第四話: 終わりの日、師走の教師
「本当に進学はしないのか? 美須磨なら附属大は問題ないし、たとえ今からでも大抵の大学は狙っていけると思うが」
「はい、家の意向で進学は必要ないと」
「……そうか、勿体ないな」
美須磨月子――彼女との出逢いから、疾っくに一年が過ぎていた。
新年度となり、僕の受け持ちは二年生から三年生の学級へと変更されている。
クラス替えで生徒の顔ぶれは違えど、そこに美須磨がいることになけなしの縁を感じてしまう。
と、今更ながら思うのは、年度末に卒業を迎える三年生の担任が凄まじい激務である故だ。
昨年とは違い、もはや色恋に現を抜かしていられるような余裕などありはしない。
毎日、くたくたになるまで働きつつも、ここしばらくは一周回って気力だけ妙に漲っていたり。
そんな生活が山場を迎える十二月。
師走とは良く言ったもの、東奔西走の進路指導もいよいよ最後の追い込みに入っている。
明日は全校挙げてのクリスマスパーティーが予定されており、その準備のため学園内は大いに浮かれているが、残念ながら僕ら高等部三年生の学級担任には無縁の話と言ってよい。
閑話休題。
「君自身はどうなんだ? 進学する意志は……もちろん就職でも構わない。興味のある業界とか、やってみたいことくらいは何かしら思いつかないか?」
彼女の意志が存在しない『家の意向』という言葉に引っかかりを覚え、再度問いかける。
なにせ、この子は優秀だ。授業では文武を問わず何をさせても完璧に近く、クラブ活動も熱心、学業以外だろうと生活態度やコミュニケーション能力にも非の打ち所がない。
もはや大学など通う必要はないとでも言われれば、まだしも納得できなくもないが……将来、大きな舞台で活躍できるであろう眩い才能が、決められたレールへ唯々諾々と載ろうとする様は、教師の端くれとして見過ごせないところである。
『上流階級のご実家が用意する道なんだし、それを選ぶのも間違いとは言えないにせよ』
しかし、食い下がるような僕の問いも、ほんの僅かたりと彼女の表情を動かせない。
「私自身の考えも同じです」
それはいつもクラスメイトの中心で輝く彼女と同一人物だとは信じられない、なんなら最近のAIチャットの方がよほど人間味を感じられそうな、無感情な諦観の言葉として聞こえた。
元より、家の意向ということであれば教師は口を出しにくい。本校においては特に。
ましてや、たとえ本心からでないことが察せられようとも、本人納得ずくとあってはとりつく島もなく、この場での説得は断念せざるを得ない。
やるせない気持ちに洩れかけた溜息をグッと堪え、ひとまず引くこととする。
「わかった。そういうことなら改めて親御さんを交えて話すとしよう。以前はあまり腹を割った話し合いができなかったからな。ご実家のお考えもちゃんと伺っておきたい」
「……はい」
「それじゃ、お疲れさま」
「お疲れさまでした、先生。ごきげんよう」
裕福な家に生まれても、ちゃんとした家族に囲まれていても、容姿や才能に恵まれていても、子どもは大変なものだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌、十二月二十四日。世間一般ではクリスマス・イヴと呼ばれる日。
本校においては二学期の最終日でもあるこの日、毎年の恒例行事として幼稚舎から大学までの学園全校合同による大規模なクリスマスパーティーが催される。
規律に厳しいうちとしては特例中の特例として、学園生は終業式を終えた後から日没以降まで広大な学園キャンパス内の至るところで開かれる様々なイベントに参加でき、ある程度までなら羽目を外しても目こぼししてもらえる。
一般の来客などはなく、出し物は原則的に女性限定の健全なものばかり――舞踏会、晩餐会、演劇、コンサート、降誕祭のミサ、各団体の模擬店、個人主催のお茶会……諸々になるのだが、そこは華やかなお嬢さま方を集めたマンモス校、そこらの町イベント以上の盛り上がりを見せる。
そうして二学期最後の夜を過ごした学園生たちは、明日の午前中から順次実家へ帰ってゆき、本格的にそれぞれの冬休みを迎えることになるのである。
――ピピピピ♪ ピピピピ♪
祭りの喧騒を遠く他所に聞きながら職員室で仕事をしていた僕は、セットしておいたスマホのアラームに反応し、ノートパソコンのキーを叩く手を止めた。
終業式の後、数時間ずっと机に向かっていたため凝り固まった関節をほぐしながら立ち上がる。
まだまだ今日中に片付けておきたい仕事は残っているものの、これより向かう先もサボれない仕事の一つ……正直、かなり気乗りはしないんだけどな。
いや、実のところ仕事でも何でもなく、建前上は参加しない自由も認められてはいるのだが、我ら男性教師にとっては実質的に強制参加と変わらず、仮にやむにやまれぬ事情もなく不参などしようものなら、三学期は針のむしろと呼ぶのも生ぬるい地獄を味わうことになってしまう。
このことを事情も知らない外部の男に話せば、十人が十人、『なにそれ、役得じゃん』とでも返してくるだろう。
しかし! もしも許されるのなら、僕は声を大にして言いたい!
