第三話: 二人のファーストコンタクト
目の前の石英ガラス製フロントウィンドウに深々と突き刺さり、両目の間――目交に的中する寸尺ばかりの位置まで迫った鋭い鏃に、僕は声を上げることすらできず硬直してしまう。
しかし、月子は疾うにカーゴをその場から退かせており、続く敵の第二射は、ひゅん!という鋭く風を切る音だけを残して遠くへ飛び去ってゆき、僕がさらしてしまったその隙はかろうじて致命的な結果へは繋がらずに済んだ。
我に返って眼前の矢を叩き折りながら、その射手がいるであろう方向を見据え、精霊に願う。
「火の精霊に我は請う、燃え盛る壁を成せ」
一瞬で僕らと謎の人影との間に線を引くように、【火炎の盾】が激しい火勢を以て立ち上がる。
その間にカーゴは素早く後退し、この空洞に入ってきたときの通路へ半身を潜り込ませながら一旦停車した。
「……追撃は、無しか? しかし驚いたな」
ユキハジキやヌッペラウオとの戦いを経て、敵の攻撃に耐えるにはカーゴの防御力が心許ないということを痛感した僕たちは、ここしばらくの間、様々な方法で車体の強化に努めてきた。
カーゴ最大の弱点と言うべきウィンドウ部分の構造と強度の改良もその一つだ。
にも拘わらず、硬度を増した石英ガラスを割るでもなく貫いてきた矢の威力は尋常ではない。
「人のようでしたけれど」
「ああ、毛むくじゃらで大柄な……人間に見えた。弓を持っていたし、間違いないだろう」
僅か数秒ほどで炎の盾が消失すると、その向こうに見える門の中に未だ人影を確認することができた。矢をつがえた弓をこちらへ向けて構えているが、どうやら撃ってはこないようだ。
その姿は、長くぼさぼさで緑がかった灰色の毛に全身を覆われている大男だ。
獣の皮で作ったと思われるジャケットとズボンを着ており、やはり獣の骨で作ったと思われる小振りな弓を構えていることから、人類であることは疑いようもない、が。
毛の合間から見える地肌は灰色でゴツゴツとしており、顔から大きく突き出た獣めいた口吻と、それよりも更に大きな鉤鼻が普通の人間ではないことを表している。
と、そうして悠長に観察していられたのは、ほんの短い時間だけだった。
人影の奥から、ガヤガヤと増援が現れる気配がしてきたのである。
「ギャギャッ! ギィー! ギィーッ!」
「まずいな。言葉が通じそうな様子でもない。ひとまず出直そう」
「はい、地の精霊に我は請う―」
僕の言葉に応じ、月子は素早くカーゴを後退させると、分厚い岩盤によって通路を完全に塞ぐ。
そして、地上へ出た後は、祠の入り口にも大岩を被せ、連中が出られないよう蓋をしてしまう。
うん、追跡される心配を減らしておくに越したことはないよな。
このお蔭かどうかはさておき、特に何事もなく、僕たちは山小屋へと帰還することができた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――山賊か何かだと思うんだ」
「いくらなんでも、このような山奥にいるのはおかしくありませんか?」
「だから確実な下山ルートなり人里なりが近くにあるってことなんじゃないかな」
「それは否定できませんけれど」
「なんにせよ、ようやく異世界の人と出会えたわけだ。どういった方針で行くべきか……」
丸まって寝転がっているベア吉とヒヨスをそれぞれ背もたれにし、お茶を飲みながら、僕らは先ほどの一件についてあれこれ話し合っていた。
「そもそも人間だったのでしょうか」
「あれほど強力な弓を作るほどの文明を持っているのだから、流石に獣ということはないだろう。サイズからは信じられない威力だった。あれはおそらく多数の部品を組み合わせた複合弓だな。騎馬民族なんかが使ってた奴だよ。この鏃も削っただけの鉱石じゃなくて精錬された金属だ」
「何か……何かが引っかかるのです」
いや、まぁ……確かに、いろいろとおかしな点はあった。
単なる未開の部族と言うにも、人里から離れて暮らしている無法者と言うにも……。
「うん、あの施設を作り上げたのが連中だとまでは思わないが……。言葉も、なんだか鳴き声と言った方が良いような感じだったし、姿もかなり……うーん、やはり人間じゃないかも?」
「人に似た姿……、知能は低くないものの、不相応に高度な道具を使い……」
「ああ、考えてみれば、昔話に出てくる鬼みたいだな。身なりは原始人そのものなのに、平然と鉄の金棒なんていう武器を持っているのが不自然なんだ。知っているかな? あれはその物語が生まれた時代の盗賊団をモデルにしているという説があって――」
「それです!」
「ど、どれだい?」
思考に没頭し始めていた月子が、つい興奮気味になってしまう僕の半ば独り言めいたうんちく語りに反応し、いきなりずずっと詰め寄ってくる。
貌が近い。緊張してしまうから距離感に気を付けてほしい。
「鬼です! あれも一種の怪物なのではないでしょうか? こちらの世界ならば実在していてもおかしくはありません。有名な人狼を始めとする、人間と同等の知能を持った野獣も世界各地の伝承に残されていたと記憶しています」
「あー、うん、ありそうな話ではあるが、もしそうだとしても……だ」
「はい」
「僕の方から言いだしておいて何なんだが、よく考えたら、奴が人間であろうと怪物であろうと、別にどっちだって構わないんじゃないか?」
「……そうですね」
この世界の常識がない僕たちにとって、相手が人間かそうでないかは大きな問題ではない。
重要なのは、連中がコミュニケーション可能な存在なのか否か。友好関係を結べるかどうかだ。
背中の後ろですぴすぴ鼻を鳴らしながら眠るベア吉をひと撫でし、僕はひとまず話題を変えた。





