第三十話: 未来へと手を伸ばし
「ぐおぁああああああああああ!!」
自分の喉から発せられていることが信じられない、どこか遠く聞こえる絶叫と共に、腕が……? 僕の腕!?が二つの拳でスコップを握った形のまま、真上へ向かって吹っ飛んでいく!
斜めに振るったスコップの刃をかいくぐるようにして襲い来た、岩の大剣による高速の一閃。
本来は月子を狙った不意打ちだったためだろう、横から割り込んできた僕の胴体を真っ二つにすることはできなかったようだが、生命を拾ったのはたまたま運が良かったからに過ぎない。
いや、とても運が良いなどと言えるようなダメージではないはずだ。
しかし、思考はどこか他人事めいて、両腕の肘の先から噴き出す大量の血を、何かの冗談ではないのかと感じさせてくる。
なにせ、ほら、まったく痛みもないのだから――。
言うまでもなく、そんなわけはない。
凄まじい激痛から逃れるため、一時的に精神を切り離した肉体は、止まない絶叫を上げながら前のめりとなって地面に蹲っていた。
「松悟さん!? そんな!? 水の精霊に我は請う――」
背後で体勢を立て直した月子が、土人形に防御姿勢を取らせつつ、水の精霊への請願を発する。
その声に応じ、僕の肘から先が一瞬で凍りつき、吹き上がっていた血も真っ赤な氷塊となった。
結氷による止血……あの勢いで血を流し続けていたら、あっという間に失血死だっただろう。
見れば、近くの地面に転がっている僕の手も一塊の氷となっていた。
「一刻も早く、傷口を合わせてポーションを!」
――やれやれ、痛苦を味わわせる気はないんだがのう。『地の精霊に我は請う、たつもの許さじ』
対面した時から何一つ変わらず、円舞台の上であぐらをかいた姿勢のケオニ王が声を発すれば、周囲数メートルの地面だけが大時化のように波打ち、僕らの体勢を崩しに掛かる。
その影響を最も強く受けたのは月子の土人形だ。
ケオニ王の視界から僕らを遮るため、前衛に立っていた土人形が、自重のバランスを取りきれなくなり、尻餅を突くようにして倒れてしまう。
「水の精霊に我は請う――」
開けた視界、まず先制したのは月子だ。
美しい花を思わせる氷の手裏剣【雪花の刃】が二輪、回転しながら飛んでいく。
『地の精霊に我は請う、とぶもの敵なり』
しかし、二輪の氷の花は、地面から突き出した細い串により精確に中心を刺し貫かれてしまう。
「ぐぅう……まちがいない。せ、精霊術……か」
――おうともよ。そなたらだけに与えられた力というわけではないでのう。尤も、そなたらより数段劣りはするがな。斯様な力を無碍に授けるなど、つくづく神々も度し難い真似をするものよ。『地の精霊に我は請う、大鎚を振るわん』
「防ぎなさい!」
地面が盛り上がったかと思えば巨大な鎚の形を成し、ようやく立ち上がりかけていた土人形を目掛けて叩きつけられる。月子の命を受け、その一撃を両腕で受け止めようとするも、むなしく土人形は両腕ごと頭を粉砕されてしまった。
これが、僕らの精霊術に劣っているだって? バカを言うな!
地の精霊だけに限られているようだが、発動までの早さは月子の一言の呼び掛けにも匹敵し、効果においても引けを取らない。少なくとも、僕の地の精霊術では太刀打ちできないだろう。
くそっ! いくら月子でも一人で敵うような相手じゃない。早く加勢しなければ……。
しかし、両腕を失って激痛に喘いでいる身では精霊術の発動もままならない。
いくら急ごうが、転がっている腕を繋ぎ合わせることは疎か、痛み止めと傷を塞ぐためにただポーションを服用するのにも難儀している始末である。
その間、月子とケオニ王は互いに大規模な地の精霊術をぶつけ合わせている。
周囲一帯、もはや創世の地殻変動もかくやという心胆寒からしめる有様だ。
「グッ、し、しかし……何故……いきなり、こんな真似を……?」
――言うたであろう。解放してやろうと。グレイシュバーグに囚われた、その肉の軛からのう。そなたらに儂がしてやれるのはそれだけよ。
「私たちを殺してですか!?」
――おうともよ。逃れ能うは魂のみ。痛みもなく逝かせてやろうとしたのだぞ。そも、そうなるはずだったのであろう? 神々は言わなかったか? 次の世界へ生まれ変われと。
そうだ……、彼女は確かに言っていた。転生だと。転移ではなく。
『――転生してもらうことになっちゃいました。ごめんね――』
元々、僕たちは、この異世界に生まれ変わるはずだった!
それが、何かの手違いで元の身体のまま、この山の上へ投げ出されてしまったと言うのか!?
生身の身体では決して抜け出すことが叶わない高みの牢獄へ……。
――事由を呑み込めたか。ならば、そろそろ抗うのをやめぬか?