あれは罰ゲームの一種だ!
体力的にも精神的にもきついんだ!
庶民には分からない暗黙の了解や裏ルールが多すぎて、何年参加しようと慣れないんだ!
我が逝く先は戦場。
本学園の伝統――クリスマス舞踏会の会場となる。
それなりにお高いレンタル衣装に身を包み、僕は舞踏会場へのドアをくぐる。
ちなみに、生徒は制服での参加もありだが、教師はフォーマルな正装が原則である。解せない。
早めにやって来たお蔭で、どうやら会はまだ始まって間もないようだ。
オーケストラ部による楽団は配置や音合わせを終えておらず、既に集まっている参加者たちも、多くが喫茶部のもてなしとドリンク類を楽しみながらダンスフロアの周囲で歓談中だった。
行くぞ! 気合いを入れ直し、会場の奥へ向かって足を踏み出す。
と、視界の先にちょうど生徒たちの輪の中から抜け出してくる同士の顔を発見した。
「ごきげんよう、辻ヶ谷先生。ずいぶん早いですね」
「おや、白埜センセ、ごきげんよう。それは当然っすわ。何と言っても、僕ぁ、この日のために一年間働いてきたようなもんですからねぇ、ワハハハ」
そうだった。彼はこの舞踏会が大好きなのだ。早くから待機していて当然である。
僕は基本的に最低限しか参加せず、こうして早くに顔を出すことはほぼないため失念していた。
毎年、最初から最後までオールで踊りっぱなしとか聞いてはいたが、どうやら本当らしい。
「可愛い女学生に公然といちゃつける最高のイベントっすよ」
「はは……」
通りがかる生徒たちに挨拶され、軽く手を振り返しながらご機嫌な様子でそんなことを言う。
『なんて羨ましい、イケメンはこんなこと言ってもちゃんと冗談と受け取ってもらえるんだよな。僕が同じことを口走ったら即座に警備員が飛んでくるだろうに』
この人、実は妻子持ちだったりする。しかも娘さんは学園生だ。まだ小等部だと聞いたので、高等部主催のこの舞踏会に来ているはずもなさそうなのが幸いか。
まぁ、言動はゆるいし、こんな風に普段から女学生好きを公言してたりするが、実際に問題を起こすような不埒な教師でないことは周知されており、意外と熱血硬派な性格もギャップとして、ご覧の通り、生徒たちの人気が非常に高かったりする。
「ごきげんよう、辻ヶ谷先生、白埜先生。あまり男性同士でばかり固まっていらしては、此方のマナーに反しましてよ」
ごく僅かな時間、挨拶から短い言葉を二つ三つ交わし合っていた僕らだが、「ごきげんよう」「ごきげんよう」と次々に生徒たちが集まってきて、瞬く間に周囲を取り囲まれてしまう。
開場早々だけあって、現在いるのは辻ヶ谷先生と同様、この舞踏会を楽しみにしていた愛好家ばかりなのか。制服姿はごく少数に留まり、豪華絢爛色とりどりのドレス姿が視界を占めていた。
なんと! 今日この場に限り、ただ性別が男でさえあれば洩れなくそうした非日常的な装いの美少女・美女に囲まれる素敵体験が許されるというのだから、もう僕レベルだと戸惑う他はない。
流石に、こうちやほやされるのは人気の辻ヶ谷先生と一緒のときくらいだけどな、ははっ。
「あらまぁ、白埜先生にしてはお早いご登場ですこと。ようやくレディーを焦らさない程度にはお心遣いをお身に付けあそばしたのかしら」
「お団子の下が伸びていらっしゃいましたわー」
「お鼻でお茶が沸かせてしまいますわー」
「着飾った教え子に食い入るような視線をお向けになるだなんて、私たち、先生のお心の内ではどれほどあられもない姿にされてしまっているのでしょうね」
「君たちも来ていたのか。いや、僕、別にそんな変な顔してなかっただろう。してなかったよな? ……あと、とにかく鼻にこじつけようとするのはやめてください。ホント傷つくので」
現れたのは、昨年の担任クラスで学級委員長を務めてくれた阿知波碧とその仲間たちだ。
この四人組は、今年度は揃って僕のクラスから外れてしまっているのだが、学年は同じなので授業などで顔を合わせる機会は多く、相変わらず事あるごとにわきゃわきゃからかわれている。
ま、基本的に僕はどこでもこういう枠さ。道化であってもプルチネルラには程遠い。
「おや、今日は美須磨は一緒じゃないんだな」
クラスが変わってもなお彼女らは美須磨月子と仲が良く、何かと行動を共にしているようだ。
こうしたイベントであれば当然、一緒に回っていそうなものだと思えたが。
「月子さまはご用事がおありになるそうで、先ほどお別れしてきたんですの」
「本当に残念ですわ」
「遺憾ですわ」
「今年も手取り足取りご案内して差し上げたかったですわね」
近頃はすっかり顔が広くなった美須磨のことだ、そういうこともあるだろう。
ただ、彼女のドレス姿を見れなかったのは残念だな。