第二十八話: 旅の終わりの日、到る恋人たち
大迷宮、地下五層。
第三層の転送地獄を辛くも突破した僕たちは、続く第四層の複雑な謎解きをどうにかクリアし、数日前、このフロアへと足を踏み入れていた。
これまでとは違っていやらしい罠や謎解きなどは無く、迷路としては非常にシンプルながら、これまでと比較にならぬほどの強敵が番人の如く待ち構えている玄室を一つずつ突破しなければ先に進めない、ある種、宮城か基地かといった作りのフロアである。
現在、僕たちはその五つ目となる玄室で戦っていた。
「みにゃあ!」
「よし! ヒヨス、そのまま離すな! 風の精霊に我は請う、跳ね上げろ!」
ねじ曲がった二本の角を持つ青黒い暴れ馬へ飛び掛かり、その首の付け根辺りに長い牙を突き立てることに成功したヒヨスを確認し、僕はすかさず【高飛び】を請願する。
疾走する速度を緩めた黒馬は、足下より巻き起こった突風を受け、食らいついたヒヨスと共に天井近くの高さまで跳ね上げられた。
後ろ足と尻尾を使って黒馬の胴体を蹴りつけ、空中でとんぼ返りするように離れたヒヨスは、一回転した後に今度は四本の足で虚空を踏みしめる。そして、もがきながら真っ逆さまに落ちる黒馬へ向かって真っ直ぐ飛び掛かってゆき、その前脚を大きく斬り裂いた。
馬の巨体であっても浅くはない傷だ。
そのまま石床に落下した黒馬は、激しい衝撃と前脚の深い傷により即座には立ち上がれない。
「松悟さん、ヒヨス、どいてください!」
「ばうっふぅ!」
響く月子の声に、僕たちが左右へ飛び退くと、背後から巨大な白い物体が飛んできた。
月子の操る土の巨人とベア吉が二体掛かりで持ち上げ、こちらへ向かって放ってきたソレは、螺旋状に真っ直ぐ伸びた一本角を持つ荒々しい白馬だ。
真っ赤に血走った目をして執拗に月子を追いかけ回していた不埒な獣である。
宙を舞う巨体の白馬が、立ち上がろうとして床で必死にもがいていた黒馬の巨体に激突する。
突風で動きを鈍らせようが、床を氷で覆い尽くそうが、ほとんど意に介さず、暴走車のような勢いで広い玄室内を走り回っていた二頭の暴れ馬がようやく揃って足を止めた。
「火の精霊に我は請う、噴き上がり、焼き焦がせ! 劫火の柱!」
地獄の劫火を思わせる猛烈な火柱が床面より噴き上がり、もがく二頭を飲み込んでいく。
「「ヒヒイィー……ィぃぃ……ン!!」」
それで、この玄室での戦いも決着となった。
「お疲れ、みんな。怪我はないかい?」
「松悟さんが一番の重傷ですよ。ベア吉も相当ですけれど。もう、まさか真正面から止めようとなさるなんて……。無理をせず、私の土人形を呼んでくだされば良かったんです」
「二人掛かりならいけそうな気がしたんだが、いやぁ、凄い勢いだった。ははっ」
「笑い事ではありません」
ふと、車に轢かれて潰れたガマガエルを想像してしまう。
どうして突然そんな光景が頭に浮かんだのやら、前に何かあっただろうか? ま、いいか。
「早くポーションを使ってください」
「ああ、いや、毒が怖いから今日はまだ温存しておきたいな。大丈夫だよ、これくらい」
月子が言うポーションとは、この第五層の開始地点に湧いていた泉の水を指している。
なんと! その水には、骨折くらいまでの傷ならば一瞬で癒やしてしまう、まさに魔法としか呼びようのない効力が秘められていたのだ。
しかも、怪我の治療だけに留まらず疲労回復や解毒にまで効き、汲んで持ち運ぶこともできる。
当然だが、少しばかりの制限はある。
一つは、汲んだ水が二日も保たず効果を失ってしまうこと。
もう一つは、効果を発揮するのが一人につき一日一度だけであること、だ。
「どのみち使用した後で休めば良いだけのことです。さぁ、飲んでください」
ポーションの入ったガラス瓶を手にぐいぐい迫ってくる月子に圧され、しぶしぶと服用する。
僕らが迷宮攻略を始めてからもう十日は経つ。できれば先を急ぎたかったんだけどなぁ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――ちゅっ……。
翌朝、僕は仰向けの胸元へ覆い被さっていた月子からのキスにより、幸せな気分で目を覚ます。
彼女と初めてキスをしたのは、まだほんの数日前だというのに、何故かすっかり日常的とすら感じられるのが不思議だ。
身体全体で感じる温かな体温とふわり軽やかな体重、さらさらの黒い髪が顔をくすぐってくる感触さえ心地よい。そして、ゆっくりと目を開けば、僅かに頬を染めて微笑みかけてくる愛しい少女の美貌により視界すべてが占められる。
「おはようございます、松悟さん」
「おはよう、月子」
――ちゅ。
「ん……」
軽くお返しのキスをし、身体を起こしていく。
心は言うまでもなく幸せに満ち、万能感に支配されているが、昨日飲んだポーションの効果で肉体のコンディションも万全だ。
「にゃあ」
「……わふぅ」
「お前たちもコンディションは万全だな」
ポーションはチビどもに対しても効果があるため、昨夜のうちに二頭とも服用済みである。
起き抜けで構われにやって来る二頭の身体には、傷ついた痕などどこにも見当たらず、自慢の毛艶も完璧な状態に整えられていた。よしよし、もっふる、もっふる、と。
「本日も頑張りましょう」
この日、僕たちはほとんど無傷のまま二つの玄室を突破することに成功する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
七つの玄室を守っていた多種多様な怪物をすべて降し、辿り着いた迷宮第五層八番目の玄室は、初めて見る大きな金属扉によって僕らのことを出迎えた。
「これは、ようやく最後かな」
「この迷宮の入り口を思い出す大きな扉ですね。どうやって開ければ良いのでしょうか」
「ケオニに角笛を借りてくれば良かったかな。ひとまず土人形にやらせてみてくれるかい?」
――いいや、異世界人、それには及ばぬ。大層な足労を煩わせてしまったな。
こうして聞くのも三度目となるその声は、慣れによるものか、今までのような違和感を伴わず比較的自然に頭の中へと入ってきた。
直後、目の前の大扉がギギギィ!と音を響かせながら開き始める。
――さぁ、入ってくるがよい。此処がそなたらの終着点ぞ……。
扉が少しずつ開くにつれ、僕らがいる回廊の空気が奥へと引き込まれていく。
徐々に露わになる中の様子は、どうやら相当に広いドーム状の空洞であるらしい。
見える限りにおいては、床や壁が不思議石材ではない剥き出しの岩盤となっている。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか……」
「鬼はもう出てしまいましたので蛇の方でしょうか」
やがて、その広大な空洞の奥に、小さな人影が見えてきた。