「たとえ抵抗をやめようと、もう私たちを殺すことは決まってしまったのではありませんか?」
――如何にものう。こうなった以上、そなたらを野へ解き放つことなどできぬ。儂の力の及ばぬ処で自棄になられては手に負えぬであろうからの。……しかし解せんな。何故、そこまで抗う。死ぬと言うても、一切の痛みは与えぬのだぞ? 気付けば来世が始まっておる。大方、神により心と力をそのまま引き継ぐことを約されておるのではないか? 失うものもない。何を厭う?
「生きて……きたからだ」
――何と?
「私たちが、未来を諦めずに生きてきたからです」
「……たとえ、すぐに次の生が始まるのだと、しても」
「ここで、自ら死を選ぶことなど、受け入れられるはずがないでしょう!」
そうだ! 本当は生まれ変わるはずだった? 今すぐ死ねば、新たな人生が待っている、だと? ならば、この世界に投げ出されたあの日、その場でただ野垂れ死んでいれば気楽な異世界生活が始まっていたとでも? 月子と共に生きてきたこの数ヶ月間は無意味だったとでも言うのか!?
……んなわけがあるか!! バカヤロウ!!
死ななければ、この地から解放されない。それは分かった。到底納得はできないし、どうにか別の方法はないか探し続けるだろうが、ひとまず分かった。
だったら、必死に生き、その果てに生命尽きたとき、生まれ変われば良いだけのことだ!
――やはり解せんのう。先刻は一時でも早う解放されたいと言うておったはず。あと僅かな年月、この地で生を長らえることに何の意味がある? 矛盾しておるようにしか聞こえぬ。異世界人よ、哀れとは思うが、ますますそなたらをグレイシュバーグの下へ留め置く気が失せたぞ。
「ならば! ハァハァ……」
「推し通るまでです!」
月子と共に生きる! 最後まで! 端から聞いてバカバカしくとも、それが僕の望みだ!
問答の最中も、月子とケオニ王の戦いは中断されることなく続けられていた。
月子が請願する地の精霊術に対しては同じ地の精霊で、水の精霊術は岩盾や粉塵で無効化し、恐るべき威力・規模・精密性を兼ね備えた地の精霊術で反撃、自身への接近を許さないケオニ王。
本来ならば、そろそろ地の精霊が言うことを聞かなくなっていてもおかしくないほど精霊術が連続行使されているはずだが、今以て、二人の請願が止む様子はまるでなかった。
『地の精霊にわ――……!?』
突然、ケオニ王の声が中断されるまでは。
「は、ははっ……さしもの貴方でも、無音では精霊術を……使えないんだな……グゥッ」
両腕の治癒とポーションの服用を早々に諦めた僕は、激痛に喘いで何もできない振りをしつつ、ケオニ王の周囲の空気を薄めさせると共に音を伝えないようにすることを風の精霊へ願っていた。
今の僕の状態では、強力な精霊術を行使することはできない。
そもそも、下手な動きでケオニ王の注意を惹いてしまえば、身を守ることさえできない僕は、狙いを向けられただけで一巻の終わりだったろう。
ケオニ王に気付かれず、決定的な一撃を与えられる可能性があり、今の僕に使える精霊術……これしか思いつかなかった。
声に出して請い願わなければならない。
それが、万能に見える精霊術の絶対ルールだ。
ほとんど自在に精霊術を行使しているように見える月子ですら、それは例外ではなく、最低限、序言の一言の呼び掛けは必要となる。そうでない場合……たとえばカーゴや土人形の操作などは起動時に予め命令が組み込まれているに過ぎないのだ。
声を出さず超音波か何かで会話しているようなケオニ王に対し、果たして効果があるかどうか確証は持てなかったのだが、あれでも何らかの音だったのか、どうやら上手くいったらしいな。
まず声を止められ、次第に薄まる空気に呼吸さえもままならなくなってきたケオニ王は、遂にあぐらを解いて立ち上がり、喉と口元を両手で押さえながら円舞台の上から飛び出そうとするが、それは月子が許さない!
「水の精霊に我は請う――」
周囲の空間から湧き出してくる無数の水玉が、ケオニ王の身体を包み込んでいく。
先ほどまでならば、容易に石の壁で遮られてしまっていただろうが、今の彼はどんなに些細な精霊術であっても行使することはできず、たちまち全身が巨大な水玉の中に取り込まれてしまう。
ガボガボと激しく空気の泡を吐き出しながらケオニ王はもがく。もがく。もがきまくる。
しかし、巨大な水玉の中心に封じられた彼にはもう為す術は何もなかった。
やがて、その矮躯をぐったりと脱力させたケオニ王は、完全にその動きを止めたのだった。
「やったのか……ハッ、ハッ……急いで、脱出しよう」
王を倒してしまった僕らは、もはや釈明の余地無くケオニ族と敵対したと見て良いだろう。
無事に祠から……いや、地下迷宮から出られるかどうか……。
当然、外へ出られたとしても待つものは――。
やめろ! そんなことを考えるのは後だ!
最後の瞬間まで諦めない。 生きて、月子と共に――。





