを師匠が言った。
注文したパスタセットとピザが運ばれる。美味しそうで、美味しい。
「質の悪いの?」
「お前言ってたろ?性悪だって。沈んでるのが判る程デカくなってる」
「判るんだ」
「経験が違いますね。背中に着いてた残穢の本体は…」
「本体は?」
第三者の声。
近付いてるの気付かなかった。フレンチボブの綺麗な女の子だから菜々子か。師匠に笑顔を振り撒きながら隣に座り、水を運んで来た店員にカシスソーダを注文する。
「菜々子?」
「タフだね。昨日の今日でもう動けちゃうんだ。尻尾巻いて逃げる程度にはした気でいたのに」
なにおう!
「タフだよこいつ。やられたらやられる程に闘志を燃やす挫けない面倒なタイプなんだ。心を燃やせってな。小さくて可愛いのにそんじょそこらの男より、よっぽどメンタルがタフなんだ。鋼のメンタルだから喧嘩売るなら覚悟しといた方がいい」
そこまで言う?それにもう喧嘩は売られてる。
「怖いなぁ」
って菜々子は流し目を師匠に送る。師匠に媚び売ってんじゃねぇ。
「お兄さんだって強いんじゃない?力を感じるんですけど」
くねり、と姿態を変える。
「それ程でもあるかな、俺がこいつの師匠だからな」
「ええ。すごーい。力もあってハンサムなんてお兄さん凄いよ」
「まあな。面も苦み走ったいい感じだとは自負してる。歳取る程に男振りを上げるタイプだ。男振りって分かるかな?菜々子ちゃん」
ちょっとぉ、十代少女相手に鼻の下伸ばさないでよ。師匠バイなんだけど、どっちもいけるだけじゃなくて、少女がお好みだったりするんですか?これからの関係見直させてもらいますね。
「それ位菜々子だって分かりますぅ」
脈ありと見て増々媚態を作ってる気がする。
「菜々子さ、両親が早く離婚しちゃってあんまお父さんにも会ったことないんだ。だから年上の男性に惹かれちゃうんだよねぇ」
オジサンを嬉しがらせるベタな台詞じゃない、それ。
「へぇ、こんな可愛い子に言われたら嬉しいな」
師匠が破顔するからドヤって顔で菜々子が私を見た。私は菜々子以上の美人だけどこういう男心をくすぐるって行動が出来ないんだよな。
「ねぇ、ピザ一かけ貰っていい?」
「どうぞ」
「ん~~、明太子のピザって美味しいんだね。菜々子も好きになりそう」
「食べたことなかったの?」
「なんでかなかった。可哀想でしょ」
話によってコロコロ表情を変える。
「可哀想だねぇ、全部食べていいからね」
なにおう。私はさっと自分の分のピザを取り皿に載せた。
「やだ、あんた何て名前だったっけ?そういや名前訊いてなかったね。どうでもいいけど貧乏臭くない?そういうのって」
ムカつくんでフルーツたっぷりデザートピザを注文する。ついでにドリンクのイチゴミルクも。
「太るよ、可愛いのに。ね、お兄さんもそう思うよね。あ、ごめんなさい名前訊いてなかった。お兄さんの名前教えて」
「名前?お兄さんで構わないけど?」
「でもちゃんと名前で呼びたい。その方が身近に感じられるでしょ?」
くねくねするんじゃねぇ。
「そっか、じゃあお兄さんの名前はねぇ」
「名前はぁ?何ぃ?」
見てらんない。師匠までこいつに捕り込まれたんじゃないだろね。
「ドザエモ~ン。渋いだろ~」
一瞬顔色を変えてでもすぐに菜々子はにっこしりた。
「やだ、冗談ばっかりぃ。もう意地悪だなお兄さん。名前教えてくんないんだ」
「お、意外に知ってんだドザエモン」
「それ位常識的な知識じゃん。私がJCだからってバカにしないでよ」
ジャンプコミックスでなし、女子中学生だよ。念の為ね。
「おや、まだJCだったのか?大人びてんなもっと年上かと思った」
「顔は大人びてるけど口調で分かるでしょ?一体幾つに見えてる訳?菜々子プンプンだよ」
?さっきから想ってたけど、菜々子の仕草や口調って心なしか古臭いがする。
そして師匠の答えに菜々子は蒼くなった。
「三十代後半。顔は人並みで髪はストレートで長い」
怨霊の本体!
「な…なに、言って…あんた…」
「自殺だろ?死体沈んだままだな。自殺理由は?失恋?すぐに捜してもらえると踏んでたんだ。自分を、死体を抱いて泣いてもらえるだろうってな。それが未だに冷たい水の底だ」
「酷い…自殺したって解かっててそんな…」
「確定だな。遺体をちゃんと葬って欲しいか?俺はとんでもなく優しい男だから、身銭切って捜してやってもいいぞ」
「必要ない!」
叫んでガラスに映った自分にハッとする。綺麗で人生これからって無限の可能性を含んだ少女に映ったろうな。
「私こんなに綺麗で可愛いいのに、そんなドザエモンなんてどうでもいいわ」
「他人の身体だろうが」
「こいつの心はとっくに死んでる。あんなに楽しく復讐してやったのに、全てに虚しくなりにけりって?最後の子が死んだら、泣きながらこの世に何の未練も残さず消えたわよ」
ぶわっと涙が溢れた。感情や思考より先だったからどうしようもなくて、そして悲しみも胸の中で爆発して苦しかった。拭えない消し去れない記憶を自分事消したんだ。
「可哀想でしょ。これでも慰めてやったんだからね。あんた達こいつがどんな苛め受けたか聞いたでしょ?汚れた肉体まで消したかったみたいだけどそうはいかない。こんな可愛い身体消したらもったいないじゃない。母親も悲しむでしょ?男達も…ね」
悪魔的に魅力的な瞳で挑むように見るから涙目で睨み返してやった。
「バカな子。人並み以上に魅力的なんだから、いっそ思い切ってそれを武器にしたらよかったのに、パパ活したらどれだけ儲かったと思う?」
「お前だって自分の身体ならしなかったろうよ」
この言葉に菜々子は鼻白んだ。
「菜々子ちゃんを侮辱するのはそこまでで止めとけ」
師匠はもう面白がってない、怒ってる。
「どうするっての?あたしがいなくなったらこの身体は本当に抜け殻なのよ。この子の母親がそんなの嬉しがる?」
師匠はそっと大きな手を菜々子の手の上に重ねた。
「それでも、身体は久保菜々子ちゃんのものだ」
弾かれてたように手と身体ごと菜々子は席を立って飛び退った。
「何を覗いたのよ変態⁉」
「中村歩。お前の恨みつらみなんてどうでもいい、名前は読み取った」
えええ、手に触って読み取れたの!
紙の人型を取出して、筆ペンで中村歩ってさささと書いちゃう。しかも篆書体だよ。
「お前達!」
呼応して何組かの男性客が立ち上がった。
「お客様どうなさったんですか?」
フルーツたっぷりデザートピザとイチゴミルクを運んでくる途中の店員さんが狼狽えてる。
あれは絶対私のだ。
「何でもないですよ。あちらの方達はお勘定じゃないですかね」
「ええっ。ご注文をまだお持ちしてませんが」
「菜々子ちゃん座ろうか」
名前を書かれた人型をひらひらさせる。菜々子が今度は私の側に座ると男達も座り、店員さんは無事私の前に美味しそうなデザートピザを運んでくれた。
「そう警戒するなって、ちょっと話そうよ中村さん」